第13話 咲耶、確証を得るため龍生に突撃する
次の日の朝。
学校に着き、二階の廊下で桃花と別れると、咲耶はまっすぐ、龍生のクラス――二年一組に向かった。
昨日、母から教えられたことが本当なのかどうか、どうしても、自分の目で確かめたかったのだ。
龍生と『ユウくん』が同一人物というのは、真実なのか?
――確信するための材料が、まだ不足していた。
(母様が嘘を言うはずがない。だから、昨日教えられたことは、信用出来る情報のはずだ。それはわかっている。だが――……。だが、それでも証拠が! 確証を得るための何かが欲しい!)
一組の前まで来ると、咲耶はガラッと戸を引いて、龍生が来ているかどうかを確かめた。
姿を見つけ、まっすぐに彼の元まで歩いて行く。
教室内は、急に咲耶が現れたことで、かなり騒々しくなっていた。
咲耶は一向に気にすることなく歩き続け、龍生の席の前で足を止めた。
龍生は、騒がしくなった時点で、咲耶の登場には気付いていたが、あえて、たった今気付いたふりをして、彼女を見上げた。
「やあ。おはよう、咲耶。まさか、君の方から会いに来てくれるとは思わなかっ――」
「後ろを向け、秋月! 服を脱いで、背中を見せろ!」
「…………は?」
突拍子もない命令に、龍生の笑顔が固まる。
朝っぱらから他人の教室に来て、『服を脱いで背中を見せろ』とは、いったいどういう了見だ?
もしかして、昨日のこと(いきなり呼び捨てにしたり、手や頬を触ったり、抱き締めたりしたこと)が気に入らず、お返しに、クラスメイトの前で、恥を掻かせようとしているのか?
一瞬の内に、龍生の脳内では、様々な可能性が駆け巡ったが、結果を導き出す前に、
「いいから、サッサと脱げ! 背中を見せろッ!!」
龍生の制服を掴み、咲耶が、勝手にボタンを外し始めた。(ちなみに、今更ではあるが、この高校の制服は、男子は学ラン、女子はセーラーだ)
咲耶の奇行に、教室中から、一斉に悲鳴や歓声(?)が上がる。
学校一の美人が、これまた学校一の王子の服を、脱がそうとしているのだ。
皆、興味津々で、遠巻きに二人の様子を見守っている。
「えっ? ちょ…っ!……や、やめろ咲耶! いきなり、何を――っ?」
さすがの龍生もこれには焦り、咲耶の手を押さえて止めようとする。
だが、咲耶は言うことを聞かない。黙々とボタンを外している。
「咲耶っ。やめ…っ! ど、どういうことなんだ? 理由を説明してくれっ」
「うるさいっ!! 脱ぐ気がないなら黙っていろ! 私が脱がせてやる!」
周囲から、『キャーーーーーッ!!』と悲鳴が上がる。
完全に脱がせるつもりでいる咲耶に、意味がわからず、龍生は戸惑うのみだった。
しかし、このまま放っておいては、咲耶が痴女扱いされかねない。
龍生は覚悟を決めると、咲耶の手を両手で掴み、力ずくで止めた。
「く…ッ!――何をするっ!? 私は脱げと言って――」
「わかった。脱ぐよ。自分で脱ぐから、手をどけてくれ」
意外な言葉に驚愕し、周囲では次々に悲鳴が上がった。
騒ぎを聞きつけ、クラス外からも、続々とやじ馬が集まって来る。
龍生は椅子から立ち上がり、最後のボタンに手を掛けると、学ランを脱ぎ、机の上に置いた。
次に、シャツに手を掛け、素早くボタンを外し始めると、女生徒達の、悲鳴なのか歓声なのかわからないような声は、いっそう大きくなった。
これでは見世物と同じだと、龍生は内心、今まで感じたことがないほどの羞恥に見舞われていた。
それでも、咲耶に痴女の汚名を着せるわけには行かないという一心で、ボタンを外し続ける。
咲耶が、嫌がらせなどで、こんな無茶な要求をして来るわけがないのだ。何か、余程の理由があるはずだ。
ならば、こんなことはさっさと終わらせ、理由を確かめるのみ――!
龍生はためらうことなくシャツを脱ぎ、机に置くと、咲耶に向き直った。
……周囲の悲鳴と、やじがうるさい。
「それで? 次はどうしろって?」
「後ろだ! 後ろを向いて背中を見せろ!」
龍生の裸の上半身を見ても、咲耶は少しも動じていない。
そんなことを気にする余裕もないほど、必死ということなのだろうが、龍生としては、いささか面白くなかった。
だが今は、一刻も早く、この恥辱から解放されたかった。
龍生は大人しく指示に従い、後ろを向いた。
とたん、背中の右上辺りに咲耶の手が添えられ、スッと一撫でされる。
龍生はゾクッと身を震わせたが、どうにか堪え、咲耶がこれからどうするつもりなのかを考えていた。
「……やはり、おまえだったのか……」
ポツリとつぶやく声が聞こえ、龍生は反射的に振り返ろうとした。
――が、
「う――っ!?」
振り返る前に、後ろから咲耶に抱きつかれ、龍生は驚きの声を上げた。
当然、教室内外は、もの凄い数の悲鳴と歓声、怒号などに包まれる。
まさか、咲耶の方から抱きついて来ることがあるなどとは、思ってもみなかった。
自分からなら、隙あらば、これからいくらでも、実行するつもりでいたが。
「さ……咲耶? 本当にどうしたんだ? 君から、こんなことをして来るなんて――」
胸の下辺りで重ね合わされている咲耶の両腕に手を置き、龍生は戸惑い気味に訊ねる。
とたん、軽く抱きつかれていただけだったはずの咲耶の腕に、ギュッと力が込められた。
龍生はますます驚いて、後ろに顔を向けたが、当然、表情までは窺えない。
「……どうして、黙ってたんだ……?」
ふいに。
ようやく聞き取れるくらいの声で、咲耶が訊ねて来た。――僅かだが、声に怒りが含まれているように感じられた。
「え……? 『黙ってた』?」
「そうだッ!! 何故黙ってたんだ!? おまえが――おまえが『ユウくん』だったってことを、どーして――っ!」
「……『ユウくん』?」
今、確か、『おまえがユウくんだったってことを』――と、聞こえた気がしたが。
(俺が『ユウくん』だと?……いったい何のことだ? もしかして……また無人島の時のように、混乱しているのか?)
どういうことかと、龍生が訊ねようとした時だった。
咲耶がひと際大きい声で。
「ごまかそうとしても無駄だッ!!……背中の右上の方に、うっすらとだが、大きな傷がふさがった痕があった。十センチ幅くらいの傷痕が。――それが証拠だ! おまえがユウくんであることが、これで証明されてしまった! 幼い頃、私を庇って負った傷だ!……そうなんだろう? 頼むから、全て白状してくれ! これ以上、嘘を重ねないでくれ!」
今にも泣き出しそうな声が、胸に刺さった。
龍生は目を見張り、ゴクリと唾を飲み込む。
「……咲耶……。思い……出したのか?」
恐る恐る訊ねると、咲耶はそっと腕を解き、数歩後ずさった。
その後、龍生が振り返った気配を感じると、堰を切ったように話し出す。
「『ユウくん』が、私を庇って大怪我を負ったことは、ユウくんのことを思い出した時からわかっていた! 無人島で、楠木が怪我した時、とっくに思い出してたんだ! おまえだって、私がユウくんのことを思い出したってこと、あの時からわかってたんだろう!? なのに、どうして黙ってたんだ!? わざとらしく、『ユウくんって、結太のこと?』などと、訊いて来たりして……。悪趣味にも程があるだろうッ!? 本当は、自分がユウくんだったクセに……。今までずっと、謀ってたのか!? 気付かない私を見て、マヌケだと嘲笑ってたのか!? 人を……人をもてあそぶのもいい加減にしろっ、この大うつけがッ!!」
なじる言葉とは裏腹に、咲耶は今度は正面から、思いきり龍生に抱きついた。
「……咲耶」
龍生はポツリとつぶやくと、拒まれやしないかとの不安を抱きながら、ためらいがちに、そっと彼女の背に手を回す。
そして、拒む意思はないらしいと知るや、万感の思いを込めて抱き締めた。
瞬間、周囲では、男女の入り混じった悲鳴や歓声が、教室全体を揺るがす勢いで沸き起こった。
だが、当の本人達は、そんなものは一切気にならなかった。
ただ、お互いの想いを伝え合うべく、抱き締め合っていた。
「こらっ! おまえ達何をやってる!? もうHRは始まってるんだぞ!? みんな残らず席に着けッ!!」
いつの間にか教壇の前に立っていた、担任の大声が響き渡る。
室内はシンと静まり返り――次の瞬間、生徒達は蜘蛛の子を散らすように、各々席に着き出した。
龍生と咲耶も、ぎこちなく体を離したが、龍生は机の上のシャツを手に取り、素早く両腕を通すと、
「行こう、咲耶」
学ランを片手に持ち、もう片方の手で、ギュッと咲耶の手を握る。
「――えっ?」
目を見張る咲耶に笑い掛け、そのまま強引に手を引くと、龍生は教室の外へと駆け出した。
「あっ!――おいっ、秋月!? どこに行くんだ!? 戻れ秋月ッ!! 秋月ーーーーーッ!!」
担任と、クラス内の生徒達の騒ぎ声が、後方で響く。
それでも二人は止まることなく、何処かに向かい、廊下を駆け抜けて行った。
〝ユウくん〟の正体が判明し、複雑な想いに駆られる咲耶。
思い出してもらえて嬉しい龍生が、彼女の手を引いて向かう先とは――?
……というわけで、第8章はここまでとなります。
お読みくださり、ありがとうございました!




