第4話 結太、桃花の面会に胸をときめかす
龍生が帰って行ってしまうと、桃花は恐る恐る、病室へと足を踏み入れた。
ベッドの上の結太は、顔色もよく、かなり元気そうに見える。
怪我の痛みは和らいだのだろうかと、桃花はひとまず、ホッと胸を撫で下ろした。
「い、伊吹さんっ。……あ……えっと、その……。きっ、来てくれてありがとうっ!」
顔を赤らめ、結太はかなり緊張した様子だった。
そんな彼を目にしたからだろうか。桃花の緊張は、逆に、少しずつ解れて来た。
「ううん。昨日は、来られなくてごめんなさい。ちょっと、他に用事があって……」
そう言いながら、桃花はベッドに近付いて行く。
結太は慌てて頭を振ると、
「あ、いやっ。用事があったなら仕方ねー――いやっ、仕方ないしっ。怪我も大したことなかったんだから、全然っ、気にしなくてダイジョーブだよっ!」
などと言い、掛け布団を両手でギュッと握った。
桃花はベッド脇まで来ると、ケーキの箱を示すように、結太の目の前に差し出す。
「あのっ、これっ。……えっと、一応ケーキ……なんだけど、手作りだから、日持ちしなくて……。ご、ごめんなさいっ。お見舞いに、日持ちしないもの持って来るなんて……。気が利かなくて、ホントに、わたし……」
「えっ! 手作りっ!?」
クッキーに続き、今度はケーキとは!
自分のために、そんな手間暇掛けた物をと、感激のあまり、結太は涙が出そうになった。
「だだっ、だっ、だっ、だいじょーぶっ! ぜぜっ、ぜんっ、全然っ、問題ねー……ないよッ!! この病室、ちゃんと冷蔵庫あるしっ! それにオレっ、腹ジョーブだからっ! 日持ちしねーもんだろーがカビ生えたもんだろーが――あっ! 腐ったもんだってヨユーで食えるしっ!!」
勢いに乗って余計なことまで口走ってしまい、結太はハッと我に返った。
見る間に赤面してうつむくと、桃花はクスッと笑って。
「さすがに、カビ生えたり腐ったりする前には、食べてほしい、かな……。お口に合わなかったら、仕方ないと思うけど……」
予想外の笑顔に励まされ、結太は再び口を開いた。
「そんなっ、合わねーワケねーよっ! もし合わなくても、ぜってー合わせてみせるしっ!!――って、あ……」
また余計なことを言ったと、結太は更に真っ赤になる。
桃花はきょとんとしていたが、すぐに、クスクスと楽しそうに笑い出した。
「ふふっ。あ、合わなくても合わせてみせる、なんて……。ふふふっ。楠木くんて、そんな面白いことも言うんだね」
「……え。……『面白い』……?」
面白いことを言ったつもりはないのだが、桃花が笑ってくれたので、これはこれで良しとしよう。結太は釣られて、へららっと笑った。
桃花のためなら、ピエロにだって、猿回しの猿にだって、なれる自信はあるのだ。
「――あ。ええっと。よかったら、そこの椅子使って? さっきまで、龍生が座ってたんだけ……ど……って、あっ! 窓辺にソファがあるから、あっちのがいーかなっ?」
受け取ったケーキの箱をサイドテーブルに置くと、結太はソファを指差した。
桃花はふるふると首を振り、折り畳み式の椅子を手に取る。
「ソファじゃ遠いから、これ、使わせてもらうね?……でも、この病室……冷蔵庫も、大きめのテレビも……あっ。あれって、ノートパソコン? ちゃんと立派な机と椅子もあるし、応接テーブルとソファまであって……。改めて見るとすごいね。立派なホテルの一室みたい」
キョロキョロと病室内を見回してから、ちょこんと椅子に腰掛けると、桃花は感心したようにため息をついた。
結太もうん、と大きくうなずく。
「そーなんだよ! あっちには、ウォシュレット便座付きのトイレも、風呂もあって、横の洗面台にはシャワーも付いてるから、風呂入れなくても、そこで頭洗えるんだ。病院の個室なんて、オレみてーな庶民にゃ、なかなか利用する機会なんてねーからさ。ビックリしたよ。オレ、中三の時に、やっぱ脚怪我して入院したことあんだけど、そん時は四人部屋だったから、ますますその差に驚かされちまうっつーか……。龍生みてーな金持ちが幼馴染だったから、こんな経験させてもらえてんだよな。この怪我だって、龍生のせーでも何でもねーんだけど、妙に責任感じてくれちゃってて……。入院費用とかイロイロ、払ってくれてんだって」
「そーなんだ」
「でさ、この病室でも充分すげーなって思えんのに、これより上に、まだ〝特別室〟ってのがあんだって。そこは、ホテルのスイートルームか!――ってツッコミてーくれーに、豪華だって話でさ。きっとそーゆー部屋は、VIPとかってゆー金持ち連中――あと、政治家やら芸能人やらが、利用する部屋なんだろーな。……ホント、世の中って、貧富の差がすさまじーよ。金のあるなしで、同じ病院利用すんのでも、そこまで差が出ちまうんだからさ」
「……う、うん……」
しみじみとした様子で、格差社会を嘆く結太に、桃花はどう返していいのかわからず、小さくうなずくのみだった。
結太はハッとしたように桃花に視線を戻すと、慌てて謝った。
「あっ、悪ぃ――じゃなくてっ、ごめん! 妙な話しちまって!……いや、ここは快適なんだけどさ。ただ寝てるだけの生活が続くと、普段考えねーよーなことまで、あれこれ頭に浮かんで来ちまって。ホント、楽しくもねー話聞かせちまって……ごめん」
しゅんと肩を落とす結太に、桃花は首を振る。
桃花は普通のサラリーマン家庭で育ったが、特にお金に不自由した経験などはない。
結太の家は、母子家庭だと聞いているし、すぐ側に、あれだけ桁違いのお金持ちである龍生がいるのだ。普段から、その差について、いろいろと考えてしまうところがあるのかもしれない。
「――あ。え、えっとさ。このケーキ、見てもいーかな? ホントはすぐにでも食いてーんだけど、皿とかフォークとか、あるのかわかんねーし、この脚じゃ探せねーし……。でも、どんなケーキなのか見てみてーんだ。あの、だから……いーかな?」
話題を変えようと思ったのか、結太はケーキの箱を指差す。
気恥ずかしかったものの、興味を持ってくれているのは素直に嬉しかったので、桃花は即座にうなずいた。
結太はパァッと顔をほころばせると、ケーキの箱に手を伸ばす。
――その時。
「結くーーーんっ! どーーおーーっ? お母様がいない間も、元気にしてましたかーーーっ!?」
などと声を張り上げながら、菫が病室に入って来た。




