第14話 桃花、眼前で泣き続ける咲耶に戸惑う
しばらく待ってみたが、咲耶はなかなか泣き止んでくれない。
こんな咲耶を見るのは初めてだったので、どうしていいかわからず、桃花はオロオロと見守ることしか出来なかった。
周囲には、サラリーマンらしき男性客が一名と、買い物帰りらしき中年の女性客が一名、それから、カップルらしき二人組が、少し離れた場所に座っていた。
カウンターには、サイフォンでコーヒーを淹れている白髪のマスターと、この店唯一の店員と思われる、先ほど注文品を持って来てくれた老婦人。(たぶん、マスターとは夫婦なのだろう)
彼らは皆、桃花達の方を見ないようにしてくれていたが、桃花がそっと様子を窺ってみると、誰もが不自然に固まっていた。たぶん、こちらの話に聞き耳を立てているのだろう。
客の中に、高校生は一人もいない。
桃花は、ファストフード店などでなく、この店を選んでよかったと、心底ホッとしていた。
もしもこの中に、同じ高校の生徒が、一人でもいようものなら、明日には、『咲耶がテーブルに突っ伏して泣いていた』という噂が、学校の隅々にまで広まっていたことだろう。
「ねえ、咲耶ちゃん?……えっと、わたし……そんなに酷いこと、言っちゃったのかなぁ?」
長い沈黙に耐えられず、恐る恐る、声を掛けてみると。
咲耶はガバッと体を起こし、
「酷いともっ!! 桃花は私に、秋月とうまく行った方がいい――だなんて言ったんだからなッ!!」
涙でぐしゃぐしゃの顔を真っ赤に染め、恨みがましく桃花を睨む。
桃花は困り果てた顔つきで、咲耶をじっと見つめた。
「秋月くんとうまく行ったほうがいいって思うことが、酷いことなの?……じゃあ、もしかして咲耶ちゃん……秋月くんのことが、嫌いなの?」
問われると、咲耶はキュッと唇を結び、少しうつむいて、『べ、べつに……。嫌い、と言うほどではないが……』と、咲耶らしくない、消え入りそうな声で答える。
咲耶は、嫌いなら嫌い、付き合う気がないならないと、ハッキリ言う子だ。
それなのに、嫌いとも、付き合う気が全くないとも言わない――ということは、きっと、本人が思っている以上に、龍生のことが気になっているに違いない。
桃花は、長年の付き合いである勘から、そう判断した。
「咲耶ちゃん……今日は、朝からずっと、秋月くんと一緒だったんでしょう? 秋月くんに引っ張られて、どこか行っちゃったって、学校で噂になってたよ?」
「違うッ!! ずっと一緒だったわけじゃないッ!!」
すかさず咲耶が否定して来て、桃花は意外そうに目を見張る。
「――え、そーなの? だったら、今まで一人だったの? いつ、秋月くんと別行動になったの?」
桃花の問いに、咲耶は再び下を向き、言いにくそうに、途切れ途切れになりながら。
「それは、その……。朝、秋月に……屋上に連れて行かれて……。そこで、どのくらいだったか……一時間ほどだったか、そこにいて……。それから、楠木の見舞いに行って……」
「えっ!? 楠木くんのところに行ってたのっ!?」
思わず大声を上げてしまい、桃花は慌てて、口元を両手で押さえた。
周囲の人々は、まだ体を固くして、こちらの様子を窺っているのだ。なるべく小さな声で話さなくてはと、気持ちを引き締め直す。
「……ああ。それで……それからすぐ、秋月と別れて……。すぐに桃花のところに行こうと思ったんだが、学校には戻りづらくて……。だから、放課後になるまで、この辺りで時間を潰していた」
「一人でずっと?……えっ、いつ頃から?」
「昼……ちょっと前、くらい……だったか……」
「そ……そーだったんだ」
そんなに長い間、この辺りにいたとは。
学校に戻りづらかったのはわかるが、平日の昼間に、高校生が(しかも制服のまま)、一人で時間を潰すのは、さぞや大変だっただろう。
桃花は労わりの眼差しを咲耶に向け――それからふと、あることに思い至った。
「それじゃあ、秋月くんは? 楠木くんのお見舞いに二人で行ってたってことは、病院で別れたの?」
「――っ!」
そこで何故か、咲耶は、頭から湯気が出ているのではないか――と錯覚してしまうほど、顔を真っ赤に染め上げた。
ギョッとなって、まじまじと桃花が見つめると、今度は、顔が見えなくなるくらいに深く、うつむいてしまう。
「さ、咲耶ちゃん? どーしたのっ? 一気に顔が真っ赤っかになっちゃったよ? だいじょーぶっ?」
慌てて訊ねるが、咲耶は思い切り首を横に振り、
「なっ、何でもないッ!! 私はべつに、秋月のことなんて思い出してないぞッ!! あ、あんな奴、ちっとも好きじゃないッ!! 好きなワケないんだからなッ!!」
「……え?……咲耶ちゃん……?」
龍生をどう思っているかなど、桃花は一切、訊ねていないのだが――。
驚きつつ、桃花はピンと来てしまった。
「ふふっ。やっぱり咲耶ちゃん、秋月くんのこと好きなんだね。だからそーやって、訊いてもいないのに、嫌いだとか言ったり、何でもない時に、突然、彼の顔が浮かんで来ちゃったりするんだよ。わたしだって――」
言い掛けて、ハッと息を呑む。
今、自分は……何を言おうとしたのだろう?
……『わたしだって』?
『わたしだって』、何だと言うのだ?
「……わたし、だって……」
もう一度つぶやいてみる。
するといきなり、結太の顔が頭に浮かんで来て、桃花は再びハッとなった。
(どーして……。なんで今、楠木くんの顔が……?)
不思議に思ったが、桃花はすぐに頭を振り、脳内から結太を追い出した。
(今は、咲耶ちゃんの話でしょ? わたしのことはどーでもいーの!……とにかく、咲耶ちゃんの気持ちを確かめなきゃ――!)
桃花は咲耶をまっすぐ見つめ、確認するように切り出した。
「ね。咲耶ちゃんは今、秋月くんのことなんて『思い出してない』、『好きじゃない』って言ったけど……それは、本当の気持ちじゃないんじゃない? だってその前は、『嫌いと言うほどではない』って言ってたじゃない。……そうやって、自分の気持ちが『好き』と『嫌い』の間をフラフラしちゃったりするのは、きっと、それだけ秋月くんのこと、意識してるからなんだよ。意識して、本当は好きだって思ってるのに、素直になれなくて……。咲耶ちゃん、わたしと同じで、恋愛とかとは無縁で、この歳まで来ちゃったでしょう? だから……たぶん、『好き』って気持ちがどういうものなのかが、まだよくわかってなくて、すっごく混乱しちゃってるんじゃないかな?」
「ち…っ、違うっ! 私はべつに、秋月のことなんて――っ」
「……うん。自分の気持ちを認めるのって、怖いよね。……だって、認めたその瞬間から、想いは走り出しちゃうんだもん。きっと、もう誰にも……自分にも、止めることは出来なくなっちゃうんだもん。止められないんだって思ったら……やっぱり、怖いよね」
咲耶に語り掛ける途中で、桃花は自分の想いに気付いた。
……そうだ。
自分もずっと、そうだったのだと。
気持ちを認めるのが怖くて、走り出してしまうのが怖くて、止められなくなることが、怖くて……。
ずっとずっと、逃げていたのだと。
「……咲耶ちゃん。怖いけど、怖いのはわかるけど……もう、認めちゃおう? 咲耶ちゃんは、秋月くんのことが好きなん――」
「違うッ!! 私が好きなのは桃花だけだッ!! ずっとずっと、桃花一人だけだッ!! これまでも、これからも、私の心はずーーーっっとっ、桃花一人だけに捧げるんだぁああーーーーーッ!!」
瞬間。
店内、全ての人間の時が、止まった。
 




