第8話 結太、イチャついて見える二人にゲンナリする
二人のじゃれ合い(?)を眺めているのも、馬鹿らしく思えて来た。
結太はげんなりした顔でため息をつくと。
「なあ。おまえら、オレの話を聞きに来たんじゃねーの? いつまで、そーやってイチャついてるワケ?」
「ば――っ! バカなことを言うなッ!! 誰と誰が、いつ、どこで、イチャついたってぇええッ!?」
「あんたと龍生が、今、ここで」
赤面しながら、即座に否定して来た咲耶に、結太は即答で返す。
予想外の素早い反応に、ムググと詰まりながらも、咲耶は負けじと言い返した。
「い、イチャついてなどいないわッ!! 貴様の目は節穴かッ!? どこをどう見たら、イチャついているように感じられると言うんだッ!?」
「……いや。どっからどー見ても、イチャついてるよーにしか見えねーけど」
「なっ――! 何ぃいいッ!?」
咲耶は悔しそうに歯噛みし、結太を思い切り睨み付けた。
その迫力たるや、牙をむき出して威嚇して来る、狼のごときだった。
結太は縮み上がりそうになったが、ここで怯んでは男が廃ると、咲耶を真正面から見据える。
龍生は冷静に、対立する二人の様子を眺めていたが、ふいに、クスッと笑うと、
「咲耶。結太は怪我人なんだ。もう少し労ってあげないと気の毒だろう? ここは病院なんだから、大声を出すのもダメだ。――ほら、ここに椅子がある。まずは座って落ち着いて」
そう言って、折り畳み式の椅子を咲耶の前に置き、座るよう促す。
咲耶は、病院であることを思い出したのか、ハッと龍生の顔を見つめると、恥ずかしそうにうつむいて、大人しく椅子に座った。
それを見届けてから、龍生も隣に椅子を置き、腰を下ろす。
「すまなかったな、結太。咲耶も、こうして反省しているようだから、許してやってくれないか?」
「えっ?……あ、ああ。それは、まあ……。オレはべつに、怒ってるワケじゃねーけど」
「――ほら、許してくれるそうだ。だから、そんなに落ち込むな」
優しく声を掛け、咲耶の頭を撫でる龍生に、結太は唖然とした。
まるで、小さな子をあやす、父親のようではないか。
こんなことをされたら、今までの咲耶だったら、『気安く触るな!』などと言って、手を払い除けていたはずだ。
それなのに……今は意外にも、両手を膝に乗せ、借りて来た猫状態で撫でられている。
(うわ……。何かすっかり、飼い慣らされてるって感じ?……へぇぇ~。あの狂暴な保科さんをねぇ。やるなぁ、龍生のヤツ)
咲耶が聞いたら、怒り狂いそうなことを考えながら、結太は二人に気付かれぬよう、フムフムとうなずいた。
咲耶は否定していたが、やはりこの二人は、付き合う運命にある気がする。
何故そう思うかと言うと。
頭を撫でられている時の咲耶は、ただ大人しくしているだけでなく、とても気持ち良さそうな表情をしていたし、完全に、心を許しているように感じられたのだ。
(龍生も、スゲー幸せそうな顔してる。……よかったな。おまえもようやく、恋に目覚めたんだな)
そんなことを考えていたら、ふいに、桃花の顔が浮かんで来てしまった。
同時に、あることを思い出し、結太は慌てて龍生に目をやった。
「な、なあっ、龍生。保科さんと付き合うことになるかもしんねー……ってこと、伊吹さんには、もう話してあんだよな?」
「え?……あ」
龍生は一瞬、『しまった』というような顔をした。
それを見たとたん、結太はカッとし、
「おまえ……伝えてねーのか、伊吹さんに!?」
ひときわ険しい顔で、龍生に詰め寄る。
龍生は、珍しく気落ちしたような表情で、
「ああ……そうだな。まだ話してはいない……な」
「――って、なに呑気なこと言ってんだよッ!? お試しでの付き合いを申し込んだのはおまえの方だろッ!? それを解消してねーってんなら、まだ付き合ってることになってんだろーがッ!!」
本当なら、真っ先にそのことを告げ、自分の都合に付き合わせてしまったことを、詫びなければいけないはずなのに。
迷惑を掛けてすまなかった、今までありがとう――と、伝えなければいけないはずなのに。
そんなことにも気付かないとは――まったく、龍生らしくもない。
「そうだな。すまない。うっかりしていた……」
「な――っ!」
結太はカッとなり、大声で龍生を責め立てる。
「ふざけんなよッ!! おまえらは、浮かれててそれどころじゃなかったのかもしんねーけど、伊吹さん巻き込んだのは、龍生、おまえだろッ!? なのに、うっかりしてたって何だよ!? 無責任にも程があんだろーがッ!!」
「……ああ。まったくその通りだ。申し訳ない」
「オレに謝ったってしょーがねーだろッ!! ちゃんと伊吹さんに謝れッ!!」
「ああ、そうだな。……わかった。伊吹さんには、すぐに謝罪に行く」
先ほどまでの幸せいっぱいの表情は、すっかりかき消えてしまっている。
暗い顔つきの龍生を見、結太はハッと我に返った。
「あ……いや。オレが偉そーに言えることじゃ、ねーんだけど……さ。もともとは、オレのために考えてくれたことなんだもんな。……だっ、だから、わかってくれりゃそれでいーんだ。キツい言い方しちまって、悪かった」
慌てて謝ったが、龍生は首を横に振り、神妙な面持ちでうつむく。
「いや、結太が腹を立てるのは当然だ。おまえの言うとおり、かなり浮かれてしまっていた。伊吹さんには、俺が無理を言って、いろいろと付き合わせてしまっていたのに……」
一気に沈んでしまった病室内の雰囲気に、結太は焦っていた。
ふと見ると、咲耶までもが暗い顔をし、深くうつむいてしまっている。
(う……マズい。こんな雰囲気の中、あの話をすることになるのか?……いや、保科さんが歯形を付けた理由だけを話すなら、かえって暗さを吹き飛ばしてくれる――って可能性もあんのかもしんねーけど、それ以外がなぁ……)
〝それ以外〟とは、『寝惚けて歯形を付けられるような距離で眠っていたのか?』という質問をされた場合に、しなければならない話のことだ。
特に、付き合う一歩手前の状態である二人の前で、するべき話ではない気がする。
そこでふと、咲耶に〝抱き枕〟扱いされた夜のことが、結太の脳裏をよぎった。
新聞紙を巻き付けただけの体に、後ろから抱きつかれて眠った、あの夜のことが……。
(……ダメだ! 〝するべき話ではない〟どころじゃねー! 〝絶対しない方がいい〟話だ、これッ!!)
もし、あの夜の出来事が、龍生と桃花の間で起こったことだったとしたら。
そしてそれを、自分が知ってしまったとしたら。
きっと……いや、絶対。激しい嫉妬で、結太の胸中も脳内も、グチャグチャのゴッチャゴチャになっていただろう。
龍生はいつも冷静だが、だからと言って、心の中までもが、そうとは限らない。
あのことを龍生が知ることにより、うまく行きそうな二人の関係が、壊れてしまうようなことがあったとしたら……。
結太は、まだうつむいている二人を見つめ、『保科さんの了解を取って、出直して来てくれ』などと龍生に言ってしまったことを、激しく後悔していた。




