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第6話 桃花、結太について熟慮する

 病院から家へと帰る電車の中、桃花はずっとうつむいて、床の一点を、見るともなしに眺めていた。

 結太の病室を出てから、この電車に乗るまで、途中、バスも利用したはずなのだが、その間の記憶がない。――それほどまでに、精神的なダメージを受けていた。


 結太が発した言葉が、(いま)だ、胸に重く()し掛かっている。


 正直、あの時結太に言われるまで、桃花はその事実を忘れていた。

 自分が、〝龍生とお試しで付き合っている〟という、事実を。


 別荘に行ってから、龍生は何故か、結太と桃花を同じ場所に居させようとすることが多くなっていたし、龍生自身は、咲耶と行動を共にしていることが多かった。

 だからなのか、お試しで龍生と付き合っているという感覚が、(とぼ)しくなって来ていたのだ。


 結太が菫に、桃花と付き合う気があるのかと訊ねられた時の、


『んなこと思ってるワケねーだろッ!?――いっ、伊吹さんは、龍生と付き合ってんだからッ!!』


 という台詞が、桃花の胸を鋭く(つらぬ)き、今もまだ、心の内でジクジクと(うず)いている。

 それを言われるまで忘れていた自分が、信じられなかった。



(……そーだよね。わたし、まだ一応……秋月くんとお試しで付き合ってるんだよ……ね……?)



 龍生からは、〝お試しの付き合い〟をやめようとは言われていない。

 ――と言うことは、今はまだ、桃花は龍生の彼女なのだ。



(それなのに、楠木くんのお見舞いに、手作りケーキなんて作って、持ってっちゃったりして……。彼女でもない子にそんなことされたら、普通は引いちゃうのかな……? 他に付き合ってる人がいるって子に、そんなことされたら……きっと、困っちゃうよね。迷惑だって、思われたかも……)



 結太からは、そのような様子は、微塵(みじん)も感じられなかった。

 ただ素直に、喜んでくれているように見えた。


 だが、それは……そんな風に見えていたのは、結太が優しいからかもしれない。

 内心では、迷惑していたのかもしれない。


 結太が好きなのは、龍生なのだ。

 好きな人以外の手作りの品などもらっても、迷惑なだけに決まっている。


 未だ結太のことを誤解したままの桃花は、そう断定した。



(わたし、楠木くんに嫌われちゃった……?)



 そう思ったら、いつの間にか両目からは、幾粒もの涙がこぼれ落ちていた。



(ヤダ。また――)



 桃花は慌てて、両手で頬と目元を覆い、指先で涙を(ぬぐ)った。

 周りの座席は全て埋まり、立っている人間が十数名いる程度には、人出がある。そんな場所で一人で泣いていたら、目立ち過ぎて()(たま)れない。


 けれど、()いても拭いても、涙が(あふ)れて来てしまう。

 こうなってしまっては、桃花自身の意思では、どうしようもなかった。


 桃花は仕方なく、涙が周りから見えてしまわないように、深くうつむいて、両手で顔全体を覆った。




 家に帰ると、桃花の顔を見たとたん、母の愛美(まなみ)が慌てて寄って来て、どうしたのかと訊ねて来た。瞬時に、泣いていたことに気付いたのだろう。

 桃花は『何でもない』と言い張り、急いで手洗いを済ませると、二階の自室に引きこもった。


 部屋の外では、何があったか訊ねる愛美の声が、しばらく聞こえていたが、桃花が沈黙を貫くと、諦めたのか、部屋の前から去って行った。


 母に心配を掛けてしまい、申し訳なく思ったが、今は、そっとしておいてほしかった。


 一人になって、自分の気持ちを見つめ直したかった。

 結太のことを思うと、どうして涙が出て来てしまうのか、その理由を突き詰めたかった。

 そうしなければ、これからも、不安定な状態が続く気がした。


 考え事をする時、いつもそうしているように、ベッドに座り、お気に入りのぬいぐるみを、ギュッと抱き締める。


 人に見られたら、子供のようだと、笑われてしまうかもしれないが、桃花にとっては、この状態が一番落ち着けるのだ。

 全長五十センチほどの、大きなウサギのぬいぐるみを抱き締めながら、そのモフモフとした、触り心地の良い体に顔を(うず)めると、心からホッと出来る。


 ちなみに、ぬいぐるみの名前は〝ピーター〟という。

 イギリスの絵本の主人公、ピーターラビットの〝ピーター〟から拝借(はいしゃく)して、桃花が名付けた。


 桃花はピーターを抱き締め、心の中で問い掛ける。



(ねえ、ピーター。わたし、楠木くんのことになると、どーして……どーしていつも、泣き虫になっちゃうのかな? べつに、泣きたくて泣いてるわけじゃないんだよ?……ううん。むしろ、泣きたくない、泣くなんて変だって、そう思う時に限って、涙が出て来ちゃうの。……ねえ、どーしてなのかなぁ?)



 結太が好きなのは、龍生だ。

 でも、龍生は結太のことを、幼馴染――友達としてしか思っていない。

 結太に諦めてもらうために、龍生は桃花に、〝お試しでの付き合い〟を頼み、結太の前で仲の良いところを見せつけて、諦めてもらおうとしている。


 桃花は、龍生に押し切られる形で、仮の恋人役を引き受けてしまったわけだが……。


 今までのことを振り返り、桃花はふと、疑問を持った。



(……秋月くん、ホントに楠木くんに、諦めてもらおうって思ってるのかな?)



 最近の龍生を見ていると、本気で諦めてもらおうとしているのか、首をかしげたくなる時がある。

 桃花と仲の良いところを見せつける作戦だったはずなのに、やたらと結太と桃花を二人きりにさせようとするし、当の龍生は、桃花ではなく、咲耶とばかり一緒にいる。



(秋月くん、言ってることとやってることが、バラバラなんだよね……。本当に、何を考えてるんだろ?)



 そしてハッと、ある事に気が付いた。



(そーだよ……。秋月くんが、彼女との仲を見せつけて、楠木くんに自分を諦めてほしいって、本気で思ってるなら……べつに、相手はわたしじゃなくても問題ないんだ。〝お試しのお付き合い〟する相手を、わたしじゃなく、咲耶ちゃんに頼むことだって出来るんじゃない!)



 龍生はきっと、とっつきにくい咲耶よりも、大人しそうに見える桃花に頼んだ方が、スムーズに事が運ぶと思い、桃花に恋人役を頼んだのだろう。

 しかし、咲耶ともだいぶ打ち解けて来た(ケンカは多いようだけれど……)のだから、恋人役を咲耶に頼んでも、問題はないはずなのだ。



(咲耶ちゃんだって、きっと、これまでの事情をちゃんと話せば、わかってくれる……引き受けてくれるはず!……うん! 明日秋月くんに会ったら、このことを話してみよう! 秋月くんだって、恋人役は、咲耶ちゃんみたいな美人さんの方が、嬉しいに決まってるもの!)



 結太に対する感情を、突き詰めて考えて行くはずが、〝恋人役は自分でなくてもいい〟と、今更ながら気付いてしまったことで、最初の目的を、すっかり忘れてしまったらしい。

 あんなに落ち込んでいた気持ちが、嘘のように晴れ晴れとして行くのを感じ、桃花はにっこりと微笑んだ。

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