第3話 咲耶、自室で〝恋〟について考える
その日の夕食時。
結局咲耶は、生姜焼きをおかずにして、どんぶり飯二杯を食べた。
なんだ、食欲旺盛じゃないか――と思われても仕方のない量だが、いつもであれば、どんぶり飯四~五杯は食べているのだ。これでも、〝あまり食欲がない〟と言える方だった。
夕食を済ませてから(金四郎の散歩も、夕食前に済ませている)風呂に入り、自室に戻ると、咲耶は再び、気持ちの整理を始めた。
ちなみに、咲耶の就寝時の格好は、上は大きめのTシャツ(尻が隠れるほどの丈)に、下はショートパンツだ。Tシャツしか着ていないようにも見えるので、この姿で外に行くなと、父からはうるさく言われている。(以前、夜にアイスが食べたくなり、この格好のままコンビニに行こうとしたら、強い口調で叱られたことがあった)
咲耶はベッドに腰を下ろすと、脱力したように後方へと倒れ込んだ。
そのまま、ぼんやりと天井を見つめながら、時子に言われたことを思い返す。
『意識して考えるようにしていたら、いつかきっと、答えが見つかるはずだから』
意識して考える――とは、何についてなのだろう?
桃花のことか? 龍生のことか?
それとも、〝恋とは何ぞや?〟――ということについてか?
(恋……か。ホントに何なんだろうな。『好き』って気持ちだけでは、ダメみたいだしな……。桃花に対する気持ちは恋じゃないって、桃花にも、母様にも言われてしまったし……。ハッキリ決めつけられたわけではないが、つまりは、そういうことなんだろう)
自然とため息が漏れる。
桃花への気持ちがそうでないとしたら、どういう気持ちを恋と呼ぶのだ?
『キスってね、女性にとっては、特別なものなのよ。好きって気持ちがないと、なかなか出来ないものなの』
脳内を、時子の言葉がよぎった。
とたん、龍生とのキスの記憶が蘇り、咲耶の全身は、一気に熱くほてり出す。
(わあああっ!!――バカッ!! また妙なことを思い出してしまったじゃないかッ!!……忘れたいのにッ!! どーしてあんなことしてしまったのか、さっぱりわからないのにッ!! なのに、母様がキスのことばっかり話して来るから……っ! あぁあああ~~~ッ!! どーしてっ、どーして私は、秋月にキスなどしてしまったんだぁあぁあ~~~~~ッ!?)
咲耶は両膝を抱えて丸くなると、右に左にゴロンゴロンと、大きく体を揺らした。
時子は、『好きって気持ちがないと、なかなか出来ない』のが、キスだと言った。
……と言うことは、ほとんど無意識で、お詫びの意味を込めていたとしても、自ら龍生にキスしてしまったのだから……。
(……秋月のことが好きなのか、私は――?)
そこでハッとすると、咲耶は慌てて、首を横に振った。思いきり振った。これでもかと言うくらい、強く激しく振り続けた。
「違う違うッ!!――誰があんな、自己中で強引で意地悪な奴なんか好きになるかッ!!……絶対違う。絶対絶対、好きなんかじゃないんだからなーーーーーッ!?」
自分に言い聞かせるように、わざと大声で言ってみる。
そうでもしないと、気持ちが引きずられて――……呑み込まれてしまいそうだった。
……確かに、あんなにたくさん、嫌なことをされて来たわりには、そこまで強く嫌っているわけではない……ような気がする。
だが、だからと言って、それが〝恋〟と呼べるくらいの好意に繋がるのか、と考えると……さっぱりわからなくなるのだ。
咲耶は結構、好き嫌いが激しい方だ。ちょっとでも、『こいつ嫌いだ』と思うようなことがあったりしたら、二度と自分からは近付かないし、余程の事情でもない限り、相手にもしない。
それなのに……。
もう、何度も『嫌いだ』と思って来たはずなのに、どうして龍生の場合だけ、完全には無視出来ないのだろう?
好きでもないのに……そう思っているのに、何故自分からキスなど……してしまったのだろうか?
(好き……だからなのか? やはり私は……秋月のことが……)
「……そー言えば、秋月の唇……意外と温かくて、柔らかかったな……」
思わず、ポツリとつぶやく。
瞬間、咲耶の全身は、再び燃えるように熱くなった。
(わあああーーーーーッ!! 何を考えてるんだ私はッ!? 秋月の唇の感触とか、今頃思い出してどーするッ!?……バカか私はッ!? バカなのかぁああーーーッ!?)
ベッドの上で、ゴロンゴロン、ジタバタと、身悶えしまくる。
風呂に入ったばかりだというのに、体はじっとりと汗ばんでいた。
「うぅぅ~~~っ。……もぉ~~~嫌だぁああ~~~っ。考えたくないぃぃ~~~っ。考えたくないよぉぉぉぉ~~~~~っ」
まるで駄々っ子のように、繰り返し思う。
慣れないことを考え過ぎて、頭がパンクしそうだった。
(……そうだ。母様は確か、こうも言っていたじゃないか。『べつに、急がなくてもいい』って。……うん! べつに、無理して答えを出す必要なんかないんだ! これから少しずつ、じっくり考えて行けばいい。――そーだそーだ、そーしよう! 今日はもう、面倒なことを考えるのはやめて、眠ってしまえ!)
そう決めると、急に心が軽くなった。
咲耶はガバッと起き上がり、Tシャツの襟元をつかんで、パタパタと振りつつ、
「あー、また汗を掻いてしまったな。……仕方ない。母様に叱られるかもしれんが、もう一度風呂に入ってから、眠るとしよう」
そう言って立ち上がり、チェストから新しいバスタオルを取り出すと、部屋を出て、一階の風呂場へと向かった。




