第4話 龍生、反省して咲耶をなだめる
咲耶が泣き止んでくれるまで、龍生はひたすら謝り続け、抱き締め続け、そしてまた、幼い子をあやすように、髪を撫で続けた。
また『セクハラだ』と言われてしまうかもしれないが、そうしている方が、早く泣き止んでくれるような気がしたのだ。
実際、その行為は有効に働いた。
肩の震えは、徐々に小さくなって行き、数分後には、すすり泣く声も聞こえなくなっていた。
龍生は内心ホッとしながら、尚も髪を撫で続ける。
咲耶が顔を上げてくれるまで、続けるつもりだった。
泣き止んだ咲耶はと言うと。
今更ながら、子供のように泣きじゃくってしまった自分が情けなく、恥ずかしくて、顔を上げられずにいた。
よりにもよって、龍生の目の前で、大泣きしてしまうとは。
正に、〝一生の不覚〟としか言いようがない。
(うぅ……。もう嫌だっ。こいつといると、ろくな目に遭わない。幼い頃は、確かに少々泣き虫だったが……桃花と出会って、私は変わったんだ。桃花のために、強くなろうとして来たし、実際強くなれた。泣き虫なんて、とっくに返上出来ていると思っていたのに!……なのに、どうして……どうして、こんな醜態を……)
考えると、悔しさで、また泣けて来そうになる。
咲耶は必死に考えないように、ひたすら〝無〟になろうとしていたが、なかなかうまく行かなかった。
その上、腹が立って仕方ないのに、龍生の腕に包まれていると、何故か、とても安心出来る。
髪を撫でられると、素晴らしく心地良くて、次第にうっとりとして来てしまい……。
そのたびに、ハッと我に返るのだ。
(うぅ……。どうしてなんだっ? こいつの言動には、いつもムカついてムカついて堪らないのにっ。ぶん殴りたいくらいなのにっ。なのに何で……どうしてこいつの腕の中にいると、こんなにホッとするんだ?……おかしい。こんなの絶対おかしいっ。……うぅぅぅ~……。いったい、どーしてなんだよ~~~~~っ!!)
自分の中に、ふたつの想いが混在している。
早く離れたいという想いと、このままこうしていたい――という想いだ。
大きく揺れ動くふたつの想いに翻弄され、咲耶は、どうしていいのかわからなくなっていた。
とっくに涙は止まっているのだから、早く離れたいと、いつもなら思っているはずだ。
現に、さっきから、『いい加減離れろ!』とでも言って、思いきり突き飛ばしてやろうかと、繰り返し思っている。
それなのに、『やはり、あともう少しだけ……』という気持ちが寸前で上回り、思い留まる始末だった。
(ああ~~~っ、わからんっ!! 自分の気持ちが、ここまでグチャグチャなのは初めてだ。……嫌いなのに。嫌いなはずなのに、離れたくないと思ってしまうなんて、絶対変だ! 矛盾している!……早く。早く離れなければ。さっさと離れて言ってやるんだ。『おまえのような自分勝手な奴と、付き合う気など全くない!』と。……そうだ。言うんだ。言ってやるんだ。言ってやるんだから離れなくちゃいけないのに。……いけない……のに……)
咲耶は、龍生の腰辺りに軽く手を添えていたが、いつしかシャツを掴み、ギュウっと握り締めていた。
離れがたい想いの表れだったが、無意識の行動なので、当然、本人に自覚はない。
一方、咲耶に動きがあったことに気付いた龍生は、なるべく穏やかな声で話し掛けた。
「咲耶?……落ち着いた?」
龍生の声が降って来たとたん、咲耶はハッと目を開いた。
どうやら、またうっとりとしてしまっていたらしい。
龍生は、そっと咲耶の頭を抱き、ささやくように語り掛ける。
「本当にすまない。たくさん泣かせてしまって……。もう二度と、昔の傷をダシにして、君を傷付けたりしない。約束する。だからお願いだ。頼むから、嫌いにならないでくれ」
思わずドキッとしてしまうほど、切なげな声だった。
懇願とも思える、少し弱々しささえ感じさせる声に、咲耶は困惑した。それまでの龍生からは、聞いたことがないような声だったのだ。
「秋……月……?」
落ち着きを取り戻し掛けていた咲耶の胸が、再びザワザワし始める。
嫌われるようなことばかりしておいて、今更『嫌いにならないでくれ』というのも、勝手な話だ。
しかし、その声が、あまりにもすがるようだったので、『放っておけない』気にさせられてしまう。
「君が、そこまでこの傷のことを気にしてくれていただなんて、知らなかったんだ。俺にとって、この傷は――君を護ることが出来た証と言うか、勲章のようなものだったから。辛く感じたことなど一度もなかったし、傷が癒えてからは、気にしたことすらなかった。それどころか、今朝、『服を脱いで後ろを向け』と、君に言われた時も、傷痕を確認するためだとは、気付くことすら出来なかった。……すまない。本当にすまなかった。君は本気で心配してくれていたのに、俺はまた……無神経な言動で、君の古傷を、えぐるような真似をしてしまっていたんだな」
わかってほしいという、強い想いからなのか、龍生は、いつもより饒舌になっていた。
嫌われたくなくて、必死だったのだろう。
龍生は再び、咲耶の髪を撫でながら、自分の想いを、全て吐き出すかのように語り始めた。
「咲耶、君が好きなんだ。君が、俺のことをどう思っていようとも、この気持ちだけは変わらない。これからもきっと……ずっと変わらない。君がこの先、誰を好きになろうと、この想いだけは、変えることは出来ないだろう。……好きだ。好きで好きで堪らないんだ。好きだから……君が俺の傷を舐めてくれた時も、俺の手に噛み付き、歯形を残してくれた時も……同じように嬉しかった」
龍生の告白を、再びうっとりとしながら聞き入ってしまっていた咲耶は、『俺の傷を舐めてくれた時も』という言葉が聞こえた辺りで目を見開き――最後の『嬉しかった』で、カーッと全身が熱くなった。
「な――っ!……な、なななな何だそれはッ!? 私がいつ、おまえの傷を舐めたりなど――っ! そ、そんな破廉恥で変態みたいな行為、この私がするはずないだろうッ!?」
真っ赤になって龍生の体を突き飛ばすと、咲耶は思い切り異を唱えた。
龍生は、きょとんとした顔で咲耶を見返す。
それから、自分の右手を咲耶の眼前まで持って行き、人差し指の絆創膏を、見せつけるように示した。
「この指の傷。流れ出た血を、舐め取ってくれただろう?……覚えていないのか?」
「そっ、それは……」
一瞬にして思い出した。
龍生が自らの手に噛み付き、負った傷だ。
「あ……あれはっ、おまえがいきなり、噛み付いたりするからだろうッ!? 血が流れていたし、すぐ手当てしなければと思って、仕方なく……。き、緊急を要することだったからだっ! あくまで仕方なく……だったんだからなッ!? 好きでしたことじゃないぞッ!?」
「君があの時、どう思っていたかは関係ない。君が舐めてくれたことが、単純に嬉しかった――という話だ」
「なっ、な、舐めるとか何度も言うな恥ずかしいッ!!……な、舐められて嬉しいとか、噛み付かれて嬉しいとかって、おまえは変態かッ!? 人のことをいじめて楽しんでいるようだったから、てっきりSなのかと思っていたが……実は、Mの方だったのかッ!?」
驚愕と羞恥でゴチャゴチャになりながら、咲耶が恐々訊ねると、龍生は何故か、ニッコリと微笑んだ。
「俺は、相手が咲耶限定なら、SにもMにもなれる男だよ。――それが何か?」
何のためらいもなく言い切られ、咲耶の背に、ゾゾゾッと悪寒が走った。




