第8話 咲耶、瞬く間に広まった噂に呆然とする
咲耶と桃花が高校に着いた頃には、『龍生と咲耶が付き合い始めたらしい』という噂は、学校中に広まっていた。
いったい、どこから伝わったのだろう。
情報拡散のあまりの早さに、二人は愕然とした。
「な……な……っ、何故だ!? 私は、電車の中で桃花に話しただけなのに……。他では一切、口にしたことすらないのに……。なのに何故!? 何故学校に着いたとたん、私と秋月が付き合い始めたって話が、あちこちから漏れ聞こえて来るんだ!?」
ショックを受けたように、咲耶は昇降口前で立ち止まる。
桃花は慌てて、
「ごめんね、ごめんね咲耶ちゃんっ! きっと、わたしのせいだよ。わたしが電車の中で、大声出しちゃったから……。それを聞いてた子がいて、すぐに誰かにスマホで知らせて……それを受け取った子が、また他の誰かに知らせて……って言う風に、話が広まってっちゃったんじゃないかな?」
「……そ……そうか……。なるほど……」
未だショックから立ち直れていないらしい咲耶に、桃花は思い切り頭を下げた。
「ごめんなさいっ、咲耶ちゃん! わたしのせいで、こんなに早く、学校中に知れ渡っちゃって……」
「い、いやっ! 桃花のせいじゃない! 私が、あんなに人が密集した場所で、話したりしたからいけないんだ! だから、桃花は悪くない! 頭を上げてくれ!」
そう言って、咲耶が桃花の肩に手を置いた瞬間。表で大きなざわめきが起こった。
咲耶と桃花が何事かと振り向くと、数十メートル先の校門に停まっている、黒塗りの高級車が目に入った。
後部座席のドアが開き、龍生が降りて来ると、ざわめきは一層大きくなる。
咲耶は桃花の両肩に手を置き、
「ど――っ、どどどどーしようっ!? 秋月がこっちに向かって来るっ!!……は、早くっ……早くここから逃げなければッ!!」
「ええっ!? どーして逃げるの咲耶ちゃんっ? 彼女が逃げ出すなんておかしーよっ? 今度は、秋月くんに誤解されちゃうよっ?」
駆け出そうとする咲耶の腕を慌てて掴み、桃花は必死に引き止める。
咲耶はハッとしたように足を止めると、
「あ……。そ、そうか。そうだよな? 私は彼女なんだ。逃げる必要はないんだよな。……だ、だが、秋月はこの学校では、王子扱いされているし……。そんな奴と付き合ったら、女子の反感が……。い、いやっ。私は桃花さえいてくれるのなら、クラスや学校で孤立しようが、陰口をたたかれようが、嫌がらせを受けようが、全然へっちゃらなんだが。……だが、私と付き合うことによって、秋月の評価が著しく下がったり……何か、そーゆー問題が発生したりはしないだろうか? あいつは、周りの評価で持ってるような奴だからな。その全てが失われたら、さすがに参ってしまうんじゃないだろうか?……やはり、私のようなつまらない女と付き合うのは、考え直した方がいいんじゃ……」
咲耶はどんどんマイナス思考になって行く。
龍生だけではなく、咲耶自身も、男女共から絶大な支持を得ている人気者だ。
それなのに何故、ここまで自虐的になっているのだろう?
(う~ん……。もしかして咲耶ちゃん、自分もすっごく人気者だってこと、気付いてないのかな? 男の子はもちろんだけど、女の子の中にも、『保科さんって、いつも凛としててカッコイイ!』とかって言ってる子、結構いるんだけど……。あれだけキャーキャー言われてても、気付かないものなのかなぁ?)
桃花は不思議そうに首をかしげるが、自分に向けられている好意がどれだけ多いかなど、咲耶が把握しているわけがない。
何故なら、咲耶は基本、桃花しか目に入っていないからだ。
桃花に向けられている熱い視線――などであれば、すぐに気付くかもしれないが。
自分が他人にどう思われているかは、まったく気にもしていないのだった。
とにもかくにも、二人があれこれ迷っているうちに、龍生は校舎前の階段を上り、昇降口へと姿を現した。
龍生はまっすぐ咲耶達の方まで歩いて来ると、
「おはよう、咲耶」
きちんと目を合わせ、朝の挨拶をする。
「おっ!――お、お、おはっ、……おはっ――、お、おははは――っ」
「おはようございます、秋月くん」
緊張のあまりか、挨拶すらスムーズに出来なくなっている咲耶に代わり、桃花は慌てて間に入った。
龍生は桃花に挨拶を返してから、不思議そうに咲耶を見つめ、
「どうかしたのか、咲耶? 舌がもつれているようだが……具合でも悪いのか?」
そう言って、咲耶の後頭部を抱えるように引き寄せてから、少し屈み、彼女の額に自分の額を押し当てた。
周囲では、キャーーーッという、悲鳴とも歓声とも取れるような声が上がる。
「ん? 少し熱いな。……よし。保健室に行って、熱を測らせてもらおう」
龍生は小さくうなずいてから、真っ赤になって硬直している咲耶の手を取った。
彼女はハッと我に返り、
「だっ、大丈夫だ! 熱などないッ!! 私は至って健康だッ!!」
焦って龍生の手を振り解こうとしたが、龍生は納得しない。しっかり咲耶の手を握ったまま、
「いや、ダメだ。そんなことを言って、もし熱があったらどうする? 風邪など引いて、学校を休むようなことになったら、その間会えなくなるじゃないか。そんなこと、一日だって耐えられない。すぐに熱を測って、まったく心配いらないことを、俺の前で証明してくれ」
大袈裟なことを言い、グッと詰まってしまった咲耶の手を強引に引っ張って、保健室のある方向へと歩き出した。
桃花はただただ呆然とし、見送るのみだったが、龍生は途中で振り返ると、
「すまない、伊吹さん。そういう訳だから、俺と咲耶はここで失礼するよ。熱がないことがわかったら、俺が責任持って、咲耶を教室まで送り届ける。君はこのまま、自分の教室に向かってくれ」
口を挟む隙を与えないまま、一方的に告げると、龍生は咲耶の手を引き、歩いて行ってしまう。
咲耶は片手を引かれながら、『すまん、桃花! ま、また昼休みになっ』と、龍生に握られていない方の手を、桃花に向かって振ってみせた。
桃花はコクリとうなずいてから、咲耶に手を振り返し、しばらくその場に立ち尽くしていたのだが。
数分後。フッと笑みをこぼし、
「いいなぁ、咲耶ちゃん。あんなに大事にしてもらえて……」
しみじみと、羨ましそうにつぶやいた。




