第3話 咲耶、誘拐の主犯は誰かと龍生に迫る
「ええ……と、つまり……高校生二人が脅されて、実行犯になった……ってことは、陰で指示出してた奴がいる、ってことだよな?」
長い沈黙の後、咲耶がようやく口を開いた。
冷めた紅茶にミルクを注ぎ、ミルクティーにしていた龍生は、顔を上げて苦笑する。
「ああ。その通り」
「だったら、それは誰なんだ!? そいつが一番の悪党じゃないか!! 高校生二人は、妹さんを人質に取られて脅されてたんだから、見逃す理由はあったにせよ、主犯であるそいつを見逃すのは、どう考えてもおかしいだろう!!」
咲耶の言い分はもっともだ。
普通であれば、絶対に見逃したりはしない。
しかし、その辺りもまた、龍生側には複雑(?)な事情があるのだ。
……まあ、それを話したとしても、納得してもらえるかどうかは甚だ疑問だが。
「確かに、そいつを許せないという気持ちは、今もある。そいつさえ、誘拐などということを考えなければ、高校生二人も、その妹も、幼い頃の俺と咲耶も――酷い思いをせずに済んでいたのだから。……だが、その主犯というのが、結構厄介な男でね」
「厄介? 厄介って……何が、どういう風に厄介なんだ?」
「何が?……うん、そうだな……」
龍生はしばし黙考してから、困ったように眉尻を下げ、肩をすくめた。
「そいつが、祖父の古くからの友人の息子だった――ってことだろうな」
咲耶と桃花の目が、まんまるく見開かれる。
身近な人間が誘拐(の主)犯だったということが、信じられなかったのだろう。
「秋月のじーさ――っ、いや、お祖父様の友人!? その人の息子が犯人って……なんだそれは!? どーしてそーゆーことになるんだ!? どーして知り合いの息子が、誘拐なんてするんだよ!?」
テーブルに両手をつき、前のめりになりながら、咲耶は疑問をぶつけて来る。
龍生は僅かに顔を傾けると、視線を横に流し、おもむろに腕と脚を組んだ。
「どうしてと言われても、犯人の考えることなど俺にはわからないし、説明のしようがない」
「――って言ったって、犯人はわかってるんだから、理由を聞くくらい出来ただろうっ!? それでわからないってのは、おかしーじゃないかッ!!」
「……ああ、まあ……。一応、理由らしいことは言っていたみたいなんだが……」
「言ってたのかっ? じゃあ何なんだよ、その理由ってヤツは!?」
龍生は再び沈黙し、どう言ったものだろうかと、頭を悩ませている様子だった。
しばらくしてから、深いため息をつき、気まずそうに咲耶から目をそらせると。
「……あまりにも理由がバカらしくて、幼稚過ぎて……口にするのも不愉快だと、お祖父様がおっしゃってな……」
今度は咲耶が、ポカンとしたまま沈黙する番だった。
あまりにも理由がバカらしくて?
幼稚過ぎて?
口にするのも不愉快……?
「は――っ、……はああああーーーーーーーッ!?」
完全に呆れ返り、咲耶は大声を上げた。
自分の知り合いの息子が仕出かしたことだというのに、そんな適当な答えがあるだろうか?
どれだけその知り合いとやらと親しいのかは知らないが、孫が危ない目に遭ったにもかかわらず、罪を見逃して放置するなどと……無責任にも程がある!
「何だそれはッ!? 訳がわからないッ!! 『口にするのも不愉快』な理由だと!? どんなに不愉快だろうが、バカらしかろうが、誘拐された本人には、理由を知る権利があるんじゃないのか!? だいたい、そんな『口にするのも不愉快』な理由とやらのために、おまえと私は誘拐されたと言うのか!?」
咲耶は憤慨し、その怒りを、まっすぐ龍生へとぶつけた。
龍生は困ったように苦笑して、
「……まあ、そういうことになるな」
「な――っ!」
あっさりと肯定され、咲耶の怒りは一気に沸点に達した。
大きく両手を振り上げると、目の前のテーブルに思いきり叩き付ける。
とたん、食器類がガチャンと大きな音を立てた。
「ふざけるなッ!!――そんなもののために、あんな大怪我しなければならなかったのか、おまえは!? 私の前で、血だらけになって!?……もしかしたら……もしかしたら、傷口が心臓に近かったり、もっともっと、たくさん出血していたりしたら、死んでしまっていたかもしれないのにッ!!」
「咲耶……」
咲耶の怒りは、自分が怖い思いをさせられたということよりも、龍生が大怪我をさせられたことの方へ、向いているようだった。
自分のために怒ってくれているのかと、こんな時ではあるが、龍生はいたく感動し、片手でギュッと胸元を掴んだ。
「……咲耶ちゃん」
桃花が咲耶の腕に、そっと手を添える。
咲耶はハッとしたように顔を上げ、軽くうなずくと、ソファに座り直した。
「……そりゃあ、事故の原因を作ってしまったのは、私なんだから……おまえを死にそうな目に遭わせた責任は、私にあるんだが……。でもっ、そもそも誘拐なんてされてなきゃ、崖がある場所なんかには行かなかっただろうし、おまえが怪我することだってなかったはずだ! そうだろう!?」
「それは……そう、だろうが……」
龍生の煮え切らない態度に、咲耶は再びカッとなった。
「おまえ、なんでそんななんだよ!? 幼い頃のこととは言え、自分の身に起こったことだろう!? どーしてそんな、他人事みたいな言い方してるんだよっ!? もっと――、もっと怒れよッ!!」
――自分のことのように怒ってくれている、咲耶には悪いと思いつつも。
今更、『もっと怒れ』と言われても困ると、龍生は僅かに眉をひそめた。
咲耶からしたら、今日初めて聞くことばかりなのだから、怒りが激しいのももっともだろうが……。
龍生にとっての〝誘拐事件〟は、既に、遠い過去の出来事になっている。心の整理は、とっくの昔に済ませているのだ。
「うぅん……そう言われてもな。俺にとっては、もう、どうでもいいことだ。それより、この先に起こるかもしれないことの方が、よほど気掛――」
「わかった、もういいッ!!」
「…………え?」
苛立ちを隠しもしない大声に、龍生は驚いて目を瞬かせた。
急に大声を出したりして、どうしたというのだろう?
『わかった』とは、いったい……?
「おまえが訊けないってゆーんなら、私が訊いて来てやる!! ここで大人しく待ってろッ!!」
一方的に告げると、咲耶はソファから立ち上がり、ドアに向かって駆け出した。
「えっ?――さ、咲耶ちゃんっ? どこに行くのっ?」
慌てて咲耶の背に問い掛ける桃花に、
「秋月のじーさんのところだっ!! 誘拐犯から聞き出した、その『口にするのも不愉快』な理由とやらを、私が訊いて来てやるんだッ!!」
それだけ言い、ドアを大きく開け放つと、玄関のある方へと駆けて行く。
いきなりのことに呆然としてしまっていた龍生は、瞬時に我に返ると、
「咲耶!?――ちょ…っ、ちょっと待ってくれッ!!」
勢いよくソファから立ち上がり、慌てて咲耶の後を追った。
廊下に出たところで、思い出したかのように立ち止まり、くるりと振り向くと、
「すまない、伊吹さん! 少しここで待っていてくれ!」
それだけ言い残し、また慌ただしく駆けて行った。
「……咲耶ちゃん、大丈夫かなぁ? 母屋まで、ちゃんと行けるのかな?」
だだっ広いリビングルームに、たった一人残された桃花は、ぽつりとつぶやく。
それから視線をテーブルに落とし、すっかり冷めきった紅茶を見つめると。少し離れた場所にあるミルクピッチャーに、ゆっくりと手を伸ばした。




