第4話 龍生と咲耶、戯れの時を終える
二階から下りて来た龍生と咲耶は、揃って居間に向かった。
するとそこには、倭を肩車し、建の両手を持って、ぐるぐると回転している安田の姿があった。
倭と建は、キャーキャー、キャッキャと、はしゃいだ声を上げている。
異常なほどの懐きぶりだ。
龍生も咲耶も、しばし呆気に取られてしまった。
「あら。もう下りて来たの、二人とも? ずいぶん早かったのねぇ。……フフッ。こんなに短くていいの? イチャイチャする時間、足りた? べつにいいのよー、こっちのことは気にしなくても?」
二人の姿を認めると、洗い物を片付けていたらしい時子が、エプロンで両手を拭きながら近付いて来た。
咲耶はたちまち真っ赤になって、
「い、イチャイチャなんてしてないッ!! これっぽっちもしてないッ!! へ、変なこと言わないでくれ、母様のバカッ!!」
そんな言葉を投げつけた後、素早く龍生の背に隠れる。
言っていることとやっていることがチグハグだ。
これで無意識だというのだから、恋とはなんと恐ろしいものか。
「あらあら。咲耶ったら、赤ちゃんみたい。すっかり秋月くんに甘えちゃってー」
時子は娘の様子に満足げに微笑むと、からかうようなことを言って小首をかしげた。
咲耶は龍生の陰からひょっこり顔だけ出し、反論する。
「だっ、誰が赤ちゃんだって!? 私は甘えてなんかいないッ!! いくら母様でも、言っていいことと悪いことがあるんだからなっ!? 私だって、仕舞いには怒るぞっ?」
(『仕舞いには怒るぞ』って……もう充分怒ってるじゃない。『甘えてなんかいない』なんて言っておいて、秋月くんから離れようともしないし……。自分が今、どういう状態にあるかってこと、本当にわかってないのかしら?)
時子は笑いを噛み殺しつつ、龍生にソファに座るよう促す。
龍生は軽く会釈してから、『それでは、失礼します』と言って腰を下ろした。
「秋月くんは、コーヒー派? それとも紅茶派? 緑茶もあるけど、どれがいいかしら?」
「家では紅茶が多いのですが、コーヒーでも緑茶でも大丈夫です。苦手なものはありませんから」
「あら、そうなの? それじゃあ、久し振りにティーポットで紅茶淹れちゃおうかしらっ。この前お土産で頂いたばかりの、外国製の紅茶があるのよね~。それじゃ、ちょっと待っててね?」
「はい。ありがとうございます」
時子がキッチンに引っ込むと、龍生は、ソファの横でずっともじもじしている咲耶に顔を向け、『座らないのか?』と訊ねた。
咲耶は『あ、ああ』と返事はするものの、相変わらず立ったまま、もじもじもじもじしている。
「どうした、咲耶? 俺の横に座るのが嫌なのか? 嫌なら、俺は一人掛けのソファに座らせてもら――」
「嫌じゃないッ!!」
思わず大きな声を出してしまい、咲耶はハッとして周りを見た。
居間の真ん中では、倭と建にまとわりつかれたままの安田が、驚いたような顔で固まっている。
倭と建は、安田に抱きついた状態で、目をまん丸くしていた。
今まで二人に気付いていなかったらしい彼らは、咲耶が目に入ったとたん、安田から離れて駆け寄って来た。
「ねーちゃん、どーしたんだっ? そいつになんかされたのかっ?」
「おねえちゃん、だいじょーぶ?」
弟達に両腕を片方ずつ掴まれた咲耶は、慌てて首を振り、取り繕うような笑みを浮かべる。
「だ、大丈夫だ。べつに、何かされたわけじゃないんだ。急に大きな声を出して、驚かせてしまったな。……すまん。お姉ちゃんが悪かった」
それぞれの頭を撫でながら、そう説明したのだが、二人はまだ、龍生のことを受け入れてはいないらしい。じとっとした目を龍生に向けると、まるで姉をかばうかのように、両手を広げて前に立った。
「おっ、おい。倭、建。本当に、そのお兄ちゃんに何かされたわけじゃないんだ。誤解するな。今のは、私が悪かったんだ。妙に意識し過ぎてしまっ――……あ。……いや……その……」
咲耶の顔が、見る間に赤く染まって行く。
それを目にした倭と建は、目をまん丸くして騒ぎ出す。
「ねーちゃん、顔まっかっかだぞ!? 熱か!? 熱あるのかっ!?」
「たいへん! ボク、タイオンケーもってくる!」
「あああっ、違うんだ建!――倭もっ! 大丈夫だ、体温計は必要ないっ」
咲耶は焦って、薬箱のあるところへ走って行こうとする倭の腕を、むんずと掴んで引き戻した。
「だって、そんなに顔赤いのヘンだよ! ぜったい熱あるよ!」
倭は心配そうに咲耶を見上げたが、咲耶は必死に首を振る。
「だから違うんだ倭っ! これは…っ、顔が赤いのは、熱のせいじゃなくてっ、その……」
どう説明したものかと、咲耶が困り果てていると、時子がお盆に紅茶を載せて現れた。
「そうよー、倭。お姉ちゃんの顔が赤いのはねえ、ここにいるお兄ちゃんと、本日めでたく、恋人同士になれたからなのよー? 付き合い立てホヤホヤだから、まだ恋人っぽいことするのに慣れてなくて、照れちゃってるの。それだけよー? だからまーったく心配いらないの。わかったー?」
「か…っ、母様っ! またそーやって余計なことを――っ」
咲耶は更に顔を赤らめ、時子を恨めしそうに睨み付ける。
倭は姉を見上げながら、『あっ! また赤くなった!』と驚きの声を上げた。
「ねーちゃん、こいつと付き合うのか!? じゃあ、こいつがオレ達のにーちゃんになるってこと!?」
「えっ!? おねえちゃん、もうケッコンしちゃうの? この家からいなくなっちゃうの? そんなのヤダよ!」
「そっか! ケッコンしちゃうってことは、家から出てっちゃうってことなんだ!? じゃーヤダ! オレ、はんたいはんたいはんたーーーいッ!!」
「ボクも! ぜったいぜったいはんたーーーいッ!!」
結婚などという単語は、一切出なかったはずだが。
〝お姉ちゃん大好きっ子〟の二人は過剰に反応し、勝手に決めつけ、大騒ぎし始めた。
弟達の反応に焦った咲耶は、〝恋人になる〟ことと〝結婚する〟ことは、また別の話なのだと、説明しようとしたのだが。
それまで無言を貫いていた龍生が、急にソファから立ち上がり、咲耶の側まで来て肩を抱き寄せると、
「ああ、そうだ。付き合いが順調に進めば、俺は君達の姉さんと結婚する。いつか必ず、君達の義兄さんになるわけだ」
倭と建に向かい、当然のことのように言ってのけた。
唐突な結婚宣言に、倭と建はポカーンとして龍生を見上げ、咲耶も目を大きく見開いて固まっていた。
そして数秒後。
「ええええええーーーーーーーッ!?」
三人同時に、驚愕の声を上げたのだった。
 




