第11話 咲耶、龍生の急激なアプローチから逃げ出す
咲耶が家に帰って来たのは、辺りが蜜柑色に染まる頃だった。
龍生に(正確に言えば安田が運転する秋月家の車に、だが)送ってもらう途中、家の少し手前でいいと伝え、咲耶は車を降りた。
鵲と同じように、龍生には、家の前まで送るとしつこく言われたが、『いいといったらいい! ここで降りる!』と言い張り、ほとんど逃げるようにして、車から出て来たのだ。
(……ハァ。疲れた。……本当に、いったい何を考えているんだ、あの男は?)
何度も後ろを振り返り、車が完全にいなくなっていることを、繰り返し確認する。
うるさいほど、『家の前まで』と龍生が言い続けていたものだから、ついて来ていないかどうか、心配だったのだ。
――どうやら、ついて来てはいないらしい。
ようやくホッと息をつき、手の甲で額の汗を拭うと、咲耶は家に向かって歩き出した。
車内では、横に座った龍生が、終始ニコニコ顔で咲耶の横顔を見つめていて、その居心地の悪さといったらなかった。
咲耶が『何だそのニヤけ顔は!? 人の顔をジロジロ見るな、失礼だろう!?』と睨むと、
「ああ、すまない。もう気持ちを抑える必要はないんだと思ったら、すごく楽にはなったんだが……その分、今まで抑え込んでいた想いが、溢れ出しそうで――」
などと言い、咲耶の右手に自分の左手を重ね、ギュッと握って来たり。
慌てて咲耶が振り解こうとすると、今度はその手を引っ張り、咲耶の頬にもう片方の手を添えて、
「綺麗になったな、咲耶。昔は男の子のようだったのに……」
などと、しみじみした様子でつぶやき、間近に顔を寄せて来たりして……。
(あーーーーーッ、もうッ!! 何なんだよホントにいったいッ!? 昔の知り合いだか何だか知らないが、急に馴れ馴れしく名前を呼んで来て……。しかも呼び捨てだと!? 手や頬にはベタベタ触るし……って、セクハラじゃないか!! 思いっきりセクハラだろう、あれはッ!?)
そんなことを思いながら、咲耶は玄関のドアを開けた。
「おかえりなさーーーいっ、咲耶っ!――ねえねえっ、どーだった? 秋月くんとのデート、楽しかったぁっ?」
一歩足を踏み入れたとたん、時子が質問しながら抱きついて来て、咲耶はバランスを崩し、後方へ数歩よろめいた。
なんとか体勢を立て直し、時子を押し戻すと、
「母様! 帰って早々、抱きついて来ないでくれ! 驚くだろう?」
少々ムッとしながら、注意を促す。
龍生の相手をさせられて、疲れ切っているのだ。家に帰って来てまで、気力体力奪うような真似はやめてほしいと、心底思った。
娘にたしなめられ、時子は不満げに、むぅっと口をとがらせる。
「えーっ。だって気になるじゃない。娘の初めてのデートなんだもの。……ねっ、どーだった? 秋月くんと、ちゃんと楽しい時を過ごせた?」
咲耶の注意を物ともせず、時子は好奇心丸出しで、瞳を輝かせながら訊ねて来る。
たが、咲耶はそれには答えず、さっさと靴を脱ぐと、自室に行くため、階段の一段目に足を掛けた。
「もーっ、咲耶のケチンボ! 教えてくれたっていーじゃない!」
時子は諦めようとせず、しつこく質問を繰り返す。
「ねえっ、咲耶ったら! ホントのところはどーだったの? 告白された? 手ぇ繋いだ? もしかして、抱き締められちゃったりとかしたっ?」
ドックンと心臓が跳ね、咲耶は慌てて振り返った。
「なっ、何故それをっ!? もしかして、どこかに隠れて見てたのかッ!?」
「…………え?」
時子はポカンとしている。
咲耶はハッとし、慌てて片手で口元を覆った。
(しまった! どこかに隠れて――などと、あるわけないじゃないか! この前の、秋月が仕掛けた盗聴器。あの存在を知ってしまってから、その手のことに過敏になってしまっているんだろうか……)
口を滑らせてしまったことを、咲耶は即座に後悔したが、もう遅い。
時子はニヤァ……っと、口の両端を意地悪く引き上げると、階段を一歩ずつ踏み締めながら上がって来て、
「まあ……。じゃあ咲耶。あなたホントに、秋月くんに告白されたのね? 手も繋いで、抱き締められちゃったりもしたのね?」
口元に手を当て、ニヤニヤ笑いを引っ込めようともせずに訊ねる。
咲耶は自らの失態に顔を赤らめ、
「し――っ、知らん知らんッ!! そんなことされてないッ!! されるはずもないッ!!」
即座に否定したが、時子は全く信じる気はないようだ。からかうような笑顔を崩さぬまま、咲耶の肩をポンポンと叩いた。
「まーたまたぁーー。いーのよー、嘘つかなくてもー? お母さんには、ちゃーんとわかっちゃうんだから。……ねっ? 告白されたのよね、秋月くんに?」
時子に顔を覗き込まれ、咲耶はますます真っ赤になった。
自分が犯したミスとは言え、こんな辱しめを、実の母から受けねばならぬとはと、全身に震えが走る。
「もう。恥ずかしがってないで、早く白状しちゃいなさい。べつに、悪いことじゃないんだから。咲耶のことを、ずっと見ててくれた人がいた――ってことでしょ? 幸せなことじゃない」
時子の言葉に、咲耶は目を見開く。
「ずっと……見ててくれ……た?」
時子は優しく微笑みながら、コクリとうなずいた。
咲耶と同じ段まで上って来ると、軽く頭に手を置いて、数回撫でる。
「そうよ。咲耶のことを、ずっと見ててくれたのよ。……ううん。ずっとではないかもしれないけど、でも……また巡り会って、ちゃーんとあなたを見つけてくれたんだわ」
「……巡り……会う?……い、いったい何のことだ、母様?」
時子の口振りだと、まるで、龍生のことを昔から知っていたようだ。
部屋の写真を撮るように頼まれたとのことだったが……しかしそれは、そんなに昔のことではないはずだ。
何故なら、咲耶がGL作品を好きになったのは、数年ほど前。昔と言えるほど、時を経ているわけではないのだから。
「秋月くんが、直接家に来てくれた時ね。お母さん、とってもビックリしたわ。だって、あんなことがあってから、もう十年くらい経ってるんですもの。年に何回かは、秋月家の方――安田さんが来てくれていたけど、まさか、本人が訪ねて来てくれるなんて思わなくて」
「……本人が……って? 母様。さっきから、何の話をしているんだ?」
咲耶の戸惑いも放ったらかしにして、時子は淡々と話し続ける。
勿体ぶらずに教えてくれと、咲耶が言おうとした瞬間、時子は、先ほどとは全く違う真剣な表情で、咲耶を見つめた。
「秋月家の御当主――龍之助さんには、忘れているようなら、そのまま忘れさせてあげてほしいって頼まれてたし、秋月くんにも、思い出すまでそっとしておいてあげてほしいって、言われちゃったんだけど……。秋月くんと咲耶が、これからお付き合いすることになったりしたら、いつかはわかってしまうことでしょうし。……いいわ。お母さんの勝手な判断で、話しちゃうわね。でも、咲耶が知りたくないってことなら、黙ってることにするけど。……ね、どうする?」
何を話されるのか、少し怖い気はしたが、ここまで思わせぶりなことを言われて、聞かずにいられるわけがない。
咲耶は時子の目をまっすぐ見返し、凛とした声で告げた。
「――教えてくれ、母様」




