第2話 龍生、結太の見舞い中ニヤける
結太は、病室内備え付けのソファに座っている龍生を、先ほどから、横目でチラチラと窺っては、眉間にしわを寄せていた。
ここに来て早々、龍生はソファに腰を下ろし、時折、ぼんやりと包帯を巻いた右手を眺めては、フッと笑みを浮かべたりしている。
三日続けて見舞ってくれるのは、結太の怪我に、責任を感じているからなのだろうが……。
こうして話もせず、ただボーッとしていられても、対応に困る。
「なあ、龍生」
痺れを切らして呼び掛けてみたが、返事がない。
まだ右手を眺めつつ、ニヤニヤしている。
「なあっ、龍生って!」
最初より大きな声で呼び掛けると、ようやく結太の方を向いた。
「――ん? 何だ、呼んだか?」
「呼んだよ!……ってか、マジでどーかしたのか? ここ来てからずぅうーーーっと、右手眺めてニヤニヤしてっけど……」
「……は? ニヤニヤだと?」
龍生は怪訝そうに顔をしかめると、立ち上がって、結太の側まで歩いて来た。
「誰がニヤニヤなどするものか。おまえの見間違いだろう」
「いやっ、ぜってーニヤニヤしてたって!! 何度も何度も飽きもせず、包帯巻いた右手眺めては、ニヤニヤしてたっつーの! あんだけ長いことニヤついてたクセに、自覚ないのかよ!?」
「……ニヤついて……?」
龍生は片手で口元を覆うと、気まずく視線をそらし、『またか……』と、聞こえないほどの声でつぶやく。
結太は首をかしげ、
「は? 何?――今、何て言った?」
などと訊ねて来たが、龍生は内心の動揺を覚られぬよう、平静を装い、薄く笑った。
「いや、何でもない。こちらの話だ。気にするな」
「――って言われても無理だって! あんだけ長いことニヤついてたら、誰だって気になるって!……なあ、教えろよ。何かいーことあったんだろ? でなきゃ、おまえが人前で、あんだけニヤつくワケねーもんな?」
食い下がって来る結太に、思わず舌打ちしそうになったが、ぐっと堪える。
龍生にニヤついていた自覚はない。
しかし、もしそれが本当だったとしても、理由など、絶対に知られたくなかった。
「何でもないと言っているだろう。いいことなどないし、おまえに話すようなこともない」
「嘘だね! 基本ポーカーフェイスのおまえが、ニヤついちまうなんてよっぽどのことだろ!? ぜってー、いーことあったに決まってんだ! ごまかしたってムダだかんな。何年おまえの側にいると思ってんだ? バカにすんなよな!」
……べつに、バカにしているつもりはないのだが。
ベッド脇に立て掛けてあった、折り畳み式の椅子を引き寄せ、龍生は無言で腰掛けた。
そして、おもむろに腕と脚を組むと、結太をまっすぐ見据える。
「よし、わかった。そこまで言うのなら、おまえもあのことを、嘘偽りなく、話してくれるんだな?」
「……は? あのこと?」
きょとんとする結太を、龍生はキッと睨み付ける。
「そうだ。あのことだ。おまえが知らないなどと言ってごまかした、首元の〝歯形〟のことだ」
「――っげ」
結太はとたんに顔をしかめ、わざとらしくため息をつく。
「またそれかよ……。もー、いー加減にしてくんねー? あの後、母さんにも散々からかわれて、ウンザリしてんだよ」
『勘弁してくれ』と言うような顔つきで、結太は首元に片手を持って行くと、数回ガリガリと引っ掻いた。
菫にあの調子でからかわれては、確かにうんざりもするだろう。同情はする。
だが、それとこれとは話が別だ。
「いや、そうは行かない。あの後、保科さんにも訊いてみたが、『覚えていない』ということだった」
「そーだよ。だから、オレも覚えてねー……っつーか、知らねーんだって」
「信じられんな。痕が残るほどの力で噛み付かれて、知らないわけがないだろう。かなり痛かったはずだ。それを覚えていない、知らないなどとは、あまりにも適当過ぎる。どうせ嘘をつくのなら、もう少し上手くついたらどうだ?」
「ぐ…っ」
あの時は、龍生も特に突っ込んで来なかったので、上手くごまかせたのだろうと、ホッとしていたのだが。
やはり、龍生には通用しなかったらしい。結太はガックリと肩を落とした。
だがしかし。
今更、本当のことを言うわけにも行かない。
咲耶が覚えていないことを、勝手に話していいのかわからない――というのもあるが。
それ以上に、『寝惚けた咲耶に噛み付かれた』と正直に話した後に、当然訊かれるであろう、『そんなに近くで眠っていたのか?』――の方が怖い。
それを話せば、〝何故、隣で眠るに至ったか〟の事情まで、話さなければならなくなる。それだけは絶対に避けたかった。
幸い、龍生以外の者達は、結太が怪我した日のことばかりを気にし、それ以前のこと(暴風雨の中、どうやって小屋まで辿り着いたのか、その後、濡れた服はどうしたのか、など)を訊ねて来ることは、一度もなかった。
結太は、『どうかこのまま、そこに焦点を当てられることなく、皆が忘れてくれますように』と、心から願っていた。
「まあ、確かに、オレはおまえほど、嘘つくの上手くねーからな。あの程度の嘘で、おまえを納得させられるとは、思ってなかったけどよ」
その台詞を聞き、とうとう観念したかと、龍生は表情を和らげた。
しかし、結太は龍生に顔を向けると、
「でもな? 保科さんが覚えてねーって話を、オレの一存で、話しちまうワケには行かねーんだ。教えてほしーんだったら、保科さんの了解を取って、出直して来てくれ。でなきゃぜってー話さねー」
意外にも、キッパリと拒否して来た。
いつもの結太だったら、龍生にここまで追い詰められたら、確実に白状していたはずだ。
ここまで頑張ってみせるのは……やはり、咲耶のためを想ってのことなのだろうか。
「……わかった。答えを知るためには、保科さんの許可が必要――ということだな?」
「そのとーり!……悪ぃーな龍生。そーゆーことだから、諦めてくれ」
これでもう、このことについて訊かれることはないだろう。
結太はそう確信し、ニンマリと笑った。
咲耶には、龍生のルックスも家柄も通用しない。
どんな手を使って迫ろうとも、自分の秘密を他人に知らせていい――などという許可を、与えるはずがないのだ。
「『勝った』って顔をしているな。……だが、甘く見るなよ? 俺は諦めが悪いんだ。一度興味を持ったことは、絶対にそのままにはしない。汚い手を使ってでも、保科さんに許可してもらうさ」
「え……?」
(……〝汚い手を使ってでも〟?)
龍生の発言のその部分に、ヒヤリとした。
そう言えば、昨日見舞いに来た時、咲耶は、
『おまえのやることは、どれも犯罪まがいのことばっかりだったからな! あんなことされても許せるって奴は、よほど心が広いか、天使みたいな人なんだろうよ!』
確かそんなような、俄かには信じがたいことを言っていた。
結太はまさかと思いつつ、じわじわと不安になって来て、
「なあ。おまえ、保科さんに……妙なこと、したりしねー……よな?」
ためらいがちにではあるが、直球の質問を投げる。
龍生は真顔で受け止めてから、数秒後……フッと、意味ありげに微笑んだ。