第1話 宝神、普段と違う龍生に気付き早々に退室する
鵲と東雲がリビングルームから出て行った後、入れ替わるように、大量の菓子類をワゴンに載せた宝神が現れた。
あっという間にテーブルの上に並べられた数種類の菓子に、咲耶と桃花の瞳が輝く。
龍生は苦笑して二人を一瞥した後、宝神に『給仕は俺がやるから』と退出を促し、ティーカップに紅茶を注ぎ始めた。
いつもであれば、もてなすのは自分の役目だと言い張る宝神も、珍しく素直に引き下がった。
長年仕えている者の勘で、今日は己の出番がないことを、素早く察知したのだろう。
宝神が出て行くと、龍生は咲耶と桃花の前に紅茶を注いだティーカップを置き、
「紅茶も菓子も、好きなだけどうぞ。お福もその方が喜ぶからね」
ふわりと微笑み、自分の前にあるティーカップにも、ゆっくりと紅茶を注いだ。
「そうか、では遠慮なく頂こう!――ほら、桃花。スコーンがたくさんあるぞ! タルトもクッキーも、カナッペもサンドウィッチもある! 相変わらず、すごい種類と量だな! いきなり来たにもかかわらず、どうしてこんな短時間で、いろいろ用意出来るんだ?」
クッキーに手を伸ばしつつ、咲耶は不思議そうに首をかしげる。龍生は紅茶を一口飲んだ後、
「ケーキなどは、時間がある時に数種類作って、冷凍しておくらしい。タルトは、朝から冷蔵庫で解凍し、他のケーキ類は、レンジで半解凍してから、オーブンで短時間焼き直すそうだ。クッキーは……確か、棒状にまとめて冷凍しておいた生地を、均一の厚さに切って十数分ほど焼く……と、前に宝神が言っていたな」
「あっ、それ知ってます! アイスボックスクッキーって言うんですよね」
自分の知っていることが話題に上って嬉しかったのか、桃花が声を弾ませる。咲耶は相槌を打つようにうなずくと、口の中のものをゴクンと飲み込み、
「へえー、そうなのか。さすがだな、桃花。やはり菓子には詳しいんだな」
「え?……あ、ううん。詳しいなんて。お菓子好きな人なら、知ってることだと思うし……」
大袈裟に感心され、桃花は恥ずかしそうに縮こまる。
龍生は、『桃花の大好きな可愛らしい菓子が、こんなにたくさん!』と、咲耶が別荘で言っていたことを思い出し、桃花の方へ顔を向けた。
「そうか。伊吹さんは菓子類が好きなのか。――パティシエールを目指していたりするのかい?」
「え?……あ、いえっ、まさか! お菓子は、作るのも食べるのも大好きですけど、プロになれるような特別な素質はないんです。手先も器用な方じゃありませんし……」
自信がないのか、桃花はますます縮こまってしまった。
大口を開けてタルトを頬張ったあと、咲耶はふるふると首を振り、
「ふぉんなことっ、――むぐっ、むぐっ――んん、ゴクンっ。ないと思うぞ! 桃花の作る菓子はどれも美味い! 特にスコーンは、サックリ、しっとり、ふわっ――で、最高じゃないか!」
フォークを握り締めつつ、大絶賛だ。
感心したように『へえ』とつぶやく龍生の脳裏に、ふと、結太の顔が浮かんだ。
「ああ、そう言えば。結太の父親は、腕の良い料理人だったんだが……もしかしたら、結太も料理人になるつもりでいるのかもしれないな。父親のことを、すごく尊敬していたようだったし。だとすると……伊吹さんがパティシエールを目指せば、ちょうどいいと思わないか?」
「え?……『ちょうどいい』?」
桃花は不思議そうに首をかしげる。
龍生はにこりと笑って、
「結太が料理を作って、伊吹さんがデザートを……なんて、素敵だろう? 将来、二人でカフェや喫茶店、洋食屋、小さなフランス料理店……とかね。いろいろ夢が広がるじゃないか」
まるで、そうなるのが当たり前であるかのように言ってのける。
初めはポカンとして聞いていた桃花の顔は、みるみるうちに赤く染まって行き――……。
「な…っ! ななな何を言ってるんですかっ? どっ、どどっ、どーしてわたしと楠木くんがっ、一緒におみっ、お店を――っ、ケホッ! ケホケホッ、コフッ」
「わああっ! 桃花だいじょーぶかっ?――あっ、ほら! 紅茶飲んで落ち着けっ」
急に咳込んでしまった桃花に紅茶を差し出し、咲耶は慌てて背中をさすった。
それから龍生をキッと睨み、
「いきなり何を言い出すんだ秋月っ!? 妙なこと吹き込むなっ! 可哀想に、むせてしまったじゃないかっ!」
また無責任に勝手なことをと、内心呆れつつ非難する。
龍生はケロリとした顔で聞いていたが、
「ああ、すまない。そういうのも悪くないのでは、と思ったんだが……。共に食の道を目指す者同士、高め合い、励まし合い……ね、良い感じだろう?」
「何が『良い感じだろう?』だッ! ちっとも良くなんかないわッ!」
咲耶はますます眉を吊り上げ、桃花の背をさすり続ける。
桃花は少しずつ紅茶を飲んで落ち着きを取り戻すと、ほぅ、と小さく息をつき、照れ臭そうに笑った。
「アハハ……。取り乱してごめんなさい。急に、思ってもみなかったことを言われたものだから、ビックリしちゃって……」
「謝る必要なんかないぞ! 今のは完全に秋月が悪い!――ほらっ、早く謝れ!」
前の台詞は桃花に、後の台詞は龍生に向かって言い放つと、咲耶は彼をギロリと睨む。
面白くなさそうにため息をついてから、龍生は素直に『すまなかった』と頭を下げた。
「よし、これでこの話は終わりだ!――桃花、秋月の言ったことなんか気にすることないぞ! こんな勝手なことを言う奴は放っておいて、お菓子を食べよう! うん、存分に食べよう! たらふく食べよう!」
再び瞳を輝かし、咲耶は次のケーキへと手を伸ばす。
龍生は気を取り直して表情を引き締めると、思いきったように口を開いた。
「二人とも。食べながらでいいから、聞いてくれ。話しておきたいことがあるんだ」
「――ん?――ング。ムグ。――ああ、そうか。――ン…ックン。そう言えば、最初からそういう話だったな。――アムッ。――うん、いいぞ。聞いててやるから、早く話せ」
忙しく口を動かしながら、咲耶が先を促す。桃花は背筋をピンと伸ばし、緊張気味にうなずいた。
二人を交互に見やり、紅茶で喉を潤して気持ちを落ち着けると、龍生は重い口を開いた。
「出来ればこの話は、あまり聞かせたくはなかったんだが――……」




