第10話 咲耶、告白後の龍生に辟易する
目的を達成することが出来たためか、龍生はすごく清々しい、満足げな顔をしていた。
それに比べ、咲耶の心境たるや複雑だ。
何せ、結太にどういう話をされるかわからない上に、龍生にも、それを聞く権利を、自ら与えてしまったのだから。
今更だが、早まっただろうかと、後悔の念が押し寄せて来る。
それに加え、龍生からの思い掛けない告白。
その返事だって、近いうちにしなければならない。
恋愛事とは、今まで一切関わって来なかった咲耶には、難し過ぎる課題だった。
(楠木の話を共に聞く――などと言ってしまったが、考えてみれば、告白の返事をするまでの間、気まずくて堪らないじゃないか。……うぅっ。ど、どうすればいいんだっ? まともに顔すら合わせられない気がする…っ!)
改めて考えてみたら、告白されてすぐの相手と、返事をする前に、共に結太の話を聞く……というのは、とんでもなくシュールな展開なのではないだろうか?
シュールというのは大袈裟だとしても、咲耶にとって、やたら緊張感漂うシーンになるであろうことは、まず間違いないだろう。
(うわぁああっ、私のバカッ! うつけたわけマヌケッ!! 痴れ者粗忽者大馬鹿者ぉおおっ!!……早まった。絶……っっ対っ、早まったぁあああっ!! うわぁあっ、どーすればいーんだぁああーーーーーっ!?)
咲耶はひたすらパニクっていた。
どうしようどうしようと、そのことばかりが、グルグルと頭の中を廻る。
一方。頭を抱え、先ほどから、何やらブツブツとつぶやいている咲耶を、龍生は微笑して見守っていた。
いつもの〝王子様スマイル〟とは違う、とても自然で、寛いだ笑顔だった。心の内が素直に表れた笑顔、と言った方が伝わるだろうか。
想いを打ち明けるべきか、ずっと迷っていた龍生が、心の内をさらけ出し、今ようやく、重い荷を下ろすことが出来たのだ。
もう嘘をつく必要も、気持ちをごまかす必要もない。それがとても嬉しかった。
「保科さ――……いや、咲耶」
唐突に名を呼ばれ、咲耶はギョッとし、両目をこれでもかと言うくらい見開いた。
気安く名前を呼ばれる――しかも、呼び捨てをされるようなことは、周囲から遠巻きに見られている高嶺の花的存在には、ほとんどないと言っていい。少なくとも、咲耶にはなかった。
それが、たった今告白されたばかりの相手に、何の断りもなく、いきなり呼び捨てされてしまうとは――!
「な――っ! ななっ、何だっ、藪から棒に!? 急に呼び捨てするとは、馴れ馴れし過ぎるだろうッ!?……こっ、告白して来たからと言って、即親しくなれるわけではな――っ」
「君と初めて会ったのは、まだ幼い頃だったよ。君は、つい最近知り合ったように感じているのかもしれないけれど……俺は、ずっと前から君を知っていた」
「……え?」
龍生の言葉に、咲耶は呆然とした。
咲耶が龍生という人間を意識したのは、彼の言うように『つい最近』だ。
幼い頃に、『秋月龍生』なる人物に出会った記憶など、咲耶にはない。
「おまえと……幼い頃に会っている?……私が?」
にわかには信じられない様子の咲耶に、龍生は一瞬、辛そうに睫毛を伏せた。
それでも、すぐに気持ちを切り替えると、片方の足を引き、眼下の街へ視線を落とす。
「ここからの景色に、見覚えは?」
咲耶は微かに首をかしげ、龍生の隣まで歩いて来ると、街を見下ろした。
見覚えがあると言えば、ある。
そう言えてしまうような、平凡な街並みの風景だった。
これだけ特徴のない、ありふれた街並みだと、いつかどこかで見た、実際の記憶の中の風景なのか、写真か何かで見ただけの風景なのか、ハッキリとは判別出来ない。
咲耶はもう一度首をかしげると、
「さあ……。見たことがあるような気はするが、それがいつ、どこで見た風景かと言われると、よくわからないな。こういう写真や絵も、見たことがあるような気もするし」
「……そう」
明らかに気落ちしたような顔で、龍生は再び睫毛を伏せた。
龍生のこんな表情を、前にも見たなと感じた瞬間、咲耶は思い出した。
――無人島で、遅咲きの桜を見た時だ。
咲耶という名前の由来は、〝木花咲耶姫〟から来ているのではないかと訊ねられ、『由来など気にしたこともないし、親に訊ねたこともないから、わからない』と、咲耶は答えた。
その時も、やはり今のように、龍生はガッカリした表情を覗かせたのだ。
「何だ? この景色に、何か特別な意味でもあるのか? 無人島で桜を見た時――私に名前の由来を訊ねた時も、おまえはガッカリしたように見えた。……何故だ? 私の名前の由来と、この景色に、いったい、どんな謎が隠されていると言うんだ?」
「……べつに、謎などないよ。どちらとも、何となく訊いてみただけだ。特に意味なんかない」
「嘘だッ!!――意味もないことで、そんなガッカリした表情をするのかおまえは!? 絶対、何か意味があるんだ。そうなんだろう?」
食い下がって来る咲耶を無表情で見返すと、龍生は暗い声で問い返す。
「意味があったとしたら、何だと言うんだ? 意味があると俺が認めたら、君は思い出してくれるのか?」
「え…っ? 思い出す? 何を?」
困惑して見つめると、龍生は泣き笑いのような顔をしてみせてから、咲耶の手を強く引っ張った。
「わ――っ?」
気が付いた時には、強く抱き締められていた。
つい最近嗅いだ記憶のある、柔軟剤の香り……。
そう感じたとたん、一気に記憶が溢れ出し、咲耶の全身は、たちまち発汗するほどに火照り出した。
「なん…っ? 何をす――っ」
慌てて体を離そうとするが、龍生の両腕に阻まれて、身動きすら出来ない。
咲耶は『ふざけるな』と言ってやるつもりで口を開いたが、
「いいんだ。思い出さなくていい。たとえ君が忘れても、俺は憶えているから。……だから、いいんだ。君はそのまま、永遠に忘れてしまってくれ」
耳元で響く、龍生の切なげな声。
咲耶の胸の内で、心臓が大きくドクンと跳ねた。
「……あ……秋、月……?」
らしくない、頼りなく震える声。髪と耳に掛かる、熱い息。
そのどちらにも、咲耶は戸惑い、思わずそっと、龍生の背に両手を添えた。
「……好きだ、咲耶。この想いだけは、ずっと変わらない。君があの頃のことを思い出そうと、思い出すまいと。俺は、昔も今も、君が好きだ。……いや。昔よりももっと――もっとずっと、君のことが好きだ」
「あ……あき……。あきづ……き……?」
龍生の口からこぼれ落ちた、『思い出さなくていい』という言葉は、意外にも、咲耶の胸を深くえぐった。
口ではそう言っていても、何故か咲耶には、『思い出してくれ』と言っているように聞こえたのだ。
「……あ……秋月。……私は――……」
咲耶が『本当に忘れたままでいいのか?』と訊こうとした瞬間、龍生は咲耶の肩に手を置き、体を離した。
そして、心に染み入るような穏やかな笑みを浮かべると、こう続けた。
「過去は思い出さなくていい。その代わり……君には、これからの俺を見ていてほしい」
「……これから……の?」
「そう。これからの」
そこで龍生は、少し意地悪く笑ってみせ、今までの表情とはガラリと変えて来た。
「こうして、思いの丈を打ち明けてしまった以上、俺はもう、一切遠慮はしない。これからは、言葉でも行動でも、気持ちをストレートに伝えて行くつもりだから、覚悟していてくれ」
「え……っ?」
咲耶の脳内に、今日まで龍生にされて来たことの数々が、次々と浮かんでは消えて行った。
龍生は『もう遠慮はしない』と言うが、今までだって、充分遠慮などされていなかった気がするのだが……。
嫌な予感がして龍生に目をやると、彼は小首をかしげながら、『これからもよろしく』と、いつもの〝王子様スマイル〟を浮かべた。




