第7話 龍生の昔語り・1
(わたし? さくら?……女の子?)
それが、咲耶を見た時の第一印象だった。
短い髪に、Tシャツとショートパンツという出で立ち。返事を聞くまでは、男の子だと思っていた。
そしてこの時、咲耶は『さくや』ではなく、『さくら』と名乗った。
何故そう名乗ったのかは知らない。
とにかく龍生は、そのように記憶していた。
「さくらだって?――本当に、私がそう言ったのか?」
話の途中で、咲耶が腑に落ちない様子で訊ねて来た。
龍生はうなずき、
「ああ。俺にはそう聞こえたが……」
拳を顎に当て、当時のことを思い返すかのように目を閉じる。
……やはり、記憶の中の咲耶の名乗りは、『さくら』と聞こえた気がする。
「ん~~~……? そうかぁ? 『さくや』を『さくら』と、聞き間違えただけじゃないのか?」
咲耶は納得行かない様子だ。
そう言われてしまうと、かなり昔のことではあるし、絶対にそうだとは断言出来ないが……。
龍生がしみじみ考えていると、東雲が割って入って来て、
「坊ちゃん、覚えてないんですか? 俺の記憶じゃあ、幼い頃の保科様のことを、坊ちゃんは『さくや』って呼んでましたよ?」
などと証言したものだから、龍生は『えっ?』と驚きの声を上げた。
「本当か? 俺は咲耶のことを、『さくら』ではなく、『さくや』と呼んでいたのか?」
「はい。俺は、咲耶の〝耶〟の字を、男の名前でよく使われてる、弓矢の〝矢〟とか、ナニナニなりの、〝也〟だと思ってたんです。ですから、すっかり男の子だと思い込んじまって……」
東雲がそう言えば、鵲もポンと手を打ち、
「ああ、そう言えばそうでした。私も覚えています。坊――いえ、龍生様は、保科様が崖から落ちそうになっていた時、『さくや!』と叫ばれまして、保科様の下に回り込むように抱きかかえられ……そのままお二人で、崖から……」
言っている途中で、その時のことを思い出したのか、一気に顔色を悪くし、口元を片手で押さえる。
隣のソファに座っている龍生は、鵲の方へ身を乗り出し、『どうかしたか、鵲?』と気遣わしげに訊ねた。
「は、はい。大丈夫です。……申し訳ありません。あの時のことが、まざまざと思い起こされて……」
「俺の傷のことなら、気にすることはないと言っただろう? 今ではもう、痕すらほとんどわからないし、痛みだってないんだ。何の問題もない」
「坊……。はい。ありがとうございます」
鵲は力ない笑みを浮かべてみせたが、胸の痛みは消えないようだった。
被害者である龍生に、どれだけ大丈夫だと言ってもらえようが、やはり無理なのだ。
加害者側である鵲が自分を許せない限り、この辛さはずっと続く。
胸の痛みは、たぶん、死ぬまで消せないのだろう。
そんなことは、誰よりも、鵲が一番よくわかっていた。
そしてまた、鵲や東雲の、そんな様子を見るにつけ、龍生も胸を痛めていた。
あの頃のことを、未だに気に病んでいることを知っていたからだ。
脅されて仕方なく――だったとしても、罪は罪だ。
もともと気の優しい二人に、『過去は忘れろ』と言っても、その過去自体が罪の記憶である限り、忘れることなど出来ないのだろう。
彼らの良心が、忘れることを許さないのだ。
だからこそ、今回の話は、二人の耳には入れたくなかった。
またあいつが怪しい動きを見せ始めたなどと知ったら、心穏やかでいられるはずがないのだから。
「じゃあ、秋月は……私のことを、ずっと『さくら』だと思っていたのか?」
鵲の様子を気にしていたところに、咲耶から質問が飛んで来た。
「――ん? ああ、まあ……そうだな。中三の頃、街で君を見掛けるまでは、そう思っていた」
「へっ?……中三の頃!? 街で!?」
「ああ、そうだ。それがどうかしたか?」
「ど――っ、……どうかしたか、って……」
中三の頃に会っていたなんて、まったくの初耳だ。
急にさらっと、そんなことを言われても……。
戸惑いのあまり、咲耶が絶句していると、龍生は記憶をたぐり寄せるかのように空を見つめ、淡々と語り出した。
「確か、中三の晩秋か、初冬辺りだったと記憶しているが……。街で女生徒達に囲まれていた時、咲耶が通り掛かったんだ。俺は囲まれていて周囲が見えなかったから、まったく気付かなかったんだが……どうやら、女生徒達に道を阻まれて、老婦人が立ち往生していたらしい。それに気付いた咲耶が、『通行の邪魔だ!! 早く道を開けろ!!』と、女生徒達に一喝してね。……覚えているかい?」
問われた咲耶は、目をぱちくりさせていたが、しばらくして首をかしげると。
「ん~~~?……さあ? もう、一年半くらい前の話なんだろう? 悪いが、まったく覚えてない」
常人であれば、こんな印象的な場面は、覚えている気がするが……。
咲耶にとって、人助けのようなことは日常茶飯事なのだろう。
龍生はクスリと微笑して、『君らしいな』とつぶやいた。
「とにかく、左右に割れた女生徒達に見向きもせず、老婦人の手を引いて颯爽と歩いて行く君が視界に入った瞬間、『さくら』だと気付いたんだ。君は、幼い頃のボーイッシュな印象とはかなり違う、華麗な美少女に変貌を遂げていたけれど……不思議だろう? すぐに君だとわかった」
さらりと『美少女』などと形容され、咲耶の顔は瞬時に赤く染まった。
すぐさまうつむき、『よっ、余計なことは言わなくていいっ』などと言って照れている。
そんな咲耶を、つくづく可愛いなと思いつつ、龍生は頬を緩めて眺めていたのだが……。
視線を感じ、ふと視線を移すと、桃花、鵲、東雲の三名が、じーっと龍生を見つめていた。
とたん、ハッと我に返り、
「ま、まあ、咲耶との思い出話は、こんなところだ。――話を本筋に戻そう」
バツが悪そうに三名から視線を外すと、コホンとひとつ咳払いした。




