第14話 咲耶、全て面倒になり恋の放棄を決意する
気が付くと、咲耶は家の数百メートルほど前の道を、とぼとぼと歩いていた。
いつものように電車に乗り、いつものように最寄り駅で下りて、ここまで来たはずなのだが、間の記憶が全くない。
それくらい、ボーッとしていた。
心に、ポッカリと穴が開いたようだった。
今まで、龍生が捧げてくれた台詞。
そのどれもが、自分以外の子達にも、同様に贈られて来たものだったのだろうか? 自分だけに、特別に贈られたものではなかったのだろうか?
抱き締めて、頭を撫でて、髪にキスして……。
あれらの行為も、自分だけにしてくれたことではなかったのか?
そんなようなことをつらつらと考えていたら、そのうち、何が何だかわからなくなって……頭が真っ白になって……。
気が付くと、こんなところまで来てしまっていた。
正直なところ、咲耶自身も、どうしてここまでショックを受けているのかわからなかった。
龍生のことは、最初から気に食わなかったはずだ。
馴れ馴れしく桃花に近付いて来て、『お試しで付き合ってくれ』などと言い出すし。
やたらと絡んで来ては、桃花と二人だけの時間を奪おうとするし。
おまけに、騙して無人島へ連れて行くわ、結太の泊まっている部屋に盗聴器を仕掛けるわ、桃花と結太を二人だけにしようと企むわ……やることなすこと勝手極まりなく、腹が立ったし、鬱陶しくて仕方なかった。
それだけではない。
咲耶が結太の怪我にショックを受け、普通ではない精神状態だった時に、実は告白されていた――ということを思い出しただけでも、充分パニックだったのに。
無人島から戻って来てから、改めて告白され……幼い頃、共に遊んだ相手であることまで判明し。
咲耶の心は、否応なしに、龍生一色で塗り潰されつつあった。
そんな状態に危機感を覚え、思い切って桃花に告白したものの。
その想いすら、桃花本人からあっさりと否定され、母からも『よく考えてみなさい』と諭されて――……。
なんだかもう、思い掛けない出来事が一度に起こったせいで、頭も心も、ゴチャゴチャでグッチャグチャだった。
(……もう、嫌だ。恋だの愛だの、全部面倒臭い。そんなものに関わらずにいた方が、よほど私らしくいられる。変な感情に振り回されたり、傷付いたりすることもない。自分の気持ちがわからずに、焦ったりすることもない。……そうだ。やめよう。考えることなど、放棄してしまえ! そうすれば、きっと楽になれる。ゴチャゴチャにもグッチャグチャにも、ならずに済む。……恋なんて知らない。私は、そんな妙な感情に煩わされることなく、これからも生きて行くんだ!)
半ばヤケクソで、そんなことを思いながら歩いていると、弟達の騒がしい声が聞こえて来た。
ああ、やっと家に着いたのだなと顔を上げると、数メートル先の門の中から龍生が現れ、咲耶はビクッとして足を止めた。
「出てけ出てけッ!! ねーちゃんは、まだ帰って来てないって言ってんだろッ!! かーちゃんが何て言っても、おまえなんか、ぜってー家に入れてなんかやんねーんだかんなッ!!」
次に姿を現わしたのは、双子の弟の建だった。
どうやら龍生は、建にポカポカと腕や腹を叩かれ、門の外へと追い出されている最中のようだ。
「コラッ、建ッ!! なんて失礼なことするのッ!? その人は、お姉ちゃんの大切な人なのよ!? 小さな頃からお世話になってる、特別な人なんだから、叩いたりしちゃいけませんッ!!」
開け放たれた玄関のドアの内側から、時子が建を叱っている声もする。
これはいったい、どういう状況なのだと、咲耶は少しの間、その場から動けずにいた。
すると、珍しく困り果てたような顔で、建の小さな拳を体で受け止めつつ、少しずつ後退していた龍生と、思いきり目が合った。
「咲耶!」
龍生の顔が、ホッとしたように和らいだ。
そんな表情を見ただけで、咲耶の胸はドクンと高鳴る。
――だが、ここで甘い顔を見せてはいけない。
この男は、つい数十分ほど前まで、桃花と逢引きしていたのだ。華奢な体を抱き寄せ、頭を撫でたりしていたのだ。
……思い出したとたん、再びムカムカして来た。
咲耶はふいっと視線をそらせ、家の前まで歩いて行くと、彼の横をすり抜け、門の内に入った。
「……咲耶?」
後ろから、戸惑っているような龍生の声が聞こえたが、それも無視して玄関に入る。
「あっ! ねーちゃんお帰りーっ」
龍生をポカポカ叩いていた建が、姉に気付いて振り返った。龍生はその場に放置したまま、後ろから駆け寄ると、彼女の背に勢い良く抱きつく。
咲耶は顔だけ振り向いて、優しい笑みを浮かべた。
「ただいま、建」
姉に頭を撫でられ、建は幸せそうにニンマリする。
それを見て、時子の横に立ち、オロオロと様子を眺めているのみだった双子の兄、倭も、羨ましくなったのだろう。
「おかえり、おねえちゃん!」
普段は大人しい彼にしては珍しく、大きな声で呼び掛けると、建に負けじと抱きついて来た。
「うん。ただいま、倭。――母様も、ただいま」
「えっ?――あ、ああ……おかえりなさい」
咲耶は弟達の頭を撫でながら、困ったように首をかしげる。
「ほら、二人とも。もうそろそろ放してくれないか? 早く着替えて、金四郎を散歩に連れて行ってやりたいんだ」
〝散歩〟という言葉に素早く反応し、建は顔を上げ、自慢げにニッと笑った。
「散歩なら、もう行って来た!――なっ、倭?」
訊かれた倭は、コクリとうなずき、
「う、うん――。今日ね、学校早めに終わったんだ。だから、二人で連れてったの」
モジモジしながら報告し、はにかんだ笑顔を見せる。
咲耶は『へえ』と驚いて、二人の頭を再び撫で回すと。
「そうか。偉いぞ、二人とも。……でもな? 危ないから、私がいない時には、散歩に行っちゃダメだ。二人だけで行くのは、もう少し大きくなってからにしような。事故にでも遭ったら大変だ」
「えーーーっ、ダメなのぉ~?」
「うん、わかった。……ごめんなさい、おねえちゃん」
建は不満そうに口を尖らせたが、倭は素直にうなずいて、しおらしく謝ってみせた。
倭と建は、一卵性双生児だ。幼稚園生の頃は、両親ですら、たまに間違えて呼んでしまうほど、瓜二つだった。
見分けを付けるため、今では、髪型と服装を違ったタイプにしているが、そうしていなかったら、今でもちょくちょく間違えていただろう。
それでも、何故か、性格は正反対なのだった。
倭は、やや引っ込み思案。大人しくて思慮深く、賢いタイプだ。
建は、元気過ぎるほどに活発で、物怖じもせず、考えるより先に、体が動くタイプだった。
弟達から解放され、咲耶が靴を脱いで家に上がると、
「ちょっと、咲耶。せっかく秋月くんが訪ねて来てくれたのに、声も掛けてあげないなんて、どうしたの?……もしかして、ケンカしちゃった?」
時子が小声で話し掛けて来たが、
「は? ケンカ?――何のことだ母様? 今更あいつとケンカなど、する気にもならないな。話だってしたくない」
咲耶は後ろを振り返りもせず、冷たく言い放った。
「えっ!?」
「咲耶!?」
時子と龍生は、同時に驚きの声を上げる。
咲耶は一切構うことなく、二階の自室へ向かおうとしたが。
「咲耶、待ってくれ! 『話だってしたくない』とは、どういうことなんだ!? 学校で、何かあったのか!?」
訳がわからず、龍生は咲耶の背に問い掛ける。
すると、
「龍生様? どうかなさったのですか?」
運転手の安田が、菓子折りの入った袋を両手に提げ、玄関先に現れた。




