第6話 咲耶、変わらぬ態度の桃花に救われる
翌日。
駅のいつもの待ち合わせ場所に、桃花はいた。
それがわかった瞬間、咲耶は心から安堵し、ようやく緊張から解放された。
何せ、昨日の今日だ。
気まずくて、桃花に避けられてしまうのではないかと、駅に着くまで、ずっと不安だったのだ。
だが、桃花は全てを知って尚、少しも変わることなく、待ち合わせ場所にいてくれた。
それだけではない。咲耶が着いたと知るや、ふわりと花が咲いたかのような笑みをこぼし、手まで振ってくれたのだ。
咲耶の心は、一瞬にして晴れ渡った。
しみじみと喜びを噛み締めながら、手を振り返しつつ、桃花の元まで走る。
「おはよう、咲耶ちゃん」
いつも通りの桃花だ。
「おはよう、桃花!」
咲耶は満面の笑みを浮かべ、弾む声で挨拶を返す。
それだけで元通りだった。
他に、何の言葉も必要なかった。
二人は微笑み合った後、いつものように電車に乗り、学校へと向かった。
学校に着くと、咲耶の姿を認めた生徒達の間に、ざわめきが走った。
こうなることは、昨日から覚悟していた。
覚悟はしていたが……やはり、気持ちのいいものではない。咲耶は苦虫を噛み潰したような顔で、軽くため息をついた。
「咲耶ちゃん。あの……大丈夫?」
心配そうに、桃花が咲耶を仰ぎ見る。
彼女はニッと笑ってみせると、
「ぜーんぜん平気だ! 周りにどう思われようが、桃花さえわかっていてくれるなら、何の問題もない」
「咲耶ちゃん……」
「だが、私といるせいで、桃花にまで迷惑を掛けてしまったらと思うと……。それだけが心配だな」
咲耶が顔を曇らせると、桃花は小首をかしげ、にこりと笑う。
「ダイジョーブ、そんな心配しないで? わたしが、咲耶ちゃんと一緒にいたいだけなんだから。それに……咲耶ちゃんには、小さな頃から助けてもらってばかりだったもの。こういう時こそ、力になれたら……って思ってるんだよ? わたしじゃ、何の役にも立てないかもしれないけど……。でもっ、ほんの少しでも、咲耶ちゃんの支えになれるように頑張るから!」
懸命に、自分の気持ちを伝えてくれる桃花に、咲耶の胸はジンと熱くなった。
あれだけ目立つ行動を取ってしまったのだ。他の生徒達からは、好奇な目で見られるだろう。陰口なども叩かれてしまうに違いない。
それでも、桃花が側にいて、笑っていてくれるなら。
この先何があろうと、きっと耐えられる。心からそう思えた。
「ありがとう、桃花」
咲耶は感謝の意を込め、親友の両手をギュッと握った。
昇降口前の階段を上り、二人がそれぞれの教室に向かうため、廊下を左右に分かれようとした時だった。再び周囲にざわめきが走り、二人は足を止めた。
何事かと思って振り向くと、たった今上って来たばかりの階段を、龍生が上って来るのが目に映った。
瞬間、咲耶の心臓はドックンと跳ね上がる。
(う――っ!……どっ、どどどどーしようッ!? 昨日のことが、一気に頭に浮かんで来てしまった!)
脳内で、龍生のクラスでの出来事や、屋上での出来事、病院での出来事、母に言われた言葉などが、ぐるぐると回り出す。
心拍数も急上昇。体も顔も熱くなって来た。
龍生は階段を上り切ると、二人に気付いたらしい。足を止め、何やら考え込むように視線を落とし、片手を顎に当てる。
だが、それもごく僅かな間だった。
再び歩き始め、二人の前まで来ると、まずは桃花に視線を移し、『おはよう、伊吹さん』と笑い掛ける。
桃花も『おはようございます』と返し、次は咲耶の番だ。告白後の彼は、どんな風に接するのだろうと、ドキドキしながら見守った。
「おはよう、保科さん」
挨拶はしたものの、その後の龍生の態度は、驚くほど素っ気ないものだった。咲耶と目も合わせず、返事すら待たずに、足早に二人の前を通り過ぎて行ったのだ。
甘い展開になることを予想していた桃花は、思わず『えっ?』と目を見開く。
「あ……あのっ――、秋月くん?」
慌てて龍生の背に呼び掛けるが、彼は振り向くことなく黙々と歩き続け、一番端にある一組の教室に消えた。
桃花はポカンとし、しばしの間固まっていた。
それから我に返り、恐る恐る、咲耶の様子を窺うと……。
やはり、ショックだったのだろう。とっくに龍生の姿などない廊下の先を、瞬きもせず、やや蒼ざめた顔で、じっと見つめている。
「咲耶ちゃん……」
桃花の声にハッとして振り返ると、咲耶は取り繕うような笑みを浮かべた。
「あ……。なっ、何なんだろうな、あの態度? 挨拶するのに目も合わせないとは、失礼な奴だ。ホント、バカにしてるよな?」
ハハハと力なく笑ってみせるが、顔は引きつっていて、声にも覇気がない。動揺しているのは明らかだった。
咲耶は昨日、喫茶店で、『秋月から、好きだと告白されてしまった』と言っていた。
――あれが冗談であるはずがない。咲耶は、その類の話について、軽口を叩くようなタイプではないのだ。
ならば、先ほどの龍生の素っ気なさは、いったい、どういうことなのだろう?
……照れているのか?
昨日の今日で、恥ずかしくて……つい、素っ気ない態度を取ってしまった?
……いや。
彼は、そういうタイプではないような気がする。
今まで恋愛事には無縁だった、咲耶の方ならまだわかるが……あの龍生が、告白程度のことでうろたえるとは、どうしても思えなかった。(お試しとは言え、桃花に『付き合ってくれないか』と言って来た時も、照れた様子など、微塵も感じられなかったではないか)
――だとすると、何故?
どうして龍生は、告白してすぐの相手に対し、冷たいとも取れるような態度を……?
龍生の意図がつかめず、桃花はその場で考え込んでしまった。
だが、咲耶が『もしかして、朝が苦手なのかもな。まだ、頭がボーっとしてたんじゃないか?』などと言って笑うので、桃花も疑問には触れず、曖昧な笑みを浮かべ、『うん。そうかもしれないね』と返すのみに止めた。
見るからに〝空元気〟といった咲耶は、『じゃあ、昼休みにな!』と早口で告げ、バタバタと廊下を駆け出して行く。
周囲からは、
『ねえ、さっきの見た?』
『秋月くんと保科さん、昨日の朝、教室で抱き合った後、二人でどっかに消えちゃったんでしょ? てっきり、そのまま付き合い出したのかと思ってたのに……』
『うん。その割に、すごくあっさり通り過ぎたよね? ケンカでもしたのかな?』
『ん……。でもさ、もしかして、〝抱き合ってた〟ってのも、何かの間違いだったんじゃない?』
『そーかなぁ?……うん、そーかも! 噂なんて、結構いー加減だもんね!』
『だったらいいのにな~。秋月くんと保科さん……なんて、美男美女過ぎて、嫌味にしか思えないもん』
ヒソヒソとささやき合う、女生徒達の声が聞こえて来て、桃花の胸はズキリと痛んだ。
ただでさえ、美人で頭も良くてスポーツ万能という、他人に妬まれやすい条件を兼ね備えている咲耶なのだ。
その上、学校一のモテ男と言っても過言ではない龍生と、付き合い出したということになれば、彼女への風当たりは、今まで以上に強くなるに違いない。
(だからこそ秋月くんには、いつでも咲耶ちゃんを守ってあげられるように、周囲にしっかり目を配っていて欲しいのに。なのに……自分から告白しておいて、どーしてあんな態度を取るの?)
何か釈然としないものを感じながら、桃花はトボトボと教室に向かった。




