第1話 桃花、屋敷の門前で立ちすくむ
龍生の家に到着したと告げられた桃花は、運転手(安田という名らしい)に手を貸してもらいながら、おずおずと車を降りた。
降り立って最初に目に入ったのは、よくお屋敷の前などにそびえ立っている、重厚で存在感たっぷりの、和風の門だった。
門の左右には、『端はどこ?』と思ってしまうほどに長く伸びた、石造りの高い塀がそびえている。
それを見ただけで、桃花はすっかり委縮してしまった。
何故なら、門構えだけでも、容易に想像出来たからだ。――この門の内には、誰もが度肝を抜かれるほどの大豪邸が、存在しているに違いないと。
「……あ、ああああ……あのっ! も、ももも門にっ、屋根っ!――や、屋根がありますっ……けど?」
「うん。あるね」
恐れおののく桃花を前にしても、龍生の態度は変わらない。
どこまでも落ち着き払って、桃花の横に立っている。
……まあ、彼にとっては、生まれた時からずっと住んでいるところなのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
しかし、そうとわかっていても、か~るく想像を超えて来た立派過ぎる門と、広大さを予想させる敷地に、桃花は尻込みしてしまった。
「あの…っ! や、やっぱりわたし、帰りますっ!」
くるりと方向転換し、右手と右足を同時に前に出して、桃花はその場から立ち去ることを試みた。
だが、即座に龍生に両肩を掴まれ、再びくるりと、家の方を向かされてしまう。
「ダメだよ、帰っちゃ。肝心な話がまだだろう?」
「でもっ!……わ、わたし、こんな立派なお屋敷に招かれるなんて、あのっ……、れ、礼儀作法とか、まったくわかりませんしっ!!」
これだけ大きなお屋敷だ。(――と言っても、内部には入っていないのだから、予想の段階ではあるのだが、まず間違いなく、大きな家だろう)
龍生の家族は、礼儀作法や立ち振る舞い、言葉遣いなどに、かなり厳しいのではなかろうか。
桃花は、極めて普通の一般市民。中流のサラリーマン家庭で育った娘だ。
こんなに大きなお屋敷に住む人々とは、何もかもが違い過ぎる。
(やっぱりダメ! 恥を掻く前に退散しなくっちゃ――!!)
桃花は心底恐れをなし、『帰らせて』と涙目で訴えた。
それを見た龍生は、きょとんとした後、プフッと吹き出す。
「礼儀作法って……。そこまで緊張する必要はないから。敷地面積は結構大きいのかもしれないけれど、ただ広いだけの、普通の家だからね」
(――普通の家っ!? こんなに立派な門がそびえてるのにっ!?)
何でもないことのように返されて、桃花は確信した。
やはり龍生は、一般的庶民感覚というものがどういうものか、まるっきりわかっていないのだと。
「まあ、初めての場所は、誰でも緊張するものだろうけれど。ここで立ち話もおかしいだろう? とりあえず、中に入って」
龍生がそう言ったとたん、閉まっていた門の分厚い板扉が、内側に開き始めた。
ギョッとして身をすくめる、桃花の目に入ったものは――……。
想像を裏切らない、かなりの広さを感じさせる日本庭園と、大名屋敷のような和風家屋だった。
「ほら、早く。……大丈夫。怖くないよ。本当に、ただ広いってだけだから」
先に立って手を差し出し、龍生はニコリと笑う。
桃花はビクつきつつも、ここまで来てしまったら覚悟を決めなきゃと、恐る恐る龍生の手を取った。
門をくぐると、龍生は何故か、和風家屋には向かわず、庭の端を歩き始めた。
桃花が驚いて、家で話すのではないのかと訊ねると、
「ああ、ごめん。母屋には、祖父が住んでいるんだ。両親と僕は、離れの方に住んでいるから、少し歩くよ」
とだけ言い、スタスタと歩いて行ってしまう。
桃花は『あの家の他に、敷地内にはまだ家が!?』と更に驚愕した。
だが、龍生が脇目も振らずに歩いて行ってしまうので、遅れないようについて行くのに必死で、それ以降は、考える余裕がなくなってしまった。
しばらくは無言で歩いていたが、自分の歩く速度が、桃花に合っていないと気付いたのだろう。龍生はピタリと足を止め、振り返った。
「すまない。いつもの調子で歩いてしまった。裏門から入れば、こんなに歩かなくても済むんだけれど、祖父が『裏門はあくまで裏。家人が裏からコソコソ出入りするなど、みっともなくて堪らん』と、使用人以外が裏から出入りするのを許さなくてね。……フフッ。くだらないこだわりだろう?」
龍生は僅かに首をかしげ、同意を求めて来たが、桃花はどう言っていいのかわからず、曖昧な笑みを浮かべた。
龍生は、桃花が自分のすぐ後ろまで来ると、歩調を緩めて歩き出す。
「まあ、ただの建前だろうけれど。本音は、裏門から出入りされると、家人の動向が掴みづらいからね。それが気に入らないんだと思うよ」
桃花は龍生の話に相槌を打ちながらも、キョロキョロと辺りを窺う。
龍生の祖父が住んでいるという和風家屋の周りは、立派な日本庭園が広がっていたのだが、離れに向かう途中からは、西洋風――イングリッシュガーデンに様変わりしていた。
バラやラベンダー、カンパニュラ、デルフィニウム、アリウム、ルピナス……様々な花が咲き誇っている。
一瞬にして、夢の国にでも迷い込んでしまったような感覚に、桃花はしばし、うっとりと浸ってしまった。
日本庭園と言い、ここと言い、これだけたくさんの植物を、手入れするのは大変だろう。
先程、龍生も『使用人』とか言っていたし、こういう大きな家では、やはり、庭師などもいたりするのだろうか?
桃花がそんなことを考えていた時だった。
目の前に、〝離れ〟と言うには、あまりにも豪華過ぎやしないだろうかと思われる、大きな洋館が現れた。
「着いたよ。ここが離れ」
呆気にとられて静止している桃花に向かい、龍生はさらりと言ってのける。
(……離れ……。これが、離れ……。こんなに立派な洋館が、離れ……)
庶民感覚とは、あまりにかけ離れ過ぎている。
クラクラする頭を片手で押さえ、桃花は龍生が〝ハンパないお坊ちゃま〟なのだということを、再認識するのだった。
お気に召してくださった方は、ブックマーク、評価、いいね、レビュー、感想等、どうかよろしくお願いいたします。