第4話 東雲、失態を演じて大いに落ち込む
咲耶が自室で、〝恋〟について、大いに頭を悩ませていた頃。
秋月邸の、使用人が食事を取る部屋(キッチンのすぐ隣にある、ダイニングルームとはまた別の部屋)では、灯りも点けずに、テーブルに両肘をついた東雲が、頭を抱えてうなだれていた。
夕食の時間になり、その部屋にやって来た鵲は、真っ暗な部屋で東雲を目にしたとたん、『わッ!?』と声を上げて立ち止まった。
「……ど、どーしたんだよトラ? こんなところで、真っ暗ん中、頭なんか抱えて……。何かあったのか?」
電灯のスイッチを入れてから、恐る恐る訊ねると、東雲は聞き取れないほどの小さな声で、何やらつぶやいた。
聞こえなかったので、『え、何?』と訊き返す。すると東雲は、両手をテーブルにガンッと叩き付け、
「だからッ!! 病院で怒らせちまってから、坊ちゃんがひとっ言も口利ーてくださらねーんだよッ!! その上、夕食もいらねーっつって、自室にこもっちまったんだよぉおおおおッ!!」
大声でそう告げると、『わああああッ!! 申し訳ありませんっ、坊ちゃあああーーーんッ!!』と涙声で謝罪しながら、テーブルに突っ伏した。
この世の終わりのように嘆く東雲を前に、鵲は呆然と突っ立っていたのだが、しばらくしてから、ハッとしたように目を瞬かせると、
「口利いてくださらない、って……。おまえ、いったい何したんだよ? そこまで坊がお怒りになるなんて、余程のことがあったってことだろう? でなきゃ、あのお優しい坊が、ずっと無視していらっしゃるなんて、あり得ないもんな」
「そーだよ! たぶん、それほどのことしちまったんだよ! 俺だってそんなこたぁわかってる! わかってっけど!……けど、俺の発言のどの部分が許せなかったのか……それとも、俺の行動に、何か許せない部分があったのか……それが全然わかんねーんだよぉ~~~っ! 肝心な理由がわかんねーんじゃ、謝罪することも出来ねーし……。もーーーっ、どーしていーかわっかんねーよぉおおお~~~~~ッ!!」
東雲が、ここまで大っぴらに泣き言をいうのは、珍しいことだった。
普段は、古い付き合いの鵲の前でさえ、何があろうと、強がって見せることがほとんどなのだが……。
龍生に無視され続けていることが、よほど堪えているのだろう。
鵲は、東雲の前の席に腰を下ろすと、様子を窺うように、出来るだけ穏やかに話し掛ける。
「何があったかは知らないけど、とにかく落ち着けって。そんで、坊がお怒りになられる原因がどこにあったのか、ちょっとでも思い当たるとこがあるんなら、話してみてくれよ。俺も一緒に考えるからさ」
幼馴染の優しい言葉に、東雲は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
「ああ……。すまねえ、サギ。そうしてくれっと助かる。俺一人で考えてても、同じとこグルグルしちまうだけで、全然話が進まねーんだ……」
「まあ、そんなもんかもしれないな。――で? 思い当たる節は? 本当に何もないのか?」
東雲は体を起こし、腕を組んで考え込む。
「ええっと……。今日、坊ちゃんが珍しく、学校サボっちまったらしくてな? どっか行っちまったって連絡あったから、捜して来てくれって、龍之助様に頼まれたんだよ。俺も、そりゃ大変だってんで、急いでバイクで捜しに出たんだ。……で、坊ちゃんが行くとこったら、たぶん結太の――いや、結太さんのとこじゃねーかなって思って、行ってみたらドンピシャでさ。ご無事で何よりって、ホッとしたんだが……」
そこまでの話に、鵲は『ああ』とうなずいて、
「その話は、俺も赤城さんから聞いたよ。……けど、坊が学校サボるとか、信じらんなかったなぁ。ずっと優等生で通して来たのに。それに、詳しく聞いてみたら、保科様も一緒に学校から消えちまった――って話だったろ? 意外だったよなぁ」
「えッ、保科様も!?――一緒にサボったってことか!?」
「ああ。――って……トラ、知んなかったのか?」
「いや、全く! 俺が病院行った時にゃー、保科様なんてどこにもいなかっ――た……し……?」
そこで東雲は言葉を切り、何かに思い至ったかのように両目を見開き、大声を上げた。
「ああああーーーーーッ!!……だからかっ!? もしかしてそこかッ!?」
「へっ? 『そこか』って……どこ?」
わけがわからないという顔で、鵲が首をかしげる。
東雲は一人で興奮し、
「そこはそこだよ! そこったらそこだよ!! 保科様だよッ!!……っかぁ~! そぉぉかぁ~~~。そ~ぉだったのかぁ~~~。そんじゃあ、腹も立つわなぁ……。あ~~~っ、なんてこった! マズったぁあああ~~~~~ッ!!」
大袈裟に天を仰ぐと、頭を抱えて突っ伏した。
鵲は、ますます意味がわからないという風に、怪訝顔で東雲を見つめている。
「トラ? 何を一人で興奮して、納得してんだよ? 俺にもわかるよーに説明してくれよ!」
「――ん? あ、ああ……。それがな? オレ、この前結太さ――いや、誰もいねーとこじゃ結太でいいか。結太と、保科様の忘れもんとかねーかって確認するために、無人島に行った……って話はしたよな? んで、小屋見てたら、一斗缶に、新聞紙で作った服のよーなもんの残骸が、二人分捨ててあったって」
「ああ、うん。言ってた」
「だからな? 俺、結太に……服ビッチャビチャになっちまったから、あの新聞紙着てたのか? だったら、下着も濡れちまってただろ? 当然脱いで、新聞紙だけ身に付けてたんだよな? そんじゃー、保科様はナイスバディだし、我慢すんのも大変だったんじゃねーかって……男だったら、絶対襲っちまいたくなっただろ……って、坊ちゃんの前にもかかわらず、言っちまったんだよな……」
「えぇえええーーーーーッ!?……トラ、そんなこと言っちまったのか!? 坊の前で!?」
呆れたように大声を上げる鵲に、東雲は大きな体を縮こませ、覇気のない声で答える。
「ああ……言っちまったんだよ……。そしたら坊ちゃん、俺の話さえぎるみてーに、急に『東雲!』って、大声で……。『おまえは黙っていろ』って、すっげー冷てー視線と声でさぁー……」
「あー、そりゃー無理ないって。――考えても見ろよ。保科様は未成年で、しかも、坊と同じ学校の生徒さんなんだぞ? 同学年の親しい女の子のこと、そんなやらしー目で見られてるって思ったら、気持ち悪いだろうし、機嫌悪くもなるよ。あの年頃って、ただでさえデリケートなんだからさぁ」
「……うぅ……。だよな。……反省してるって、だからそれは……」
すっかりしょげ返ってしまった東雲に、憐みの視線を送る鵲だが、それでも、まだ納得出来ないところがあるらしく、しきりに首をかしげている。
「う~ん……。それでも、ずっと無視し続けるほどのことか――って気はするかな。思いっきり気分は害されただろうけど、いつもの坊だったら、そこまで長いこと、怒りを持続させたりはなさらないだろう?……なーんかしっくり来ないんだよなぁ……」
東雲は、大きなため息をついてから、
「そりゃーな、たぶん……」
鵲に耳を貸せとでも言っているのか、片手で手招きし、もう片方の手を、内緒話する時のように口元に当てた。
鵲はきょとんとしながらも、テーブルの上に両手をついて立ち上がり、東雲の口に耳を寄せて行った。




