第8話 龍生の昔語り・2
龍生の話によると、出会いの日以降、咲耶はたびたび、秋月家を訪れるようになったらしい。
……と言っても、正面からではない。咲耶のみが知る、秘密の場所からだ。
「秘密の場所……って、咲耶ちゃんは覚えてるの?」
桃花は咲耶をじっと見つめ、小首をかしげる。
咲耶は即座に首を振り、
「いや、全然。この家より前に、秋月が住んでいたところがあったなんて、聞いた今でもピンと来てないしな。幽霊屋敷って呼ばれてる家がある――ってのは、なんとなく、聞いたことがあるような気はするんだが……」
う~んと唸りながら、咲耶は目を閉じて考え込む。
そしてしばらくしてから、もう一度首を振り、『やはり、どこにあるか思い出せない』と、残念そうにつぶやいた。
「今もあるのか、その……幼い頃、ご両親と住んでいた家は?」
咲耶の問いに、龍生は無言でうなずく。
「ひと月に一度くらい、管理人が様子を見に行っている。今は誰も住んでいない。一応、年に数回ほど、家の中の清掃や庭の手入れなどを、業者に頼んでいるようだが……。俺も、かなり長いこと行っていないからな。きっと、昔以上に幽霊屋敷っぽくなっているんじゃないか?」
「へえ、今は空き家なのか。……あ。そう言えば、秋月のご両親はどこに住んでいるんだ? ここには住んでいないようだが……?」
仕事が忙しいにしても、まだどちらの姿も見ていないことに気付き、咲耶が訊ねると、龍生はフッと笑みをこぼし、ティーカップに手を伸ばした。
「ああ。今は海外を転々としている。ここに戻って来るのは、年に数回あるかないか――というところだな」
「そうか……それは寂しいな。いつ頃から、離れて暮らしてるんだ?」
「小学校に上がった頃から」
「小学校!? そんな小さな時から、ご両親と別々に!?」
咲耶は心底驚いたようで、両目を大きく見開いている。
桃花も『えっ』と言ったきり、固まってしまった。
「嫌だな、二人とも。そんな顔しないでくれ。両親と住んでいないと言っても、祖父も宝神もいるし、ここにいる鵲や東雲、安田達だっているんだ。寂しいと思ったことなど、特にないよ。ここの二人が、毎日何かしら仕出かすお陰で、騒がしかったし……孤独を感じる暇さえなかった」
「ぼ…っ、坊……!」
「坊ちゃん……!」
二人は瞳を潤ませつつ、感動している。
〝何かしら仕出かす〟などと言われていたが、そこは気にならないのだろうか?――と咲耶と桃花は思ったが、あえて口には出さなかった。
「それに、両親がいない方が落ち着けるし、かえって助かるくらいなんだ。――鵲と東雲も、そう思うだろう?」
いきなり話を振られた二人は、ビクッと体をこわばらせたが、すぐに『ああ……』と同意を示してうなずいた。
だが、すぐにハッとしたように龍生に顔を向けると、
「いっ、いえっ!――そんな、とんでもないですっ!」
「お二人は坊ちゃんのことを、異常なほ――っ、い、いえ! ものすごく愛してらっしゃるだけですからっ! いないでいてくれた方がたっ、助かるなんて、これっぽっちも思っちゃいませんっ!」
慌てて否定し、ブルルルルっと大きく首を振った。
「そうか? 遠慮せず、思ったことを口にしていいんだぞ?」
「いいえええッ!!――お、思った通りのことをいっ、言ってますよ俺達っ!? な、なあっ、サギ!?」
「はっ、はいぃっ!……もっ、ももももちろんですともおおおっ!!」
二人の異様な反応を見るにつけ、咲耶も桃花も、龍生の両親がどんな人達なのか、知りたいような知りたくないような、複雑な気持ちになった。
特に咲耶は、龍生とこの先付き合っていくことに、幾ばくかの不安を覚えた。
しかし、咲耶の本能的な危機回避能力は、『とりあえず、今は触れずにおこう』という判断を下した。
「まあ、誘拐事件に関しては、両親はほとんど絡んでいない。話す必要はないだろう。――とにかく、それからたびたび、咲耶は家に姿を見せるようになり、俺達は、自然と親しくなって行った。咲耶に出会うまで、俺は、外に遊びに出たいと思ったことはほとんどなかったんだが……ある日、『見せたい場所がある』と言って、咲耶に誘われてな。一度だけ、こっそりと家を抜け出したことがあったんだ」
龍生の言葉に、咲耶はピクリと反応した。
「私が? 『見せたい場所』へ?」
咲耶には、思い当たる場所などないようだったが、それは既に、本人から確認済みのことだったので、さしてショックを受けずに済んだ。龍生はコクリとうなずき、
「あの丘だよ。前に連れて行っただろう? 俺が初めて、正面から君に告白した――あの丘のことだ」
「えッ!?」
咲耶が短く声を上げると、その他の三人が、一斉に咲耶に注目した。
同時に凝視され、咲耶の顔は、見る見るうちに赤く染まって行く。
「なっ、何を……っ。い、いきなり何言ってるんだおまえはッ!? こっ、こここ告白とかってバカなのかッ!? 人前でっ、よくもそんなはははは恥ずかしいことを――っ!」
両手で顔を包み込み、真っ赤になって咲耶は言い返すが、
「バカ?……俺の告白は、咲耶にとって、そんな言われ方をされなければならないような、くだらないことだったのか?」
龍生の表情は一瞬にして暗くなり、傷付いたかのように胸を押さえて、テーブルに視線を落とした。
咲耶は慌てて首を振り、
「ちっ、違うッ!! 告白がバカなことだって言ってるんじゃない!! 私はただ――っ」
「…………ただ?」
龍生がチラリと、咲耶に流し目を送る。
咲耶は『うっ!』と詰まり、落ち着きなく視線をさまよわせ始めたが、龍生は引き下がらない。
「ただ……何だって?」
「だ――っ!……だからっ、……その……」
咲耶の顔が、これでもかと言うくらいに真っ赤だ。今にも頭から、湯気がシューシューと噴き出そうだった。
龍生はじっと、咲耶の答えを待ち続ける。
数分の葛藤の後。
沈黙に耐えられなくなった咲耶は、大声で叫んだ。
「あーもうッ!! わかったよ!! 告白は嬉しかった!! 嬉しかったけどッ!!――こんな人前で言うなって言ってるんだっ、このスットコドッコイッ!!」
「……そうか。『告白は嬉しかった』のか。……そうか」
龍生は噛み締めるようにつぶやく。咲耶を見つめる表情は、今にもとろけてしまいそうなほど、幸せに輝いて見えた。
咲耶は咲耶で、相変わらず真っ赤な顔のままうつむき、居心地悪そうにモジモジしていたが、やはり、幸せそうだった。
……この二人は、さっきから何をしているのだろう?
自分達は、いったい何を見せられているのだろうか?
桃花、鵲、東雲は、〝甘い雰囲気に浸っている〟二人を、何とも言えない表情で見つめていた。
そして、昔語りの最中に、恋人同士の〝イチャイチャ〟を、あと幾つ見せられる羽目になるのだろうかと、心でため息をつくのだった。




