第3話 咲耶、ドアに鍵を掛けられ警戒を強める
その後しばらく、咲耶は龍生を罵り、且つ警戒して、決して側に寄ろうとはしなかった。
龍生はやれやれと肩をすくめてから、『ああ、そうだ』とつぶやき、落ち着いた足取りで、ドアへと近付いて行く。
今度は何をするつもりだと、更に警戒しつつ咲耶が目で追っていると、彼は当たり前のことをするかのように、ドアノブへと手を伸ばし、ガチャリと内鍵を掛けた。
「ちょ…っ! な、何やってるんだ!? 今、どーして鍵なんか掛けた!?」
困惑して訊ねると、龍生はくるりと振り向いて。
「さあ? どうしてだと思う?」
咲耶の様子を探っているのか、意味ありげな笑みを浮かべる。
「ど――っ、どーして、って……」
鍵を掛ける理由だと?
普通に考えれば防犯だろうが、家に人がいる状態で、一部屋のみに鍵を掛ける理由となると……。
そこまで考えて、咲耶は、その先にある答えに辿り着くことを拒否した。
知りたくもない答えに、辿り着いてしまう気がしたからだ。
「ど、どーしてって……そんな問答なんかに付き合ってやる義理はないッ!! だから答えないッ!!……そ、そんなことより、勝手に鍵なんか掛けるな! ここは私の部屋だぞっ!?」
「ああ、そうだな。勝手が気に入らないのなら、早くここへ来て、鍵を開けたらいいじゃないか」
龍生はドアの前で腕を組み、相変わらずの、憎たらしいほどの余裕の笑みで、咲耶の出方を窺っている。
咲耶はぐぬぬと詰まりつつも、ここで弱味を見せたら負けだとでも思ったのか、キッと龍生を睨み付けた。
「嫌だッ!! ここは私の家で、私の部屋なんだからな! おまえの思うようにはさせん! ドアはおまえが開けろッ!!」
「嫌だと言ったら?」
「いっ、嫌っ? 嫌って……。どっ、どーゆーことだ!? ここは私の部屋なんだから、私が開けろと言ったら開け――」
「開けたいなら、さっさとここに来て開ければいいだろう? 邪魔はしないぞ?」
「うっ、嘘だっ! またそんなことを言ってっ」
「本当だ。咲耶が鍵を開けたいのなら、邪魔はしない」
龍生はキッパリと宣言し、ドアノブの側から数歩分、立つ位置を移動させる。
妙に素直だなと訝しく思いながら、咲耶はしばらく身じろぎもせず、彼の様子を窺っていた。
だが、ずっとこうしていても、らちが明かない。
咲耶は警戒したまま、少しずつ、ドアの方へと近付いて行った。
ドアまであと数歩と言ったところで、一度足を止め、龍生にチラリと視線を移す。――動く気配はない。
それでもまだ、油断は禁物だ。
あの龍生が、自ら鍵を掛けておいて、何もして来ないわけがないのだから。
警戒を緩めることなく、龍生の様子を窺いつつ、咲耶はジリジリと歩を進める。
そしてドアの前まで来ると、素早く内鍵へと手を伸ばした。
カチャリ。
鍵を開け、咲耶はホッとして手を離す。
だが、鍵を開けるために視線を外した、ほんの一瞬。その時を待っていたとばかりに、横から龍生の腕が伸びて来て、彼女の手首を掴んだ。
「なっ、何をす――」
言い終わる前に、龍生は己の腕の中に、彼女を閉じ込めることに成功していた。
とたんにカーッと頭に血が上った咲耶は、腕の中でジタバタともがきつつ、龍生を罵る。
「こ…っ、この嘘つきめッ!! 邪魔はしないと言ったじゃないかッ!!――嘘つきッ!! ペテン師ッ!! 詐欺師ッ!! 山師はったり屋ホラ吹き与太郎ーーーーーッ!!」
「嘘などついていない。俺は、鍵を開ける邪魔はしないと言ったんだ。言ったとおり、邪魔はしなかっただろう? よかったじゃないか、無事鍵が開けられて」
「う――っ!」
確かに、鍵は開けられた。
開けられた……が、果たしてこれは、喜んでいい状況なのだろうか?
咲耶はしばし考え込んだ。
しかし、どう考えても、龍生の言うことは詭弁――屁理屈のようにしか思えず、少しも釈然としない。
「……う、むぅぅ~~~……っ! ほんっ……っとに、おまえという奴はぁあああああッ!!」
あまりの腹立たしさに、咲耶は地団太を踏みたくなった。
まったく、よりにもよって、どうしてこんな男を好きになってしまったのだろう。
男を見る目がないのかと、自分が信じられなくなりそうだった。
「もうっ、次は絶対、ぜーーーーーったい、こんな汚い手には引っ掛からないんだからなッ!? いつも上手く行くと思うなよ!? 次こそ、おまえの悪だくみなんて、かーるくかわしてやるんだからなーーーーーッ!?」
さも悔しそうに言い切ると、咲耶は、龍生をポカポカと叩きまくった。
しかし、咲耶の二の腕は、龍生の腕でしっかりと抱き締められているため、どんなに思いきり叩いているつもりでも、龍生が痛みを感じるほどの威力はなかった。
龍生はクスクス笑いながら、
「へえ。それは楽しみだ。俺も一度でいいから、咲耶に一泡吹かされてみた――……っと、ああ、そう言えば。既に一泡吹かされているんだったな。……いや。一泡どころか、二泡か」
という意味ありげなことを、耳元でささやいた。
咲耶は『へっ?』と間の抜けた声を上げると、
「……『一泡どころか、二泡』?……いったい、何のこ――」
最後まで言わせてもらえぬまま、顔を上げた咲耶の唇に、龍生の唇が重なった。
咲耶はギョッとして息を呑み、目を大きく見開いたまま静止する。
数秒後。そっと唇を離した龍生は、
「まずは病院で。次は今日、この部屋で。……一泡どころか、二泡吹かされてしまったからな。これはお返し」
そう言うと、フッと微笑んだ。
とたん、ボボボッと着火でもしたかのように、咲耶の全身は熱くなり、顔どころか首元までも、濃いピンク色に染まって行く。
咲耶は慌てて、龍生の胸元に顔を埋めた。
「うぅぅ~~~……っ、もうっ! バカバカバカバカッ!! この大バカヤロウッ!! 何なんだよいきなりっ、何なんだよ~~~~~ッ!!」
恥ずかしさを紛らわすためか。その後も、しきりに『バカ』と『バカヤロウ』を連呼している。
龍生は、『可愛くて堪らない』とでも言いたげな、とろけそうな笑顔で咲耶を見つめると。
「だから、『お返し』だよ。最初に不意打ちのキスをして来たのは、咲耶の方だろう? 同じことをして、俺の方だけ責められるのは、理不尽だと思わないか?」
咲耶はむぐぐと詰まった後、再び、彼の背や肩を叩き始めた。
「うるさいうるさいッ!! 私はただ、おまえへの気持ちが何なのかを、確かめたかっただけだッ!! 病院でのことは――っ、あ、あれは……あれはただの、お詫びの気持ちの表れだしっ! べつに、特別な意味があったワケじゃないっ!」
「……へえ。病院でのキスは、お詫びのキスか。……では、さっきのキスは? 今日、君が俺にキスしたのは、俺への気持ちが何なのかを、確かめたかったからなんだろう? 結論は出たのか?」
「そ――っ、それは……」
返答に窮したかのように、咲耶は沈黙してうつむいた。
それから、再び両手を龍生の背中に回し、ギュッと抱きつくと、
「うぅぅ~~~……。おまえなんか嫌いだッ!! 嫌い嫌いっ、大っ嫌いぃ~~~~~っ」
悔しげに告げた後、
「…………好きだ。……バカ」
耳を澄ませなければ聞こえないほどの声で、すねたようにつぶやいた。




