第5話 咲耶、龍生の結婚宣言にうろたえる
「けっ、けけけ結婚ってっ! な、何を言ってるんだおまえはっ!? 私達はまだ高校生でっ、卒業まで、まだ一年半以上もあってっ、じゅ、十八歳にだってなってないしっ、そ、それにっ、それにええとっ、ええとっ、……ええ~っとぉ~……っと、とにかくまだっ、結婚なんて出来るわけないだろうどー考えてもッ!?」
龍生の口から、いきなり『結婚』というワードが飛び出し、咲耶は混乱した。
自分の肩を抱いている龍生に向かい、慌てて訴えたのだが、彼はケロリとした顔で。
「べつに、『今すぐ結婚しよう』と言っているわけではないよ。将来、結婚する意思があるということを、表明しただけだ。それの何がいけないんだ?」
「ひょっ、表明って……。ででででもっ、付き合うことになった初日に、そんなこと言ってしまっていいのかっ? 付き合っているうちに、私のことが嫌いになるかもしれないぞっ?」
龍生はフッと笑うと、咲耶の耳元に口を寄せ、彼女だけに聞こえるほどの声でささやく。
「今更、俺が咲耶を嫌いになるわけないだろう? どれだけ長い間、君だけを見つめ続けて来たと思っているんだ?」
「~~~~~っ!」
咲耶の顔が、これ以上は無理だと思えるほど、赤く染まって行く。
それを見た倭が、
「あっ! またおねえちゃんの顔、真っ赤っかだ!」
と言えば、
「あーーーっ!! ナイショ話ズルいーーーッ!! 今なんて言ったんだ!? 教えろよーーーッ!!」
建は龍生の制服を掴み、グイグイと引っ張る。
「こ、コラっ、建! 服を引っ張るな!」
「ヤダヤダーーーッ!! おいっ、教えろってば! 教えろーーーーーッ!!」
「ダメだよ建っ。おねえちゃんの言うこと聞かなきゃ」
「うっさいぞ倭っ! 一人だけいー子ぶってんじゃねー!」
「いい子ぶってなんかないよっ! 建がギョーギ悪いから、やめろって言ってるだけだろっ?」
「それがいー子ぶってるって言ってんだよ! いっつもオレだけワルもんにしよーとすんだかんなー、倭はー!」
「そっ、そんなことしてないよ! 建こそ、ボクをワルものにしよーとしてるっ!」
「ちょ…っ! やめろ二人ともっ! ケンカなんかするなっ!」
三姉弟のやりとりを聞いている間、龍生はずっと、建に制服を引っ張られ続けていた。
それでも、騒々しくて大変だとは思うものの、少しも不快ではないのが不思議だった。
龍生はどんどん楽しくなって来て、仕舞いには『プッ』と吹き出してしまった。
「秋月?」
口元を片手で覆い、クスクス笑っている龍生を見て、咲耶が不思議そうに首をかしげる。
建も、龍生の制服を引っ張るのをやめ、倭と共に、きょとんとした顔で龍生を見上げていた。
「い……いや、すまない。姉弟のやりとりとは、毎日こんなに賑やかなものなのかと思って。俺は兄弟がいないから、わからないことだらけなんだが……。たまには、こういうのも悪くないな」
龍生の笑い方はとても自然で、いつもの作り上げたような〝王子様スマイル〟とも、咲耶をからかっている時に見せる、少し意地悪な笑顔とも違っていた。
その笑顔を目にしたとたん、咲耶の心臓は大きく跳ね上がり、体温は一気に上昇した。
普段はあまり見ることの出来ない、素直な反応に、不覚にもときめいてしまったようだ。
咲耶の変化に目ざとく気付いた時子は、
「ウフフッ。咲耶ったら、ポ~っとしちゃって~。秋月くんに見惚れちゃってるの~?」
からかい口調で訊ね、口元に手を当ててニンマリしている。
咲耶はますます顔を赤らめ、『ちっ、違うッ!! そんなんじゃないッ!!』と即座に否定した。
だが、倭と建にじーっと見つめられていることに気付くと、慌てて両手で顔を覆い、
「違う違うッ!! 見惚れてなんかいないッ!!……そーゆーんじゃないんだよ、もぉぉお~~~っ!!」
イヤイヤをするように、体を左右に捻る。
倭も建も、こんな姉を見るのは初めてだったらしい。珍しいものでも眺めるように、しげしげと見つめている。
「ウフフッ。咲耶をからかうのはここまでにして、っと。みんなー、紅茶淹れたから、一緒に飲みましょう? 倭と建は、お菓子だけね。――あ。夕食前だから、一個だけにしておきなさい? 安田さんも、子供達の相手をしてくださってお疲れでしょう? こちらに来て、座ってくださいな」
いつの間にか、テーブルの上には数種類の菓子が入った大皿と、紅茶の注がれた人数分のティーカップが置かれていた。
倭と建は『わーい』と歓声を上げ、菓子をひとつずつ取ると、『キンシローと遊ぼー!』などと言い、庭へ駆け出して行った。
龍生と咲耶、安田も恐縮しつつ椅子に座り、時子も、皆が座ったのを見届けてから腰を下ろした。
「おやつの時間にしては、少し遅くなってしまったけど……。せっかく頂いたんですもの。ありがたく頂戴しましょう」
咲耶は菓子皿に目をやると、
「あっ、蒲公英庵の和菓子だ! ここのはどれも美味いんだよな」
テーブルへと近付いて饅頭らしきものを手に取り、嬉しそうに顔をほころばせた。
龍生もうなずきながら、
「ああ。ここの栗饅頭は、結太の大好物なんだ。餡の甘さがしつこくなくて、俺でも食べられるものだから、祖父がよく買っておいてくれてな。昔から贔屓にしている店のひとつだよ」
「へえ~、そうなのか。栗饅頭はもちろん美味いが、私はやはり、ここの胡桃パイが好きだな」
「胡桃パイか。じゃあ、今度はそれを土産に持って来よう」
「ホントか!?……ふふっ。それは楽しみだな」
龍生の隣で楽しそうに笑っている娘を、時子は微笑ましく思いながら見つめていた。
ついこの間まで、恋とは無縁な日々を送っていたのに、今の咲耶は、恋する乙女そのものだ。
「……恋は偉大ねぇ」
ぽつりとつぶやくと、時子は片手でティーカップを持ち上げる。そしてほんの少し気取りながら、紅茶の香りを堪能した後、ゆっくりと口に含んだ。




