第17話 龍生、ドアが開いたとたん咲耶を抱き締める
「咲耶!」
想い人の顔を見たとたん、龍生は心底ホッとして、彼女を胸に掻き抱いた。
「な――っ?……ばっ、バカっ、離せッ!! すぐ、こーゆーことしたりするから――っ、お、女ったらしだと言うんだ!!……バカッ!! バカバカっ、離せってばッ!!」
「嫌だ!! 『許す』と言ってくれるまで離さない!!」
龍生は更に腕の力を強め、咲耶の体を締め付けてくる。
苦しさのためか。それとも、龍生の体温と鼓動が、直で伝わって来るためか。
咲耶の体は一瞬にして熱くなり、心臓も、うるさいほど暴れ始めた。
「ま、また脅迫かッ!? どーしておまえは、そーゆーことばっかりするんだッ!? 私がセクハラや脅迫をされたと訴えたら、おまえ、絶対捕まるぞ!? しょ、証拠不充分で罪を免れたとしても、〝警察に連れて行かれた〟ってことが世間にバレたら、今までのおまえに対する評価なんか、全部台無しになるんだからなっ!?――そっ、そーゆーこと、ちゃんとわかってるんだろーな!?」
大きく高鳴る心臓の音をごまかすため、わざと大声で言ってみる。
このまま、ただ黙って、龍生の腕に抱かれていたら、またあの時のように――屋上で抱き締められた時のように、ぼうっとしてしまう気がして……。
龍生の腕に、ずっと包まれていたい――などと思ってしまう気がして、怖かったのだ。
「咲耶は、俺が嫌いか? 鬱陶しくて、顔も見たくないと思えるほどにか? こうしている間も……俺から離れたくて仕方ないのか?」
「――ふぇっ?」
直球の質問に、思わず妙な声が漏れる。
咲耶は慌てて唇を結び、両目もギュッとつむった。
(『俺から離れたくて仕方ないのか』、だと?……む、ぐ……っ。んんぅぅぅ~~~……っ! そーじゃないから、困ってるんじゃないかーーーーーッ!!)
咲耶は心で絶叫した。
龍生の腕に包まれていると、ホッとするのだ。
ムカついているはずなのに、何故か、抱き締められても拒絶する気にならない。
そのことが、咲耶には不可解で堪らなかった。
それだけではない。
龍生に抱き締められていると、『離れたい』『離れたくない』という感情が、交互に湧き上がって来てしまう。いったいどちらが本心なのかと、頭がぐるぐるして来る。
そうして、混乱の渦の中、否応なく龍生のペースに巻き込まれ……気が付くと、流されてしまっている。それが毎度のパターンだ。
……それは避けたい。
この前のように、龍生の腕の中で、うっとりした状態に陥るのだけは、絶対に阻止しなければ。
……そう思っているのに。
思っているはずなのに。
どうしてこんなにも、離れ難い気持ちになるのだろう――?
咲耶は徐々に力を抜き、観念したかのように、龍生の胸にもたれ掛かった。
どんなに矛盾していようが、己の内に『離れたくない』という想いがあることは、疑いようのない事実なのだ。
意地でも否定し続けていたかったが……こうなっては仕方がない。
潔く認めてしまおう。
咲耶は恐る恐る背中に手を回すと、龍生の体にギュウっと抱きついた。
「――っ!……さ……咲耶?」
緊張のためだろうか。龍生の声が僅かにかすれている。
咲耶が抱き締め返して来るとは、夢にも思っていなかったのだろう。
龍生は胸の高鳴りを意識しながら、咲耶の次の台詞を待った。
「私が今、おまえのことをどう思っているか。……それが知りたいんだよな?」
数分の沈黙の後。
咲耶の、つぶやくような問い。
……いよいよか。
ようやく、告白の返事がもらえるのかと、息苦しいほどの期待と不安に、龍生は胸を高鳴らせた。
「ああ。……知りたい」
緊張で声がこわばる。
すると、唾を飲み込む音が腕の中から聞こえ、龍生はハッと目を見開いた。
咲耶も緊張しているのか――。
いささか安堵したものの、次に彼女が口にした言葉は。
「わかった。そんなに知りたいなら教えてやる。――おまえなんか嫌いだッ!!」
声を限りに『嫌い』だと断言され、さすがの龍生も、すぐには二の句が継げなかった。
一瞬頭が真っ白になり、軽いめまいに、片手で額を押さえる。
全て〝終わった〟と失念した龍生は、ギュッと瞼を閉じ……しばらくは、呼吸を整えることだけに集中した。
「……ああ――。やはり、な……。好かれているとは、思っていなかったが……」
ようやく口からこぼれ出た言葉は、あまりにも弱々しく……正直、自分でも引いてしまうほど、情けなく響いた。
しかし咲耶は、『嫌いだ』との言葉に反し、更に強く龍生を抱き締めると。
「嫌いだ! 大っ嫌いだッ! いつもいつも、こっちの気持ちなんかお構いなしで! やりたい放題言いたい放題、勝手ばっかりだし! 『俺を好きになれ』とか、『君にふさわしい男は俺だけだ』とか、やたら自信過剰な発言するかと思ったら、今度は急に、『嫌いにならないでくれ』とかって言って来るし!……まったく。自信があるんだかないんだか、さっぱりわからないんだよおまえは! その上、嘘はつくわ脅迫はするわセクハラはするわ――。やることなすことメチャクチャで、ついて行けないんだよッ!! お前が現れてから、私は毎日毎日イライラしてムカムカしてぐるぐるしてキュウキュウして、精神的に追い詰められてばっかりなんだからなッ!? ホントにもう…っ、おまえといると終始落ち着かないし、心臓に負担掛けられるしで、散々なことだらけだ!! だから――っ、私はおまえが嫌いだッ!! 嫌い嫌い嫌いッ、世界中でいっ……ちばん、大っ嫌いだーーーーーーーッ!!」
龍生の背を思いきり抱き締めながら、咲耶は大声で訴える。
咲耶の髪に片手をそっと添えると、龍生は憂い顔でつぶやいた。
「咲耶……」
切なげな声に、胸がキュウッとなる。
それと同時に、鼓動はますます速まって、サウナに放り込まれた時のように、全身が熱くなるのだ。
今まで自分がされて来たことを考えたら、嫌いで当然なのに。
むしろ、好きになれる要素の方が、極端に少ないだろうと思えるのに。
……なのに、何故?
龍生の悲しそうな声を聞いただけで、どうしてこんなにも、胸が痛くなるのだろう?
嫌いだと思っているはずなのに、自分から、抱きついたりしてしまうのだろう?
…………わからない。
いや。
わからないままでいたかった。
恋だの愛だのメンドクサイし、自分にはまだまだ縁のないこと。
そう思っていたかった。その方が楽だったから。
……けれど、もう遅い。
気付いてしまった。
ハッキリと、自覚してしまった。
「おまえなんか……嫌いだ。……嫌い。嫌い嫌いっ。……嫌い、なのに……。なのに、どーして……」
いつの間にか、涙声になっていた。
龍生はハッと息を呑み、慌てて彼女の両肩に手を置き、体を離す。
それからささやくように名を呼び、おずおずと顔を覗き込んだ。
「おまえみたいな奴は嫌いだ!……嫌いなはず……なんだ。……なのに……なのに、おかしいんだ。どーしても……どーしても、おまえが側にいない毎日が……もう、想像出来ない。……嫌い、なのに……。嫌いなのに、ずっと側にいてほしい……なんて、どうかしている。私は……私はおまえのせいで、矛盾だらけのおかしな人間になってしまった……っ!」
咲耶はキッと龍生を見上げ、目に涙を溜めながら、
「ムカつくから、一発殴らせろ!」
唐突に、そんなことを言い出した。
「……えっ?」
話の流れからすると、この後はきっと、『すごく悔しいが、おまえが好きだ!』――というような展開になるのだろうと、密かに期待してしまっていたのだが……。
思いきり肩透かしを食らい、龍生は呆然として固まった。
すぐには反応出来ず、しばらくはただ、無言で咲耶を見返していた。
だが、視線が全く外れないことで、彼女が本気だということを覚ると、
(……やれやれ。捨て身の告白も、どうやら失敗に終わったようだな)
心でつぶやき、軽くため息を漏らした。
ここで嫌だと言っても、彼女は納得してくれないだろう。
抗うことを早々に諦め、龍生は微かに笑みを浮かべ、うなずいた。
「いいよ。俺を殴ることで、君の気が済むのなら」
「……よし。目をつむって、歯を食いしばれ」
「――こうか?」
素直に目を閉じたとたん、両腕を掴まれ、唇に、柔らかいものが触れる感覚がした。
ギョッとして目を開けると、これ以上近付けないという距離に、咲耶の顔があり――……。
数秒後。
咲耶はそっと瞼を上げた。
とたん、龍生と視線が重なり、恥ずかしそうに睫毛を伏せ……顔を見られるのが嫌だったのか、彼の腰に手を回し、再びギュッと抱きつく。
それから、
「……やっぱり、嫌じゃなかった……」
龍生にもようやく聞き取れるほどの声で、ぽつりとつぶやいた。
「え……? 咲耶? 今のは、いったい……?」
てっきり、殴られるのかと思っていたのに。
予想外に正反対のことをされ、龍生は未だ、戸惑いの中にいた。
彼女は質問には答えることなく、更に強く彼を抱き締めると。
「それくらい察しろ。…………バカ」
耳を澄ませても聞こえないほどの声で、拗ねたようにつぶやいた。
ツンデレ咲耶炸裂!
――の第17話でしたが、いかがでしたでしょうか?
『幼馴染の方の恋の行方なんてどーでもいーんだよ! メイン(主役)の方の恋をさっさと書けよ!』
と思われている方も多いのではないかと思われますが……ごめんなさい。あらすじにも記載してありますように、こちら、〝常識無視で脇役が目立っている〟作品ですので……。この先にも、この2人に焦点を当てたお話、複数回あります。……ホント、申し訳ございません……。
……というわけで、第10章はここまでとなります。
お読みくださり、ありがとうございました!




