第14話 咲耶、帰りの途上でため息を繰り返す
桃花と駅までの道を歩いている途中、咲耶は大きなため息をついた。
(……五回目)
肩を落とし、とぼとぼと歩き続ける咲耶を、横目でチラリと窺いながら、桃花は心でつぶやく。
龍生に平手打ちを食らわし、『大嫌い』などと言って逃げて来てしまったことを、後悔しているのだろう。ほぼ一~二分に一回のペースで、彼女はため息をついていた。
「咲耶ちゃん。そんなに落ち込むくらいなら、どーして秋月くんのこと、叩いちゃったりしたの?」
そっとしておいた方がいいだろうかと迷いながらも、桃花は咲耶を見上げて訊ねる。
咲耶は『うぅ……』と詰まった後、今にも泣き出しそうな顔でうつむいてしまった。
「咲耶ちゃん……」
その表情を見たとたん、訊ねてしまったことを後悔した。
咲耶を傷付けたかったわけではない。
ただ、付き合い始めた人に対して、あそこまで強い拒否を示してしまっては、この後ギクシャクしてしまうのではないかと、心配になっただけなのだ。
あんな大声で。しかも、人前で。
その上、平手打ちも追加となると……。
明日、学校中でどんな噂が飛び交っているか。特に、龍生のファン達の反応が、桃花には気掛かりだった。
咲耶は、陰口などは聞き流せるタイプだとは思うのだが、それでも、まったく傷付かないわけではあるまい。
ひとつひとつは小さな傷だったとしても、その数が多ければ、心身に与えるダメージも、それだけ大きくなる。
咲耶の周りで、何事も起こらなければ良いのだが……。
咲耶を案じ、桃花が胸を痛めていると、
「……やはり、引っ叩くのはやり過ぎだったよな……」
ポツリと咲耶がつぶやいた。
「え?……咲耶ちゃん?」
顔を上げて様子を窺うと、咲耶は未だに、暗い顔でうつむいている。
慰めの言葉を掛けようと、桃花が口を開いた――その時。
「咲耶ッ!!」
龍生の声が後方から聞こえ、二人共にギョッとして振り向くと、毎度の黒塗りの高級車が、ゆっくりと近付いて来るところだった。
二人の横まで来て停まると、リアサイドウインドウ(後部座席のドアガラス)が半分ほど下げられた車内から、龍生の顔が覗いた。
「咲耶!……すまなかった。先ほどはどうかしていた。人前で君に恥ずかしい思いをさせてしまって、本当に申し訳ないと思っている! だからお願いだ、もう一度話をさせてくれ!」
真剣な表情で、彼は必死に訴えて来る。
咲耶は、人目を気にするように周囲を見回し、パッと顔を赤らめると、
「ばっ、バカッ! こんなところで、そんな大声出すなっ。思いっきり注目されてるだろうがっ」
大声で叱った後、慌てて声を抑え、龍生を軽く睨んだ。
彼は安田に、『すまん。少し咲耶と話をして来る。用が済んだら呼ぶから、どこかで暇をつぶしていてくれ』と早口で告げると、素早く車を降りた。
「とにかく、もう一度話がしたいんだ。君を怒らせたまま帰らせるなんて、不安で仕方ない。頼むから、どこかへ場所を移して、きちんと話し合おう」
龍生の殊勝な態度に、咲耶の気持ちも和らいだらしい。
まだ笑顔は見せなかったが、気まずく視線をそらせると、小さくうなずいた。
「そうか、よかった!――ありがとう、咲耶」
ホッとしたように笑う龍生を見て、桃花も胸を撫で下ろす。
落ち着いて話をすれば、きっとまた、いつもの二人に戻れるだろう。
「それじゃあ、咲耶ちゃん。わたし、先に帰ってるね?」
お邪魔だろうと思い、桃花がそう告げると、咲耶は両手でガシッと彼女の腕を掴み、
「ダメだ! 行かないでくれ、桃花! 二人きりにしないでくれっ」
何故か、潤んだ瞳で訴えて来た。
桃花は『え?』と首をかしげてから、チラリと龍生の様子を窺う。
彼は少なからずショックを受けたようで、一瞬、憂いの表情を浮かべたが、桃花と目が合うと、軽くため息をつき、
「伊吹さん、俺からもお願いするよ。俺と咲耶だけだと、感情的になってしまう恐れがあるから……もし迷惑でなければ、君にも立ち会ってほしい」
仕方なくだろうが、そう言って、軽く頭を下げた。
確かに今の咲耶なら、感情的になってしまう恐れはあるだろう。
だが、自分が一緒にいたとしても、それを止められる自信はない。
だとすると、やはり、二人きりで話をした方がいいのではないだろうか?
……とは思うものの、咲耶は桃花の腕を掴んだまま、『見捨てないでくれ』と、瞳で強く訴えて来る。
ここまで弱気になってしまっている咲耶を冷たくあしらえるほど、桃花も薄情ではない。小さくハァ、とため息をつき、
「わかりました。わたしがいても、何の役にも立てないだろうとは思いますけど……。わたしがいることで、咲耶ちゃんが安心していられるのなら」
あまり気は進まなかったが、立ち会うことに同意した。
咲耶はパアッと表情を明るくすると、
「ありがとうっ、桃花!!」
そう言って、桃花をギュッと抱き締める。
桃花は焦って、龍生に視線を走らせたが、彼は僅かに眉根を寄せ、二人を凝視していた。
(うぅ……。わたし、未だに秋月くんに、ライバル視されてるような気がするんだけど……。き……気のせい、かなぁ?)
龍生からの冷たい視線をひしひしと感じつつ、桃花は咲耶の背に手を回し、
(咲耶ちゃん……わかったから。感謝の気持ちは、もう充分伝わったから。だから……ね? そろそろ解放して……?)
との思いを込め、軽くポンポンと叩いた。




