第13話 桃花、一人寂しく帰路に就く
結局その日は、龍生も咲耶も、学校には戻って来なかった。
二人が学校から消えたことを桃花が知ったのは、昼休み。
それでも放課後、念のため咲耶の教室に行き、いつの間にか戻っていやしないかと、覘いてみたりしたのだが……やはり、どこにもいなかった。
詳しい経緯を知りたかったので、桃花が咲耶のクラスメイト(もちろん女子だ)に、恐る恐る声を掛けてみると。
朝、いつものように教室に入って来た咲耶は、鞄を机に置いてから、足早に教室を出て行き、それきり戻って来なかったのだそうだ。
家が近いなら届けてあげてほしいと、その子から鞄を預かり、桃花は学校を後にした。
駅までの道を、一人で歩くのは初めてだった。
咲耶と話しながら歩いていると、あっという間に着いてしまうのに、今日はやけに長く感じる。
(咲耶ちゃん、今どこにいるんだろ? 噂だと、秋月くんに引っ張られて、どこか行っちゃったってことだったけど……。秋月くん、咲耶ちゃんを、どこに連れてっちゃったのかなぁ?)
駅まで行くには、途中、商店街を通らなければならない。
商店街には、昭和レトロな喫茶店や、おしゃれなカフェ、ファストフード店などもあり、道草を食っている生徒達が、あちこちに見受けられた。
一応、高校の校則では、寄り道して、買い食いなどをしてはいけない――ということになっているのだが、律儀に守っている生徒は、ほとんどいないようだった。
教師達も、その辺りのことには意外とルーズで、見つけても、特に注意することはなかった。
道草を食っている生徒達を横目に、うつむきながら、桃花はとぼとぼと歩く。
鞄を届けに行く頃には、咲耶はもう、家に帰っているだろうか?
もしいなかったら、彼女の母親に、どう説明すればいいのだろう?
そんなことを考えながら、歩き続けていると――。
「桃花っ!」
何処からか名を呼ばれ、桃花はハッとして立ち止まった。
振り返ると、やはり咲耶で、まっすぐ桃花に向かって駆けて来ると、
「桃花ぁッ!!」
今にも泣き出しそうな顔で、ラグビーのタックルよろしく抱きついて来た。
桃花は驚いて目を見開き、
「さ――っ! さ、咲耶ちゃん?……ど……どーしたの?」
戸惑いつつ訊ねるが、咲耶はギュウギュウと桃花を抱き締め、『桃花っ! 桃花桃花桃花ぁあーーーッ!!』と連呼するばかりで、いっこうにらちが明かない。
桃花は咲耶の背に手を回し、落ち着かせるため、軽くポンポンと叩いた。
「ね、何があったかわからないけど、とにかく落ち着こう?……えぇ、と……それに、ここじゃ目立ち過ぎるから……場所、移動しよっか?」
キョロキョロと辺りを見回すと、桃花は、昭和レトロな喫茶店に目をつけた。
「あの喫茶店に入らない? ファストフード店とか、おしゃれなカフェは、人気があり過ぎるから。……ね?」
なるべく穏やかに話し掛け、その背を支えるようにしながら、桃花は咲耶を、喫茶店へと導いた。
店に入り、壁側の、一番奥の席に落ち着くと、桃花はミルクティーを、咲耶はブレンドコーヒーを注文した。
美味しそうなパフェや、パンケーキなども頼みたかったが、高校生のお小遣いでは、少々厳しい値が付いている。我慢するしかなかった。
注文の品が運ばれて来るのを待つ間は、どう話を切り出せばいいのかわからなかったのか、二人はずっと無言だった。
やがて、芳しい香りを漂わせ、コーヒーとミルクティーが運ばれて来た。
上品で可愛らしい印象の老婦人が、それぞれの前に、カップとミルクピッチャーを置く。
老婦人はにこりと笑い、『ごゆっくり』と声を掛けると、一礼し、カウンターへ戻って行った。
桃花は、ミルクティーにグラニュー糖をひとさじ入れ、ゆっくりとスプーンでかき混ぜる。
咲耶はブラックのままのコーヒーを口に運び、気持ちを落ち着かせるよう、ゆっくりと香りを楽しんでから、一口コクリと飲み込んだ。
「……ああ、美味い。ここに入るのは初めてだが、やはり、インスタントコーヒーとは違うな。香りも味も上品で、コクも深い」
美食家を気取っているわけではないが、咲耶は素直にそう思った。
「うん、美味しいね。……でも紅茶は、宝神さんが淹れてくれたものの方が、美味しく感じたなぁ。……あっ。これはあくまで、個人的な感想だけどっ」
それほど広い喫茶店ではないので、周りの客や、店の者の耳に入ってはいけないと思ったのだろう。桃花は慌てて付け加えた。
咲耶はクスリと笑い、
「そんなに慌てずとも、誰も聞いていないだろう。……まあ、もし聞こえていたとしても、仕方ないさ。秋月家で、半世紀以上も仕えている人が淹れた紅茶に、敵うはずがない」
「フフッ。……そうだね。宝神さんのお料理もお菓子も、みんな美味しいもんね」
二人は顔を見合わせ、フフフと笑い合った。
咲耶もようやく、いつもの状態に戻ったようだ。桃花はホッとしながら、ミルクティーをしみじみ味わった。
しかし、和やかな雰囲気も、一瞬のことだった。
咲耶はコーヒーカップに視線を落とし、考え込むようにじいっと見つめていたが、突然、思い詰めたような顔を桃花に向け、
「桃花。……実は、謝らなければいけないことがあるんだ」
そう言って、辛そうに睫毛を伏せた。
桃花はドギマギしながら、ティーカップをソーサーの上に戻す。
いったい何を告白されるのだろうと、少し緊張したが、咲耶はそれ以上に緊張しているようだった。
「咲耶ちゃん? 謝るって……えっと、何を――?」
「すまんッ!!」
咲耶は座ったまま姿勢を正すと、深々と頭を下げた。
桃花はギョッとし、慌てて顔を上げるよう伝えたのだが、彼女は聞かず、頭を下げたまま、こう告白して来た。
「本当にすまない! 実はこの前、秋月に……。あ、秋月から、好きだと告白されてしまったんだッ!!」
「…………え?」
桃花はきょとんとした。
謝られるようなことをされた覚えは全くなかったが、ここまで咲耶が真剣なのだ。きっと、よほど後ろめたいことがあったのだろう。相当、重い告白をされるかもしれないと、覚悟していたのだ。
それなのに……。
「え……っと……。それって、おめでたい話だよね? なのに、どーして謝ったりするの?」
咲耶の真意がわからず、桃花は戸惑いつつ首をかしげた。
すると咲耶は、驚いたように顔を上げ、
「お――っ、怒らないのかっ!? 秋月は、おまえと〝お試しで付き合っていた仲〟なんだぞ!? なのに……どーしてそんな、何でもないことのように――っ」
困惑顔で訊ねるが、桃花は更にきょとんとして。
「え……。だって、ホントに〝何でもないこと〟だもの。わたしもだけど、それは秋月くんにとっても、同じだと思うよ?」
「えッ!?……ど、どーゆーことだそれはっ!?」
「えっと……。これは、わたしが勝手に言っていいことでもないと思うから、詳しい説明は省くけど……。秋月くんがわたしに、〝お試しでのお付き合い〟をお願いして来たのには、ちゃんと訳があってね? その理由が、わたししか知らないことだったから、断りづらくて……つい、引き受けちゃっただけなの。もともと、わたしも秋月くんも、お互いのことが好きだったとか、そーゆーのじゃ全然なかったし……。だからね、秋月くんに好きな人が出来たって、わたしは、これっぽっちもショックじゃないの。むしろ、前から二人ってお似合いだなーって思ってたから、うまく行ってくれたとしたら、すごく嬉しいよ?」
桃花はニコニコしながら伝えたが、何故か咲耶は、まだ泣きそうな顔をしていた。
祝福する想いを伝えたというのに、どうしてそんな顔をするのだろう。
不思議そうに首をかしげる桃花を前に、咲耶はとうとう、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「えええっ!?……さ、咲耶ちゃんっ?」
いきなりのことに、激しく動揺する桃花だったが、咲耶は涙を流しながら、
「桃花は…っ、わ、私が秋月と付き合うことを、望んでいるのか!? あいつの彼女になっても、平気だって言うのかっ!?……結局桃花は、私のことなんてどーでもいーんだなっ? そーなんだなっ?」
責めるような台詞を口にすると、テーブルに突っ伏し、本格的に泣き出してしまった。
……何が何やら、さっぱりわからない。
桃花は周囲からの視線をひしひしと感じながらも、呆然と咲耶を見つめていた。




