第11話 龍生、重苦しい空気の中あの夜の説明を請う
龍生に『こちらの話が済むまで、外へ出ていろ』と命じられた東雲は、大きな体を小さく丸めながら、すごすごと退出して行った。
理由はわからないにしろ、自分が〝マズいことをしてしまった〟ということだけは、ハッキリと感じ取れたらしい。
改めて二人きりになると、龍生は結太にひんやりとした視線を向け、
「さあ、続きを話してもらおうか。……無人島でびしょ濡れになった後の話を、な」
両手両脚を組みながら、暗い声で告げる。
重苦しい雰囲気の中、結太は冷や汗を掻きつつ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
(……やっべー……。龍生のヤツ、完全に目が据わってやがる。こりゃー、相当怒ってんな……)
正直言って、龍生と喧嘩をしたことは一度もない。
したことがないと言うか、結太がどんなにカッとなろうとも、龍生の方が常に冷静さを保っているため、喧嘩に発展することなく、事が収まってしまうのだ。
しかし、今回はいつもと様子が違っている。
龍生が、こんな目で自分を見て来ることなど、今まで一度もなかった。もしかしたら、初めて喧嘩することになるかもしれないと、結太は密かに覚悟した。
「さ、最初に言っとくけど、オレと保科さんの間には、何にもなかったんだからなっ? 妙な勘ぐりしたりすんなよ?」
「べつに、勘ぐってなどいない。俺はただ、島で何があったのかが知りたいだけだ」
「……そっか。なら、まあ……あったことだけ、正直に話すけど――」
そう言って、結太は、無人島で二人に起こった出来事を話し始めた。
暴風雨の中、雨風を凌げる場所を探して、森の中を歩き回ったこと。
途中で結太が小屋を見つけ、そこに向かったこと。
小屋に入ったとたん、結太が倒れてしまったこと。
どうやら結太は、その時、〝低体温症〟というものになってしまっていたらしいこと。
そんな結太を救おうと、咲耶が必死になって、体を温めようとしてくれたこと。
そのお陰で、死なずに済んだことなどを、覚えている限り、なるべく詳しく話した。
その間、龍生はずっと黙って聞いていた。
表情は、能面のように固まっていて、何を考えているのか、全く読み取れない。
「――ってことで、保科さんは、オレの命の恩人なんだよ。あの時、保科さんがいろいろ試してくれてなかったら、たぶん、死んでたと思う。……だから龍生。保科さんのこと、変な風に誤解しねーでやってくれよ? 保科さんは、オレの命を助けるために、仕方なく、いろいろやってくれたんだ。あの時は、ああするしかなかったんだよ。オレを助けられる方法が、他に見つけられなかったんだ。何せ、小屋には何にも――それこそ、新聞紙とポリ袋くれーしか、なかったんだからな」
結太が話し終わった後も、龍生はしばらく黙り込み、腕を組んだままうつむいていた。
胸中では、嫉妬が渦巻いていたりするのだろうか?
そう考えると、結太の胸はチクチクと痛んだ。
前にも思ったことだが、もしもこれが、龍生と桃花の間で起こった出来事だったなら。
きっと、メチャクチャ嫉妬して、龍生の前から逃げ出していただろう。
人命救助だ、仕方なかったんだと、いくら思い込もうとしても、そう簡単には、割り切れなかったに違いない。
咲耶がしてくれたことは、正しいことだ。それは間違いない。
だが、いくら頭ではわかっていても、好きな人が、他の男と一晩中一緒だったと知り、冷静でいられるはずがないのだ。
しかも、下着を脱ぎ、薄い新聞紙で作った、服モドキだけを身に着けた状態で、体を密着させて眠ったと言う。
……結太だったら、とても耐えられそうになかった。
長い沈黙の後、龍生が重い口を開く。
「まずは改めて、おまえに謝らなければいけないな。まさか、怪我を負う前に、命の危機にまで晒されていたとは……。本当に、申し訳ない」
組んでいた腕と脚を解き、姿勢を正すと、龍生は深々と頭を下げた。
謝罪されるとは、まったく思っていなかった結太は、慌てて首を横に振る。
「えっ!?――い、いやっ! べつに、龍生が謝るとこじゃねーって! オレこそっ、あの、しょーがねー状況だったとは言え、保科さんにいろいろやってもらっちまって、申し訳なかったって思ってんだぜっ? オレが龍生の立場だったら、きっと耐えらんなかっただろーなっ……て、思う……し……」
また、余計なことを口走ってしまった。――それに気付いた結太の語尾は、徐々に小さくなって行った。
心臓をキュキュッと絞られている心持ちになりながら、龍生の顔色を窺う。
龍生は、ゆるゆると上半身を起こすと、再び、結太をまっすぐ見据えた。
「……そうだな。正直なところを言えば、複雑だよ。二人を無人島に置き去りにしてしまった責任は、全て俺にある。それだけでも、充分重い罪だとは思っていたが……まさかおまえが、命の危機に晒されていたなんて。そんなこともにも気付かずに、今まで一人で浮かれていたなんて……。恥ずかしくて、消えてしまいたいよ。……だが、それでも。おまえが、危険な状態に置かれていたことがわかった今でさえも、俺は……! 二人が、下着姿同然の格好で、一晩、体を寄せ合って過ごしたのかと思うと……苦しくて、胸が押し潰されそうだ……!」
しわが寄るほど、両手で制服の胸元を握り締め、龍生は胸の内を吐露する。
辛い想いが、痛いほど伝わって来た。
けれど、原因が自分にあることも、嫌と言うほどわかっていたので、どうすることも出来ず……結太はただ、押し黙るのみだった。
「……勝手なのはわかっている。こういう結果を招いたのは、俺自身だ。俺さえ、もっと完璧な計画を立てていたら、おまえは――伊吹さんと、楽しい時間を過ごせていたはずなんだ。悪いのは俺で……おまえを恨む筋合いなど、少しもないということは、よくわかっている。……わかっている! わかっているんだっ!」
わかっていても、それでもどうしても辛いのだと、龍生の震える肩が語っていた。
ここまであからさまに、本音を吐き出す龍生を見るのは、長い間共にいた結太ですら、初めてのことだった。
だからこそ、龍生が咲耶を恋い慕う気持ちは、疑うべくもなく、真実のものなのだということを、強く意識させた。
しばらくの後、龍生は静かに席を立つと、『すまない。今日は帰る』とだけ言って背を向ける。
結太はうなずくことしか出来ず、打ちひしがれた友の背中を、身を切られるような想いで見つめていた。
戸を開けて、足を一歩踏み出したところで、龍生は顔だけ振り返り、
「結太。……ひとつだけ訊いていいか?」
「えっ?……あ、ああ」
探るように目を細めた後、暗い声で問い掛ける。
「……咲耶とは、本当に何もなかったんだな?」
一瞬ぽかんとした後、結太はサッと顔を赤らめ、
「あ――っ、あったりめーだろッ!! オレからは指一本触れてねーよッ!!――第一、オレには伊吹さんがいんだぞッ!? 好きな人の親友に手ぇ出すほど、落ちぶれちゃいねーよッ!!」
話の冒頭で、まずそれを伝えたではないかと、少々ムカつきながら、断固として否定する。
結太の答えに、龍生はフッと寂しげに微笑むと。
「そうだな。おまえは、そんなことの出来る奴ではないな。……疑うようなことを言って、すまなかった」
音もなく戸が閉まり、静寂が室内を満たす。
結太は僅かに上げていた頭を枕に沈めると、深く、長いため息をついた。




