第5話 東雲と鵲、龍生の想い人を覚る
東雲の話を聞き終わると、鵲は両目をこれでもかと見開き、
「えぇえええーーーーーッ!? ぼっ、坊の想い人が、保科様じゃないかってぇえええッ!?」
部屋の家具が、ビリビリと震えそうなほどの大声を上げた。
東雲は慌てて、『バカッ! 声が大きいって!』と鵲を注意してから、再びため息をつき。
「ああ。そーとしか考えらんねーんだよ。……だってよ? 考えても見ろよ。あの坊ちゃんに――いつも、周りの女にキャーキャー言われてる坊ちゃんに、歯形残すほど思いっきり噛み付ける女なんざ、他に思い当たんねーだろ?」
問われた鵲は、『ああ……そっか。確かに』とうなずいた。
東雲はテーブルに片肘をつき、もう一度ため息をつくと、
「考えてみりゃー、簡単なことだったんだよな。むしろ、今まで思いつかなかったのが、不思議なくれーでさ。坊ちゃん相手に、強気でいられる女なんざ、そーそーいるわけねーんだ。端から、候補は保科様以外、あり得なかったんだよ」
もはや、確信であるかのように言い切る。
鵲も、うんうんとうなずきながら同意した。
「……そっか。好きな人のこと、目の前であれこれ言われたら、そりゃー嫌だよな。しかも、ナイスバディだから我慢するのがどーのって、性的な連想しちまうようなこと、結太さんに向かって言ってる奴がいたら……まあ、坊じゃなくたって、思わずカッとしちまうよ」
「うぁ~~~っ!……だよなぁ~~~? やっぱそーだよなぁ~~~?」
情けない声を上げた後、東雲は、またまた大きなため息をつく。
今ので、もう何度めかわからないほど、秋月邸に戻って来てからの東雲は、ため息ばかりついていた。
「あ~~~っ、どーすりゃいーんだぁ~~~? 俺は坊ちゃんに、完全に嫌われちまったのかぁ? もう二度と、お声掛けしてもらえねーのかぁ? このまんまこの家で、無視され続けて生きてかなきゃなんねーのかよぉおおお~~~~~?」
まるで、人生詰んだかのような弱りようだ。
鵲は呆れ半分、同情半分といった気持ちを抱きながら、
「いくらなんでも、大袈裟だよ、トラ。坊だって、そこまで長く、お怒りを持続させてるわけないだろう? きっと、数日以内には、元通りに接してくださるはずさ」
「そぉお~~~かなぁああ~~~? 坊ちゃん、許してくださるかなぁああ~~~?」
情けない顔つきと声のまま、東雲は鵲を見返す。
内心、『いつにもまして、反応がオーバーだなぁ』と苦笑しながら、鵲は力強くうなずいてみせた。
「ああ! 許してくださるって!」
「そぉぉかなぁあああ~~~~~?」
「うん。…………たぶん」
「たぶんかよぉおお~~~~~?」
キッパリ『大丈夫』と言い切ってくれるかと思いきや、何とも頼りない反応を返され、東雲はガックリと肩を落とした。期待が外れ、今や、完全に涙声になっている。
「仕方ないだろ、こんなこと初めてなんだから。俺だって、百パーセント大丈夫だって言ってやりたいけど……坊が、恋するとどーなっちまうかなんて、まだ全然わからないんだし。予測の立てようがない、って言うかさ……」
気の毒とは思うが、こればかりはどうしようもない。
鵲は頬杖をつき、東雲に釣られたように、大きなため息をついた。
「あ~~~。……ま、そっか。そーだよなぁ……。恋する坊ちゃん、かぁ……」
テーブルに、両手を伸ばした状態で突っ伏し、〝お手上げ〟を体現しているかのような東雲。
鵲は頬杖をついたまま、
「恋、ねぇ……。坊にとっては、これが初恋……ってことになるのかな?」
素朴な疑問を口にし、どこか遠くを見るような顔つきになる。
東雲は、両手を伸ばした状態のまま、顔だけを上に向け、鵲を上目遣いで見返した。
「そーなんじゃねーかぁ? 今まで、女に言ー寄られるよーなことはあっても、坊ちゃんの方から――なんて話ゃあ、一度も聞いたことねーし」
東雲の意見に、イマイチ納得出来ない様子の鵲は、頬杖をつきつつ小首をかしげる。
「んー……。でも、知らなかっただけかもしれないだろ? 俺達だって、四六時中、坊に張り付いてたわけじゃないんだしさ。それに、坊が秘密にしてたことだって、あるかもしれないし……」
「そりゃ、まあ……。あの坊ちゃんが、好きな人出来たからって、わざわざ教えてくださるとは思えねーもんなぁ。俺らはただの使用人で、ダチとかじゃねーんだし」
「うん……」
何となく寂しい気分になって、二人は同時にため息をついた。
ため息が目に見えるものならば、この部屋はとっくに埋め尽くされ、二人の姿を覆い隠していたことだろう。
「……あっ! じゃあ、結太さんになら、何か話してるんじゃないか? 相談してたりとかさ!」
しばしの沈黙の後、鵲は、急に体をまっすぐ伸ばし、ぱあっと顔を輝かせた。
東雲も、『結太に?』と口にした後、ハッとしたように体を起こし、瞳と、笑った口から覗く歯を、キラリと輝かせる。
「そーか! 結太に訊きゃあいーんだ! もし、坊ちゃんが今まで恋したことがあったんなら、その時、坊ちゃんがどんな感じだったのかを訊いてみりゃあ、今回の参考になるかもしんねーしな!?」
「参考?……ああ、そうかも! 結太さんに訊けば、いろいろわかるかもしれない!」
二人は顔を見合わせ、ニカッと笑い合った。
明日、早速見舞いに行き、結太に訊ねることにしよう。
二人は揃ってキッチンに向かい、宝神が用意しておいてくれた、皿に盛られたおかずをレンジで温めた。それから、ご飯を茶碗によそい、テーブルへと運ぶ。
ちなみに、龍生と龍之助以外の、この家で働く者達は、職種や、その日の仕事によって就業時間が違う。そのため、夕食は別々に取ることが多かった。(料理は、母屋と離れ両方の分を、宝神が作り置きしておいてくれる)
ただ、夕食は別々だが、朝食と昼食は、いつもだいたい同じ時刻に、全員で(朝のみ、通いの者は除くが)、共に食卓を囲むことになっていた。
二人は、『今日も、お福さんの作る飯はうめーなー』などと満足げにつぶやきつつ、夕食を済ませた。
彼らの顔が、まだ問題が解決したわけでもないのに、晴れ晴れとしているのは、『結太に訊ねさえすれば、全て上手く行く』と、根拠なく信じているからだろうか。
とにかく、母屋の裏側の離れ(龍生のいる離れとは、また別の離れ)へと続く、長い廊下を渡り、『じゃあな』『うん。また明日』と挨拶を交わすと、二人はそれぞれの部屋に入った。




