第9話 桃花、放課後の屋上で龍生と対峙する
放課後がやって来た。
桃花は龍生に会うため、周りを何度も確認しつつ、慎重な足取りで、屋上へと向かっていた。
朝、龍生が咲耶に取った、素っ気ない態度。
その真意を問うため、昼休みが終わろうとする少し前(咲耶が自分の教室に戻った後)、桃花はこっそりと、メッセージを送っておいたのだ。
桃花の送ったメッセの内容は、以下の通りだ。
『どうしても、お聞きしたいことがあります。
放課後、どこかでお話できませんか?』
それに対する龍生の返事は、
『了解した。
放課後、屋上で会おう。
ただし、誰にも見つからないよう、
気を付けて来てほしい』
とのことだった。
指示通り、他人の目に触れぬよう、何度も周囲を確認しつつ、桃花は屋上へと急いだ。
龍生と会うことは、咲耶には内緒にしている。
今朝のことを問い質すつもりでいると知れたら、『桃花がそんなことをする必要はない』と、止めようとするに違いないからだ。
そのような事態を避けるため、咲耶には、龍生からの返信が届いた後に、『今日は用事ができちゃって、一緒に帰れないの。ごめんね』と、メッセージを送っておいた。
(無理して笑う咲耶ちゃんなんて、これ以上見ていたくないもの。だから絶対、朝の素っ気ない態度の訳を、秋月くんから教えてもらうんだ。……待っててね、咲耶ちゃん! 心のモヤモヤ――わたしが必ず、解消してみせるからね!)
珍しく、桃花は燃えていた。
咲耶のため、友情のために、勇気を出そうと決めたのだ。
龍生は、他の男子よりは話しやすい。
……とはいうものの、もともと異性と接するのが苦手な桃花にとって、二人だけで話をするというのは、なかなかにハードルが高いことだった。
それでも――。
気になっていても、自分からは訊ねられないであろう咲耶のために、桃花は一肌脱ごうと決めた。
屋上に出るドアの前に着くと、既に龍生が待ち構えていた。
腕を組み、壁に寄り掛かっていた彼は、桃花が『遅れてごめんなさい』と告げると、『いや。僕も今来たところだよ』と返し、ニコリと笑った。
それから、学ランのポケットから銀色の鍵を取り出すと、ためらうことなく、ドアの鍵穴に挿し込む。
てっきり、ドアの前で話すのだと思っていた桃花は、驚いて龍生を見上げた。
「え…っ? わざわざ、鍵を借りて来たんですか?」
通常、屋上は立ち入り禁止だ。それは、学校中の者が知っていることだった。
理由があって出なければいけない時は、職員室で、許可書にクラスと氏名を書いて提出し、鍵を借りて来るか、教師に一緒に来てもらう。
龍生が鍵を持っているということは、職員室で借りて来たということなのだろうが……。
わざわざ、〝届を出して鍵を借りる〟という、面倒な過程を経てまで、屋上に出る必要があるのか?
龍生が(結太もだが)合鍵を持っていることなど、知る由もない桃花は、不思議そうに首をかしげている。
ドアを開け、桃花を振り返ってクスリと笑うと、龍生は『さあ、どうかな』と思わせぶりなことを言ってから、屋上に足を踏み入れた。
明確な答えがもらえず、桃花は微かな不満を覚えたが、渋々後に続く。
龍生はスタスタと歩いて行き、中央付近で立ち止まると、くるりと桃花を振り返った。
釣られて桃花も立ち止まり、向かい合う形になる。
「それで? 聞きたいことというのは?」
前置きもなく、いきなり本題に入られ、桃花は一瞬、どう切り出せばいいのかと頭を悩ませた。
だが、のんびり考えている場合ではないと思い直し、胸の前で両手を組み合わせながら、龍生の目をまっすぐ見つめる。
「今朝の、咲耶ちゃんに対する態度のことです。どーして、あんなに素っ気なかったんですか?」
桃花の問いに、龍生は虚をつかれたのか、二~三度瞼を瞬かせた。
「え……。素っ気ない? 僕が?」
……とぼけているのだろうか?
『何を言われているのかわからない』とでも言いたげな顔で、僅かに首をかしげている。
これには、さすがの桃花もムッとなった。
とぼけられてなるものかと、心で自分を励ましつつ言い募る。
「覚えてないんですか? 朝、咲耶ちゃんと目も合わせないまま、素っ気なく挨拶したじゃないですか! 咲耶ちゃん、秋月くんに冷たくされて、ショック受けてたんですよ?……昨日、告白したんですよね? そこまでしておいて、次の日には、もう冷たくするなんて……! わたし、秋月くんが何を考えているのか、さっぱりわかりません! 咲耶ちゃんに冷たい態度取った訳を、ちゃんと説明してください!」
いつも控えめな桃花が、怒りを露わにしていることに驚いたのだろう。龍生は軽く目を見張り、しばらくの間、無言で桃花を見返していた。
だが、ふと口元を和らげ、ため息をつくと。
「そうか。僕が――……いや。俺が咲耶に告白したことを、既に知っているわけか。本当に仲が良いな、君達は。……まったく、癪に障る」
「え…っ?」
龍生の整った顔が微かに歪み、桃花は息を呑んだ。
初めて見る表情だった。まるで、嫉妬しているかのように見えた。
「癪に障る、って……。ど、どーしてですか? わたしと咲耶ちゃんの仲が良いと、どーして……」
「決まっている。嫉妬しているからだ」
「し――っ、…………嫉妬?」
「そうだ。俺はずっと、君に嫉妬している。咲耶の傍らに、当たり前のようにいられる君に。いつだって特別に想われている君に。……ずっと。ずっと嫉妬していた。もう、かなり前から」
「……かなり前? かなりって、いつから――」
「高校に入学した時から」
「えっ?……そ、そんなに前から、咲耶ちゃんのこと……?」
龍生は黙ってうなずいた。
「君は知らないだろうが、俺と咲耶は、幼い頃に出会っているんだよ。君より、少し先にね」
「えっ、わたしより先に?……ホントですか?」
「ああ、本当だ。……と言っても、共にいられたのは、ほんのわずかな間だったが。……それでも俺は、ずっと咲耶のことが忘れられなかった。今まで、彼女のことだけを想いながら生きて来た。……咲耶には、とっくに忘れられていると知りながら……。二度と会えないのかもしれないと、覚悟しながら……」
口調は淡々としていたが――いや。淡々としているからこそ、彼の言葉には、寂しさや虚しさ、咲耶に対する複雑な想いが滲み出ていた。
切なげに目を細め、空を見上げる龍生の姿は、まるで、遠い日に想いを馳せてでもいるかのようで……何故か、桃花の胸はキュっと痛んだ。
しかし、そんな彼女には構うことなく、龍生はただ淡々と――ひたすら淡々と話し続けた。
「高校に入学する、少し前だったか……偶然、街で咲耶を見掛けたんだ。忘れたことはないと言っても、ずっと会っていなかったから、気付かなくてもおかしくなかった。それなのに、俺にはすぐ、彼女だとわかった。……こんなことを言ったら、笑われるかもしれないが……その時、俺は生まれて初めて、運命というものを意識した」
「運……命?」
「そう。運命。……笑いたければ、笑ってもいいよ。俺ですら、滑稽に思える時があるからね。……運命、などと……。ただの思い込みだと言われたら、否定するのは難しいだろう。それでも俺は、彼女に……咲耶に、運命を感じてしまったんだ」
想いを吐露した後、龍生は自嘲気味に口の端を上げ、再び桃花に向き直った。
「だから俺は、彼女を――咲耶を追って、この高校に入学した。幼稚園から大学までエスカレーター式の、私立名門校での進級を蹴って。……咲耶に忘れられていても構わない。思い出してもらえなくてもいい。それでも、出来るだけ近くにいたいと願っていた。誰よりも、彼女の側に。……だが、咲耶の隣には、いつでも君がいて……。俺の入り込む隙など、微塵もないように感じられた。咲耶にとっての〝特別〟は、幼い頃からずっと変わらず、君だけなんだろうな。……ねえ、そうだろう? 君だって、当然そう思っているはずだ。……ね、伊吹桃花さん?」
そう言って、挑むような視線を向けられ、桃花は困惑した。
どうやら、自分は龍生から、ライバル認定されてしまっているようだ。
龍生と咲耶が、そんな昔に知り合っていた、という事実にも驚いたが……。
そのことよりも、彼がずっと、咲耶のことを想い続けて来たということの方が、桃花にとっては衝撃だった。
それほど長い間、一人の人を想い続けていられるなんてと、感動に似た想いすら抱く。
龍生の真剣な顔を、改めて、桃花はじっと見つめ返した。
次はどんな話が飛び出すのだろう、どんな告白をしてくれるのだろうかと思うと、期待に胸が膨らむ。
桃花はゴクリと唾を飲み込むと、龍生が再び話し始めるのを待った。




