第2話 時子、混乱しつつも質問を開始する
時子は咲耶のベッドに腰を下ろすと、まだ布団を頭から被っている咲耶に、隣に座るよう促した。
咲耶はそろそろと布団を元に戻し、時子の隣に移動して、言われるままに腰を下ろす。
咲耶の顔を見て、泣いた後だと覚った時子は、そこまで真剣だったのかと、顔を曇らせた。
しかし、すぐに気持ちを切り替え、
「じゃあ、気持ちを整理するために、これから咲耶に、ひとつずつ質問して行くわね? お母さん、全て受け止めるつもりだから、遠慮しないで、正直に答えてね? いい?」
訊ねると、咲耶はコクリとうなずいた。
「そうね……それじゃあ、まずはこの質問から。――どうして咲耶は、友達としてじゃなく、恋愛対象として、桃花ちゃんのことが好きだと気付いたの?」
「……それは、桃花にも訊かれた」
「あら、そうなの?……それで? 咲耶はなんて答えたの?」
「嫉妬だって。……桃花が他の子と楽しそうに話してたり、他の子と、どこかへ遊びに行ったって聞くと、ムカムカしたり、イライラしたりするから、って……」
「そう。……でもそういうことって、友達同士でもあるわよね? 友達が他の子と仲良くしてたりしたら、モヤモヤしちゃう感じ?」
「……それも、桃花に言われた」
「まあ、そう。……桃花ちゃん、すごく冷静なのね。普通は、友達に告白されたら、かなり動揺しちゃうと思うんだけど……」
「桃花も、最初は固まってた。すごく、ビックリしたみたいだった」
まあ、それは仕方ないと言うか、当然のことだろう。
幼い頃から、ずっと仲良くしてきた親友に、ある日突然、愛の告白をされるなど、滅多にあることではない。
「それで? 桃花ちゃんに、友達同士でも、そういうことはあるって言われた時、咲耶はどう感じた?」
「……そう……なのかなって。私の、桃花への想いは……恋、とかじゃなくて、ただの友情……なのか、って……」
「納得出来たの?」
「……わからない。ああ、そうなのかも……って、一瞬思ったのは確かだけど、でも……なんだか、完全に受け入れることも出来なくて……」
「そう……」
(何せ、つい最近まで、冒険だー、探検だー、木登りだー……って、そこら中走り回ってた子だものねぇ。恋だの愛だの、考えたこともなかったんでしょうし……。それにしても、友達間にも存在する〝嫉妬〟を感じたからって、恋だと思い込んでしまうっていうのは、さすがに困りものね。どう説明すれば、納得してくれるかしら……?)
時子は母親の勘で、咲耶の桃花に対する想いは、恋とは少し違うだろうと、即座に見抜いていた。
だが、娘が相当に頑固だということも、充分承知している。
どんなに言葉を尽くして説明しようが、なかなか受け入れてはくれないだろうことも、容易に察せられた。
どうすれば、娘を納得させられるだろう?
時子は、頭痛がするほど考え続けた。
そして、ようやくひとつの説得材料を思いつき、晴れやかな顔で、両手を胸の前で打ち鳴らす。
「そーだわ、キスよ!――ねえ、咲耶。あなた、桃花ちゃんと『キスしたい』って、思ったことある?」
「き――っ、……ききききっ、キスぅううッ!?」
咲耶は両手をベッドの上につき、飛び退るようにして、時子から頭一つ分ほど離れた。
「な……な、ななっ、何を突然っ!?……そそそっ、そ――っ、そんなこと、思うわけないだろうッ!? 急に妙なこと言い出さないでくれっ!!」
真っ赤になって否定する咲耶に、時子は『あら』と首をかしげる。
「本当? 思ったことないの?……少しも? ただの一度も? ポワ~ンって、想像してみたことすらないの?」
「クドイぞ母様ッ!? ないったら、ないッ!!」
「……あら、そう。……ふぅ~ん……」
これで時子は確信した。
やはり、咲耶の桃花への想いは、恋とは違うと。
「そっかー。そーなんだぁ~……。じゃあ、秋月くんとは?」
「――は…っ、はあぁッ!?」
いきなり龍生の名前を出され、咲耶は更に真っ赤になった。
「秋月くんとのキスは、想像してみたことある? キスしたいなーって、思ったことは?」
「なっ、何――っ、何を……っ!?」
時子の質問により、咲耶は一気に思い出した。
想像も何も、既にしてしまっているということを。
しかも、今日。つい、数時間ほど前に。
それも、自分の方から……。
「きっ、きききキスって――っ!……な、なななな何故っ、私がっ、あっ、秋月とキ――キスっ、など、しなければいけないんだッ!?」
とっくにしてしまっていることを、思い出しはしたものの――。
決して覚られてはいけないと、咲耶は内心焦りまくった。
時子に知られたら最後。ウンザリするほど、からかわれるに決まっているからだ。
「しろって言ってるわけじゃないけど……。あっ! でも、その手もあるわね。咲耶、秋月くんにキスしてみなさいよ」
「はっ――はあああッ!?」
また突然、何を言い出すのだ、このお気楽な母親は?
咲耶は半ば呆れ、眉間にしわを寄せつつ、時子を見返した。
それでも時子は平然として、話を続ける。
「キスってね、女性にとっては、特別なものなのよ。好きって気持ちがないと、なかなか出来ないものなの。……まあ、たまに例外はある――って言うか、いるけどね。〝キス魔〟なんて呼ばれる人達は、酔ったりなんかすると、誰彼構わずキスしまくっちゃうらしいけど。……でもね。そんな人は、一握りもいないんじゃないかしら。だからね? たぶん、秋月くんにキス――……あ、キスって言っても、軽い、頬とか手の甲とかへのキスじゃないわよ? 唇へのキスよ?……まあ、とにかくキスしてみて、嫌な気持ちにならなかったら……それは、好意があるって証拠。少なくとも、恋に近い感情は抱いてる――って可能性が高いわ」
「い……嫌な気持ちにならなかったら……好意が、ある?……恋に近い、感情……」
自分はあの時、どうだったろうかと考えてみる。
龍生にキスしたのは、果たして、どんな気持ちからだったろう?
(あの時は、桃花のところに行くんだって、その気持ちだけで……。べつに、秋月のことなんて、考えたりはしていなかったはずだ。……でも、あいつから逃れるために、また噛み付いてしまったから……すまないって思って、それで……)
……そうだ。
申し訳ないと思ったから。傷付けてしまって悪い、すまない――という意味で、自分はあのキスをした。
(そう。お詫びの意味でのキス……だ。べつに、特別な感情があったからじゃ――……)
……しかし、『申し訳ない』という気持ちだけで、普通、キスなどするだろうか?
悪いと思ったなら、謝るだけでいいではないか。何故キスなどする?
(う――。……あーーーッ、わからんっ! どーして私は、あの時キスなどしてしまったんだ!? 秋月のことが好きなわけでもないのにっ!……好きな……わけでも……)
……そう言えば、自分はあの時、どうして桃花の元に行かなければと思ったのだったか?
確か、あの時は……。
――そうだ。
病室で、結太から桃花の名前が出て……。
結太が龍生に訊ねたのだ。桃花に、『付き合うことになるかも』ということは、もう話したのかと。
そこで初めて、咲耶は気付いた。
自分も桃花に、龍生から告白されたことを、一切話していなかったことに。
それが咲耶には、ものすごくショックだった。
今までは、何かあれば、必ず桃花に話していたのに。
どうして今まで、それを忘れてしまっていたのかと。
(私は……ここ数日、秋月のことで、いっぱいいっぱいになっていた。あいつのことばかり考えていて……。だから、桃花に相談することすら、忘れてしまって……いて……)
何故、龍生のことばかり、考えてしまっていたのだろう?
……告白されたからか?
龍生が、幼い頃共に遊び、自分を庇って怪我をした、〝ユウくん〟だとわかったからか?(まあ、〝ユウくん〟ではないと、本人には否定されてしまったのだが)
(確かに、〝ユウくん〟は好きだ。好きだっ……た、記憶はある。でも、今の秋月を好きかと訊かれたら……)
『いいや、離さない』
『そうだ。君は咲耶。保科咲耶――』
『俺が惹かれてやまない、ただ一人の女性だ』
『バカでもいいよ。俺は本気だ。君が教えてくれないなら、今ここで、君にキスする。……覚悟はいい?』
『……離したくない』
『君が好きだから』
『君が好きだからだよ、保科咲耶さん。……ずっと、ずっと君のことが好きだった。君だけが好きだった。君と同じ高校になる前から、ずっと……ずっと変わらずに、君だけを』
「――っ!」
今まで龍生に言われて来た告白や、告白らしき台詞が、脳内をぐるぐると回り出した。
それだけで、咲耶の体は熱くなり、妙な汗が滲んで来る。
(ば――っ、バカッ、落ち着け! あんな台詞が何だって言うんだ!……あれだけの財力と、認めたくないが顔の良さと、頭の良さと、スタイルの良さが揃いまくってる奴なんだぞ? 今まで、付き合った子が一人もいないなんてこと、あるわけがない。きっと、他の子にだって言ったことある台詞なんだ。……そうだ。そうに決まっている!)
咲耶はふるふると首を振り、頭から龍生の記憶を追い出そうとした。
だが、忘れようとすればするほど、あの、少し低めの甘い声が。言われた台詞が。優しい眼差しや、切なげな表情が。他の場では見たことがないような、自然で穏やかな笑顔などが、次々に浮かんで来て、咲耶を惑わすのだ。
時子は、先ほどから何やら考え込み、目の前で百面相を繰り広げている娘の様子を、温かな瞳で見守っていたが――。
やがて、ゆっくりと立ち上がると、
「まあ、とにかく。今日はそうやって、いろいろ悩んで、自分の気持ちを見つめ直してみなさい。……べつに、急がなくてもいいのよ? そうやって、意識して考えるようにしていたら、いつかきっと、答えが見つかるはずだから。その日を信じて、今はゆっくり考えなさい。……ね、咲耶?」
そう言い置いて、にこりと微笑み掛けてから、静かに部屋を出て行った。




