第5話 咲耶、龍生の求愛を頑なに拒む
「おまえが変態だということは、よーくわかった! 今度から仮面王子ではなく、変態王子と呼んでやろう!……そ、それが嫌だったら、私のことは潔く諦めるんだな! その方がおまえのためだぞ!」
警戒するように、龍生と一定の距離を置くと、咲耶はやや逃げ腰で言い放った。
龍生はポカンとした顔から、『やれやれ』といった呆れ顔に変化させ、大きなため息をつく。
「咲耶、もう忘れてしまったのか? 君がどう思っていようと、この先誰を好きになろうと、好きだという想いだけは変えられない。そう伝えたばかりだろう? 俺が咲耶を『潔く諦める』なんてことは、あり得ないんだよ」
「……って、『そんなことも覚えられないのか』とでも言いたげな、〝物覚えの悪い子を憐れむような〟目つきやめろッ!! 言われたことを忘れたわけじゃない!! 覚えてる上で、私のことは諦めろと言ってるんだッ!!」
「嫌だ」
「な――っ!……な、何ぃっ!?」
呆気なく即答され、咲耶はうろたえた。
咲耶に『変態王子』と呼ばれても、平気だとでも言うのか?
「だから言っただろう? 俺が咲耶を諦めるなどあり得ない、と。――『変態王子』? そう呼びたければ、いくらでも呼ぶがいい。君を諦めることに比べたら、大した問題ではない」
「えええッ!?……い、いーのかっ? 『変態王子』と呼ばれてもいーのかっ!?」
咲耶は、『私だったら絶対嫌だぞ』と思いながら、珍しい生き物を見るような目つきで、龍生を見返した。
龍生は少しも動じることなく、どこまでも真剣な面持ちで。
「構わない。その程度のことで諦められるくらいなら、とっくに諦めている」
「う――っ!……う、うぅ……」
――マズい。
付け入る隙が微塵もない。
咲耶はいよいよ追い詰められ、龍生はと言うと、不満そうな顔つきで腕を組み、小首をかしげている。
「わからないな。何故そこまで、俺と付き合うことを嫌がるんだ? 俺と付き合っていることにすれば、君の朝の行動も、痴話喧嘩ということで片付けられるんだぞ? 痴女の疑いも晴らせる」
「そっ、そんな噂が立ってるかどうか、まだわからないじゃないかッ!! おまえが勝手に言ってるだけだろう!?」
咲耶はそう言い張るが、噂とは、個人の想像以上に大袈裟に、無責任に、尾ひれを付けて広まるものだ。
正直なところ、痴女程度の噂で済んでいればいいのだがと、龍生は懸念している。
「……まあ、途中からは、自分で制服を脱いだからな。ある程度は、痴女と決めつけられる可能性は、弱まったかもしれない。……いや、そう思いたいところだ」
ムググと詰まりながらも、咲耶は尚も言い張る。
「とにかくっ、そんな理由で付き合うなど、私は御免だッ!! 付き合うっていうのは、もっと、こう……そ、そーだっ、〝相思相愛〟とかいう者同士が、だな……。その……ええと……」
台詞中のある部分に、龍生はピクリと反応した。
憂いを含んだ表情で、咲耶をじっと見つめる。
「咲耶は、俺が嫌いなのか?」
「――えっ?」
急に切ない視線を向けられ、咲耶の胸は、キュッと締め付けられた。
先ほどまで、心の中で何度も何度も、『嫌いだ』とつぶやいていたはずなのに。
真正面から訊ねられてしまうと、その言葉を口にするのはためらわれた。
「俺のことは、少しも好きじゃないのか?……もしかして……『ユウくん』とやらの方が、好きだとでも?」
それまで憂えていたはずの声が、『ユウくん』の辺りから、冷たい響きに変わった。
咲耶はヒヤリとしながらも、まるで、嫉妬しているかのようだと、戸惑いを隠せないまま訊き返す。
「『ユウくん』の方が、って……。な、何言ってるんだ? ユウくんはおまえだろう?」
「いいや、違う」
「…………え?」
今度の即答には、素早く反応出来なかった。
咲耶は数秒ほど間を置いてから、改めて驚きの声を上げた。
「……ええええッ!?」
いったい、何を言っているのだろう?
龍生がユウくんではないとするなら、誰がユウくんだと言うのだ?
「どどどどーゆーことだっ!?……だ、だって、幼い頃、私を庇って大怪我を負ったのは、おまえなんだろう?」
「ああ。それは俺で間違いない」
そこはすんなり肯定され、咲耶はホッと息をついた。
「な……なんだ。それじゃあやっぱり、ユウくんはおま――」
「だが、俺は『ユウくん』ではない」
「えーーーーーッ!?」
肯定したと思ったら、今度はまた否定だ。
咲耶の頭は、こんがらがってしまった。
「だ……だって、それじゃおかしいじゃないかっ。私を助けてくれたのは、おまえなんだろう? だったら、おまえはユウくんのはずだ!」
「俺の名前は龍生だ。『ユウ』などと読む漢字は、苗字にすら含まれていないし、そんなあだ名を付けられたこともない」
「そ、それは……。確かにその辺りは、私も引っ掛かってはいたが……」
……そうなのだ。
咲耶は『ユウくん』の全てを、思い出したわけではない。
ハッキリと覚えているのは、幼い頃、一緒に遊んだ男の子の名前が、『ユウくん』であるということ。
そして『ユウくん』が、自分を庇って大怪我をしたこと。このふたつのみだ。
残りの記憶は、どれもぼんやりとしていて……。
『ユウくん』が優しくて、礼儀正しくて、でも、いざという時には頼りになって……というイメージ的なものが、微かに残っているのみだった。
昔の『ユウくん』のイメージと、今の龍生のイメージは、うまく重ならない部分もある。
それでも『ユウくん』は、確かに存在した。
咲耶を助けてくれたのが、龍生で間違いないと言うのであれば、やはり――。
「私が、幼い頃に遊んだ記憶があるのは、『ユウくん』だけだっ! だから絶対絶対、おまえはユウくんのはずなんだっ! そうじゃなきゃおかしいッ!!」
「……本当に? 本当に俺以外と、遊んだ記憶はないのか?」
「ないッ!!」
咲耶はキッパリと言い切った。
それだけは、自信を持って言える。
『ユウくん』の他に、一緒に遊んだ男の子など、絶対に存在しない。
「『ユウくん』と遊べなくなってから、桃花と知り合ったんだしな。それ以降は、ずーーーっと桃花と一緒だった。遊ぶ時は、いつも二人きりだったし……。他の者が入り込む余地など、これっぽっちもなかった! 桃花に確認すればわかることだ!」
「……ふぅん……」
そこで突然、龍生は不機嫌そうに顔をしかめた。
咲耶はドキッとしながらも、
「……な、なんだ? 何か言いたいことがあるなら、ハッキリ言えばいいだろう?」
恐る恐る訊ねてみたが、龍生はため息をついてから、ふいっと視線をそらす。
「べつに何も。……とりあえず、その話は保留としておこう。お互いが頑なに主張し合っていても、らちが明かないしな」
「あ、ああ……」
急に変わった龍生の表情や態度に、咲耶は内心ドキドキしていた。
何か、気に障るようなことでも言ってしまったのだろうかと、不安で仕方なかった。
そんな咲耶の思いも知らず、龍生は落ちていた学ラン(咲耶と揉み合っているうちに、腕から滑り落ちたらしい)を拾い上げ、汚れを払うと、シャツの前ボタンを留め、再び学ランの袖に腕を通す。
どうということもない、ただ〝服を着る〟という動作が、何故か無性に色っぽく、カッコ良く見え……咲耶はしばし、うっとりと見惚れてしまった。
まさか、その程度の動作に、熱い視線を送られているなどとは、夢にも思わない龍生は、くるりと振り向き。
「では、そろそろ裏門に迎えを呼んで、結太のところに行くとしよう。いつまでも、ここにいるわけにも行かないしな」
「……へっ?……え……。いっ、今からっ?」
夢から覚めたように、咲耶は瞼を瞬かせる。
「ああ。今更教室には戻れないし、今日はこのまま、エスケープしてしまおう。どうせ、帰りには君と共に、結太の話を聞きに行くつもりだったんだ。予定が少し繰り上がっただけ。何の問題もないだろう?」
「えっ。……は、話って……?」
ぼんやりとしていた後だったので、すぐにはその約束を思い出せなかった。
「決まっているだろう? 君の〝歯形〟の話だよ」
まるで、楽しみにしていた映画でも観に行くかのようだ。
上機嫌でニコリと微笑む龍生とは逆に、咲耶は一瞬にして蒼ざめた。




