第13話 龍生、車中で安田から質問される
「龍生様。ひとつ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
帰りの車中。
普段、仕事中は無駄話をしない安田が、珍しく声を掛けて来た。
龍生は、何気なく目をやっていた車外の風景から、安田へと視線を移す。
「ああ、構わない。――何だ?」
軽くうなずいてみせると、安田はまっすぐ前を向いたまま、
「本日は、保科様とお会いになりましたか?」
突然、咲耶のことを訊ねて来て、龍生は微かに眉をひそめた。
「咲耶とか? ああ。朝に会ったが」
「朝……。では、放課後はお会いになっていないのですね?」
「放課後? 放課後は用があったからな。会っていない」
「……左様でございますか」
そこで会話は途切れた。
咲耶の名前を出しておきながら、こんな中途半端なところで話を終えるとは。
もしかして焦らしているのかと、龍生はムッとしながら腕を組み、座席の背もたれに寄り掛かった。
「何だ、咲耶がどうかしたのか? 意味ありげに沈黙するな。気になってしまうだろう」
安田は、『申し訳ございません。そのようなつもりではなかったのですが』と謝罪してから、話を続ける。
「龍生様をお待ちしている間、校門から出ていらっしゃる、保科様をお見掛けいたしました。ご挨拶だけでもと思いまして、車外に出て、呼び止めさせていただいたのですが……。保科様は、私と目をお合わせになりますと、まるで逃げるようにして、駆けて行ってしまわれたのです」
「――逃げるように?」
「はい。お顔を拝見しましたところ、お目元が少々、赤らんでいるように感じられました。……泣いていらっしゃったのではないかと」
「何っ? 泣いていただと?――何故だ!?」
「――いえ。それは、わかりかねますが……」
「……咲耶が、泣いて……?」
安田からの思い掛けない報告にショックを受け、龍生は沈黙した。
強気な咲耶が泣いていたなど、にわかには信じられなかった。
……放課後に、何かあったのだろうか?
昔の咲耶ならまだともかく、今の咲耶が泣くだなどと、余程のことがあったに違いない。
「それは、どれくらい前のことだ?」
「はい。確か、龍生様がお出でになる、十五分ほど前のことでした」
「十五分……」
咲耶は電車通学だ。駅まで歩いて行くのに掛かる時間は、何分程度なのだろう?
そこから電車で、自宅のある駅までは何分だ? その駅から自宅までは――……。
「安田。すまないが、咲耶の家へ寄ってくれないか?」
ここでうだうだと、咲耶の通学に掛かる時間を考えているよりは、直接行ってしまった方が早い。龍生はそう判断した。
「はい。承知しました」
安田は軽くうなずくと、秋月邸から咲耶の家に、目的地を変更した。
その頃、秋月邸では。
幼い頃、龍生と咲耶が巻き込まれたある事件に深く関わる人物が、十年ぶりに龍之助と面会していた。
「ほぉ。五十嵐んとこのせがれか。久しいな」
龍之助が顎を片手で撫でながら迎えると、その人物――五十嵐仁は、応接室のソファから立ち上がり、深々と頭を下げた。
「ご無沙汰しております、秋月様。その節は、私の父が大変ご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ございませんでした」
「いや、なに。あれは全て、信吾の責任だろうて。おまえが謝ることではない。頭を上げなさい」
信吾というのは、仁の父親だ。
仁の家は、数年ほど前まで任侠(ヤクザや極道と呼ばれるものとは、正確に言えば違うのだが、現代では同等のものと思われている)を生業としていたのだが、今では構成員も足を洗うか他の組に移るかなどして、解散に追い込まれていた。
信吾の父(つまり、仁の祖父)である忠司と龍之助は、長年親交があったため、仁とも顔見知りだ。
そして仁は、鵲と東雲の元同級生でもある。
「それで、今日はどうした? 何か用があって来たのだろう?」
「……はい。少々、お耳に入れたいことがございまして……」
そう言って、仁は顔を曇らせた。
龍之助の前で、仁が沈んだ表情を見せるのは、たいがいが、父親に関わる話をする時だった。
龍之助は、内心で『またか』と思いながら、『素行不良の父を持つと、息子も苦労するな』と、仁に同情の眼差しを向けた。
仁は龍之助の想いに応えるように、微かに苦笑を浮かべる。それから目を閉じ、軽く息を吸い込んで、また静かに吐き出してから、重い口を開いた。
龍之助への報告が全て済んだ後。
再び深々と一礼し、仁は応接室を出た。
すると、玄関に向かう途中で、
「ん?……おいっ! おまえ、仁じゃねえかっ?」
前方から歩いて来た東雲に声を掛けられ、仁は足を止めた。
東雲は、ドタドタと大きな足音を立てて近付いて来ると、
「やっぱり仁か!――ハハッ。どーしたんだよおまえっ? すっげー久しぶりじゃんか!」
嬉しそうに破顔して、彼の頭を両手で無遠慮に撫で回す。
仁も、懐かしさで胸を熱くさせながら、照れ臭そうに微笑んだ。
今でこそ、残念な二枚目の東雲だが、小、中、高校生時代は、勉強も運動もトップクラス。おまけに陽気で、分け隔てなく人と接するので、学校中の人気者だった。
家業のせいで孤立しがちだった仁も、東雲には何度も救われていた。直接本人に伝えたことはないが、仁にとって、彼は今でもヒーローなのだ。
「本当に久しぶり。……虎光くん、相変わらず元気そうで安心したよ」
「おうっ、お陰さんでな!……っと――そうだ。仁、サギにはもう会ったか?」
「いや。今日は、秋月様に用があって、伺っただけだから」
「へえ。なんだ、そっか。――あっ! じゃー俺、急いでサギ捜して来っからよ。もうちょい待っててくんねーか? こーして会うのも、高校卒業以来だろ? サギも会いてーだろーし……なっ、いーだろ?」
「……いや。悪いけど、この後、また別の用があるんだ」
「えっ、そーなのか?……ん~……じゃ、まー……しょーがねーよな。また今度、ってことで」
「うん。……ごめん、虎光くん」
寂しげに微笑むと、仁は足早に、玄関の方へ歩いて行った。
旧友の後姿を見送りながら、東雲はふと、あることに気付き、二~三度目を瞬かせた。
「そー言やぁ……あいつの『用』って、何だったんだ?」
仁は、『秋月様に用があって』と言っていた。
――ということは、龍之助に訊ねればわかるのだろう。
「う~ん……。けど、わざわざ龍之助様に訊ねんのもなぁ……」
東雲は迷った末に、訊ねるのはやめることにした。
重要なことであったなら、龍之助の方から知らせて来るだろうと考えたからだ。
「しっかし、あの生っ白かった仁も、ビシッとスーツなんざ着込みやがって、立派になりやがったなぁ。……って……ん? あいつ、今何してんだっけ?」
首を捻って考えてみても、思い浮かぶことは何もなかった。
高校を卒業してからの仁については、噂を耳にしたことすらない。
家業は畳んだのだから、真面目に働いていると思うのだが……。
「……ま、いっか。次に会った時に訊きゃあ、わかんだろーしな」
東雲はうんうんとうなずくと、次の仕事を片付けるため、居間へと向かった。




