第1話 咲耶、龍生に屋上へと連れて来られる
龍生に手を引かれ、咲耶が連れて来られた場所は、校舎の屋上へと続くドアの前だった。
「こんなところに連れて来て、どうするつもりだ? 屋上は、鍵がないと入れないはずだろう?」
咲耶に問われると、龍生はフッと微笑んで、抱えていた学ランのポケットから、屋上の鍵らしきものを取り出した。
「えっ? それ、もしかしてここの鍵かっ?……だが、普通は職員室で、使用理由を先生に告げてから、借りて来るものじゃ……」
「高校に入学して、少し経った頃だったな。担任に、ちょっとした仕事を頼まれてね。その時ここまで連れられて来られたんだが、しばらく鍵を預かっている間に、これは使えるなと思って……ちょっと、ね」
「『ちょっと』?」
首をかしげる咲耶に、龍生は、悪戯を思いついた子供のように微笑む。
「入学直後は、周囲が色々とうるさくてね。やれ部活に入れだの、生徒会に入れだの……休み時間ごとに女子が教室まで来て、動物園のパンダよろしく、眺められたりもした。いい加減うんざりして、一人になれる場所はないだろうかと、ずっと探していたんだ。そんな時、ちょうどここの鍵を預かったから、ついでに合鍵を――」
「わざわざ作ったのか!? 合鍵を!?」
「フフッ。……まあ、そういうこと」
平然と答える龍生に、咲耶は呆れてため息をついた。
「そんな顔しないでくれ。べつに、悪用しようってわけではないんだから。ここの合鍵を持っているのは、俺と結太だけだし、何の問題もないよ」
「えっ? 楠木も持ってるのか?」
「ああ、まあね。結太も入学したての頃は、クラスに馴染めず、悩んでいたようだったから。『教室に居辛い時は、これを使え』と渡したんだ。結局、俺の方は、この鍵を使う機会はほとんどなかったが、結太はちょくちょく使っているようだ。せっかく作った合鍵だしね。無駄にならなくてよかったよ」
「よ……よかったよ、って……」
少しも悪びれた様子のない龍生に、咲耶は呆れ果てた。
龍生はと言うと、そんな咲耶の様子を気にすることなく、合鍵を使って屋上のドアを開けている。
そして振り返ると、『さあ、行こう』と、咲耶に片手を差し出た。
この手を拒み、教室に戻ったとしても、とっくに授業は始まっている。
途中から、コソコソ入って行くのも気が引けるので、咲耶は大きなため息をつくと、渋々彼の手を取った。
屋上に出ると、二人は手すりに近付いて行って、何気なく校庭を見下ろした。
一時限目から体育の授業があるクラスはないらしい。人影は全くない。
「静かだな。……フフッ。この俺が、授業をサボる日が来るなんて。今日まで思いもしなかったよ」
「それは私だって同じだ! 高校に限らず、授業をサボったことなど今まで一度もなかったのに……。おまえが手を引っ張って、こんなところに連れて来るからだぞ! いったい、どーしてくれるんだ!?」
怒っているわけではないのだが、ほとんど無理やりサボらせられたようなものだ。
何か一言くらいは言ってやらなければと、咲耶は龍生を軽く睨んだ。
龍生は真顔で見返すと、
「サボることになったのは、俺のせいだと言いたいのか?」
フェンスに背中を寄り掛からせ、小首をかしげる。
「当たり前だ! 本当にそうじゃないか!」
咲耶は強気で言い返すが、龍生は余裕たっぷりの様子で腕を組み、少し意地悪く微笑んだ。
「ふぅん……。じゃあ咲耶は、あんなことがあった後の教室で、好奇の目に晒されたまま、俺に授業を受けろと? 服を脱がそうとしたり、裸の上半身に抱きついて来たりして、俺を注目の的にした張本人が? サボる羽目になったのはおまえのせいだと、俺を責めるのか?」
「う…っ」
痛いところを突かれ、咲耶は赤面して固まった。
確かに、朝っぱらから龍生のクラスに乱入し、服を脱がせようとしたり、抱きついたりして、龍生を注目の的にしてしまったのは自分だ。
むしろ、責められなければいけないのは自分の方だったと、即座に反省する。
「す……すまん。私が悪かった……」
恥ずかしそうに目をそらし、素直に謝って来る咲耶が、しおらしく可愛らしい。
瞬間、龍生のS心にスイッチが入った。
もっと意地悪なことを言って、咲耶を困らせたい。意外な反応を、違った一面を引き出したい。この前のように、怒りと恥ずかしさで涙目になる咲耶が、もう一度見たい。
そんな欲望が、彼の心を瞬く間に満たして行った。
龍生は少し腰を屈め、咲耶の顔を覗き込むようにしながら、
「教室に戻ったら大変だろうな。咲耶の行動を見ていた者達は、クラス内外にたくさんいる。朝、咲耶が俺に何をしたかは、尾ひれを付けて言いふらされ、今日のうちに、学校中に広まるだろう。……フフッ。それこそ、『保科咲耶は痴女だ』などと、噂されているかもしれないよ? だとしたらどうする?」
からかうように笑ってみせると、咲耶は更に真っ赤になって、龍生を思い切り睨み付けた。
「な――っ! だ、誰が痴女だッ!! 失礼なことを言うなッ!!」
「フフッ。俺が言ったわけじゃないよ。そう言われていたらどうする?――って話をしているんだ。……あり得ない話でもないだろう? 君が俺の制服のボタンに手を掛け、上から外して行ったのは間違いないんだから」
「ぐ――っ!……う、うぅ……」
悔しそうに歯噛みして、咲耶は龍生を睨み続ける。
もう一押しと踏んだ龍生は、更にたたみ掛けた。
「咲耶は、サボる羽目になったのは俺のせいだと責めるけれど、それはお門違いだと思わないか? 俺としては、むしろ感謝してほしいくらいくらいだ。あの時俺が、〝自ら服を脱ぐ〟という選択をしていなければ、咲耶は確実に、痴女扱いされていただろうからね。その可能性を、少々弱める手伝いをしたんだ。感謝されこそすれ、責められなければならない理由など、どこにもないはずだ。……ねえ? そうは思わないか、保科咲耶さん?」
「う……ぐ……。むぅぅ~……!」
咲耶の目にうっすらと、涙が膜のように覆い始める。
潤んだ瞳と、ほんのりと薄紅色に染まった目の縁が、ハッとするほど艶やかだ。
からかっている最中だと言うことも一瞬忘れ、龍生は見惚れてしまいそうになった。
「だからッ!! さっき謝ったじゃないかッ!!……なのに、しつこくねちねちと責め立てて来て……。ほんっっ……っとーーーっっに、意地が悪いなッ、おまえとゆー奴はッ!?」
見上げて来る、綺麗に澄んだ瞳。今にも涙がこぼれ落ちそうだ。
その勝気な瞳が、悔しげな台詞が、堪らなく可愛らしく、愛しくて……。
龍生はとうとう、我慢出来なくなった。
咲耶の片手を取って引き寄せると、
「わっ!?……ちょっ、何をす――」
最後まで台詞を言わせないまま、彼女の右頬に、そっと唇を押し当てた。




