第2話 咲耶、龍生の強引な求愛に動転する
「な……っ!」
咲耶が短く声を上げた瞬間、龍生は彼女を懐に抱え込み、体の自由を奪った。
「なっ、何をするっ!?――離せッ!! 離せってばッ!!」
腕の中でもがいている咲耶を強く抱くと、龍生は耳元に口を寄せてささやく。
「静かにして。大声を出したら、ここにいることを気付かれてしまう」
「知るかバカッ!!――何なんだよいったい!? この前からセクハラばっかりして来てッ!! おまえ、この学校の王子なんだろう!? 王子なら王子らしく、もっとそれっぽくしたらどうなんだ!? 実際はこんな奴だって知ったら、女生徒はみんな離れて行くぞッ!? もう、誰もキャーキャー言ってくれなくなるんだからなッ!? それでもいーのかッ!?――嫌だったら離せッ!! 今すぐ離せッ!! とにかく離せッ!! 離せ離せ離せ離せッ!! 離せってばぁッ!!」
両手を龍生の背中に回してシャツを掴み、ありったけの力で引っ張って、咲耶は必死に逃れようとした。
だが、二人の体は、一ミリの隙間もないほど密着したままだ。
力いっぱい抵抗しているのに、何故、こいつの体はピクリとも動かないのだろう?
想像以上の男女の力の差に、咲耶は絶望しそうになった。
(くそぅ! 女子の中では、握力も背筋力も持久力も、結構ある方なのに!……くそぅッ!! くそぉおおッ!!)
女性としては、少々はしたない言葉を、心の内で繰り返し叫びながら、咲耶は強い屈辱を味わっていた。
おまけに、龍生は未だ、シャツに両腕を通しただけの状態で、はだけた部分から覗く裸体が、直に頬や唇に当たる。
先ほど教室で抱き合っていた時は、全く気にならなかったのに、今は恥ずかしくて堪らなかった。
このまま消えてしまいたいと願うほどに、咲耶の体は熱くほてり、羞恥に震えていた。
「離せよバカッ!! バカバカバカバカッ!! 秋月の大バカヤロウッ!!――この変態ッ!! 露出狂ッ!! セクハラ大魔王ーーーーーッ!!」
とにかく離れたくて――離してほしい一心で、わざとムッとするような言葉を並べ立ててみる。
それなのに、龍生は怒って突き放すどころか、クスクス笑いながら、腕の力を強めて来て……ますます咲耶を、惨めな気持ちにさせるのだった。
(うぅ~……っ。こいつ絶対、人をからかって楽しんでるな!? 女の力が弱いと思って、なめてかかってるんだ!!)
腹が立つやら恥ずかしいやら情けないやらで、咲耶はどんどん追い込まれ、涙が溢れそうになったが、既のところで堪えた。ここで泣いては、負けだと思った。
「もうっ、ホントにいい加減にしろよッ!! 早く離さないと、後でおまえにセクハラされたって言いふらすぞ!? そうしたら、完全に終わりだぞ!? 王子の名に傷が付くぞッ!? 女生徒からの人気、ガタ落ちなんだからなッ!?」
「構わない。そんなもの、元から望んでいない」
「――えっ!?」
学校では〝優等生〟で通し、女生徒達からは〝王子〟ともてはやされている龍生だ。正体がバレるのはキツいだろうと思ったのだが。
予想外の反応に、咲耶は思わずうろたえた。
「王子になりたいなどと思ったことは、一度もないよ。俺がなりたいと望むのは、いつだって、たったひとつだけ。〝保科咲耶が心底惚れる男〟。……それだけだ」
「な――っ!……な、何……言って――……」
思い掛けない言葉に、咲耶の体は更に熱くなる。一度近くは上がってしまったのではないかと不安に襲われるほどの、急激な体感温度の上昇だった。
心臓も、もはやドキドキどころではない。バックンバックン。――いや、ドッドッドッドッ、ドドドドドッ――とでも表したくなるほど、もの凄い速さで脈打っている。
「俺が欲しいのは、保科咲耶からの信頼、好意だけだ。それさえ手に入れられるなら、他からの評価などどうでもいい。……だから咲耶、俺を好きになれ。俺ほど、君を求めている男はいない。この世界のどこにも、だ。君にふさわしい男は、たった一人。この俺だけだ」
(な…っ!……なななっ、なっ何を言っているんだこの男はっ!? 『俺を好きになれ』だと!? 何で命令形なんだ!? ここはせめて、『好きになってくれ』くらいにしとくところじゃないのか!? 『俺ほど、君を求めている男はいない』!? 『この世界のどこにも』!?……ど、どーしてそんなことがわかるんだ!? 世界中捜し回れば、どこかにはいるかもしれないじゃないか!! その上、『君にふさわしい男は俺だけ』――だとぅ!? 何でそこまで、ハッキリキッパリ言い切れるんだッ!? 自信過剰にも程があるぞ、このセクハラ傲慢王子めッ!!)
急激な体温上昇に加え、動悸や呼吸困難、めまいなどにも悩まされつつ、咲耶は懸命に、『どうしたらこの状況から抜け出せるのか?』を考え続けていた。
一刻も早く、龍生の腕の中から逃れなければ、どうかなってしまう――冗談でなく、死んでしまうのではないかと、恐怖すら覚えるほどだった。
(くそぅッ!! 私がこれだけ苦しい思いをしているのに、秋月の奴は、どーしてこうも落ち着き払って、余裕まであるんだッ!?……不公平だッ!! こんなの絶対おかしいッ!! 普通は、告白して来た方が緊張するもんだろう!? なのにどーして……っ! どーして私ばっかり、こんな苦しい思いをしなければいけないんだーーーーーッ!!)
心の中の絶叫を最後に、咲耶の気力値と体力値は0になった。
龍生の腕の中で、ぐったりと力尽きる。
「――咲耶?」
咲耶の限界は、龍生にも、体を通して伝わった。
ハァハァと荒い息を繰り返し、完全に体を預ける形になっている咲耶に、龍生は愛しくて堪らないという眼差しを向ける。
それからギュッと抱き締め、彼女の頭頂部にキスをした。
その瞬間、また何かされたようだと、咲耶も気付いてはいたのだが。
体中から力が抜けてしまっていて、何の反応も返せなかった。龍生に体を預けたまま、荒い息を繰り返すのみだ。
「ああ……嬉しいな。抵抗するのをやめてくれたということは……ようやく、俺の気持ちに、応える気になってくれたんだな」
(ちっ、違うわボケッ!! 気力体力使い果たして、もう、力も声も出せないんだバカヤローーーーーッ!!)
咲耶は心の中で訴えるが、当然、龍生には聞こえない。
聞こえないが、彼女の気力と体力が、とっくに尽きていることはわかっていた。わかっていて、わざと言っているのだ。
抵抗されない今がチャンスとばかりに、髪を撫で、香りを嗅ぎ、存分に彼女の感触を味わう。
更に、この気持ちを伝えるのは今しかないと、髪を撫でながら、当たり前のことを告げるように宣言した。
「やはり、俺達は付き合うしかない。今日から恋人同士になろう」




