17話 エルフの姫
イプルの森の中――。
エルフ族の姫エルナが、フォレストウルフの群れから逃げていた。
「はぁ……は……ん、くっ……!」
いつもは危険なモンスターが出てくるような場所にまで入らなかったが、今日は焦りからか深入りしすぎてしまったのだ。
この辺りにいる“森のヌシ”がいなくなったため、油断していたのもあるだろう。
森歩きには慣れているエルフとはいえ、まだ子供の身だ。
ウルフの群れとの距離はどんどん縮まっていき――。
「あ……っ!?」
やがて、エルナは木の根に足を取られて、その場に転んでしまった。
はっとして後ろを見れば、すぐ側まで迫ってきているフォレストウルフの群れ。
「こ、来ないで……っ」
エルナが小ぶりのナイフをウルフに向けるが、威嚇にもならない。
ウルフたちはぐっと体勢を低くして、今にも飛びかかろうとしている。
(くっ……頑張って魔法も練習したのに)
モンスターを前にすると、エルナは身がすくんで戦えなくなってしまった。
魔法を発動しようにも、冷静に術式を編むことができない。
(わたし……こんなところで、死ぬの? マボロリーフも見つけられないで……お母様を助けられないで……)
どうして、こうなったのだろう。
少し前まで、エルナは平和な日常を過ごしていたというのに。
いつからか、全てがおかしくなってしまった。
(……神様っ!)
そして、エルナがぎゅっと目を閉じて、そう祈りを捧げたとき――。
「――プチアイス」
ふいに、頭上からそんな声が聞こえてきた。
その次の瞬間――。
「……っ!?」
ひゅぉおおぉおォオオ――ッ!!
と、強烈な冷気が押し寄せてきた。
同時にウルフたちのうなり声が、ぴたりと消える。
「な、なにが……?」
エルナがおそるおそる目を開け――絶句した。
目の前の景色全てが、白く凍りついていたのだ。
ウルフの姿はもうなく……。
ただ怯えたような顔をしたウルフ型の氷だけが、辺りに残されている。
「…………な……なっ」
なにが起きたのか理解できない。
こんなのは人間業ではない。
それは、まるで本当に神様の奇跡のようで……。
「……っ!」
エルナは頭上に気配を感じて、はっと顔を上げた。
そこにいたのは、光の翼を生やした神々しい少女だった。
ただ見ただけでも、その体から膨大なマナが放出されていることがわかる。
その姿は、間違いない――。
「――――神様」
「え? いや、違うけど……」
翼の少女は戸惑ったように頭をかいた。
「あ、ごめんなさい! 救世主様でしたか……!」
「違う、そうじゃない」
翼の少女はすぐに否定するが。
(なるほど、そういうことにしたいんですね)
エルナにはわかっていた。
翼の少女の手に握られているものが、なんなのかを。
(あれは、やはり伝説の……世界樹の杖)
――世界樹杖ワンド・オブ・ワールド。
それはエルフの神話にある伝説の杖だ。
いずれ世界に危機が訪れたとき、救世主がこの杖を手にするとされている。
だとすれば、この天使のような少女がここにいるのは――。
「もしかして……わたしの願いを聞き届けて、神様がつかわしてくれたんですか?」
「なんで、神様……? ああでも、言われてみれば、そうとも言えなくもない……のかな?」
「やっぱり!」
エルナが涙を流して、翼の少女に感謝の祈りを捧げる。
「お願いです、救世主様! どうか、お母様を……エルフの里を救ってください!」
「……え? あ、はい」
一方、いきなり祈られだした翼の少女――ローナのほうは、ひたすら戸惑っていた。
(ど、どういう状況……?)
地図にあった『サブクエスト開始場所』の真上を通過したら、なにか事件に巻きこまれて、救世主と崇められた件。
ローナは顔を引きつらせながら、改めてインターネットの画面を確認する。
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▍サブクエスト/【毒医ザリチェの野望】
▍推奨レベル:50
▍発生条件 :【森のヌシ】討伐
▍開始場所 :【イプルの森】
▍達成報酬 :【エルフ女王のお守り】
▍概要
エルフの姫【エルナ】とともに、エルフの
流行り病の謎を追おう。
植物系モンスターが多く、【身代わり人
形】などの状態異常対策は必須。
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(これ……今さらキャンセルとかできないよね?)
キラキラした目を向けてくるエルナを見ながら、ローナは少し肩を落としたのだった。
◇
「――救世主様! エルフの隠れ里はこっちです!」
「う、うん。救世主じゃないけど……」
ということで、エルフの少女エルナを助けたあと。
ローナはエルナに手を引かれて、森の奥へと進んでいた。
「ちゃんと手を握っててくださいね? そうしないと、帰れなくなってしまいますから」
「な、なにそれ、怖い……」
だんだん立ちこめる霧が濃くなり、道が見えなくなっていく。
周囲の町民たちからは、迷いの森と言われている場所だ。
エルナの話では、エルフが“迷いの霧の結界”を張って、里を隠しているらしい。
(……帰りたい)
その異様な森の様子に、ローナがちょっとビビりながら森を進んでいくこと、しばし――。
「そろそろ里に着きますよ」
「ああ……よかった」
と、安心するのもつかの間だった。
「――――立ち去れ、余所者よ」
「へ?」
気づけば、霧の中から無数の弓矢がローナに向けられていた。
その弓を持っているのは、エルフの集団だ。
「な、なにするんですか!? この人は悪い人ではありません!」
エルナがローナをかばうように前に出るが。
「……っ! エルナ姫! 貴様、姫様になにをするつもりだっ!」
なぜか、すごい警戒されていた。
エルフたちがどこか怯えたような目をローナに向けてくる。
「え、えっと、私はただつれて来られただけで……べつになにもするつもりはないですよ? ほら、実際になにもしてな――」
「う、嘘をつくな……っ!」
エルフの誰かが叫ぶ。
「――貴様がこの森で天変地異を起こしたことは、わかってるんだぞ!」
「……………………」
そういえば、めちゃくちゃ警戒されるようなことをやらかしていた。
いきなり森を焼き払ったり、凍りつかせたり、竜巻でなぎ払ったりしたら、エルフと敵対関係になってもおかしくない。
「な、なんてマナの量……っ! う、うぉおええええッ!!」
「だ、大丈夫か! しっかりしろ!」
「ひっ! ひぃああああッ! 来るな……来るなぁああッ!!」
「バカッ、勝手に矢を放つな! 姫様もいるのだぞ――って、弾かれただと!?」
「な、なんだあの硬さ!? 化け物だぁっ!」
「くそっ、厄災の魔女めっ! 我らの森を滅ぼすつもりかっ!」
「やはり、人間とは戦争をせざるをえないのか……っ!」
……大惨事だった。
ただ立っているだけなのに、状況がどんどん地獄と化していく。
(ど、どうしてこうなった……)
ただ薬草採集をしていただけなのに。
(もう帰りたい……薬草換金したい……)
と、ローナが遠い目をしながら考えていたところで。
「――落ち着きなさい!」
エルナの一声で、エルフたちのざわめきが収まった。
さすがは、姫と呼ばれているだけのことはあるのだろう。
その立ち姿はまだあどけなさが残るものの、どこか王族としての威厳を感じさせるものだった。
「……まずは落ち着いて、救世主様が手にしている杖を見てください」
そうしてエルナが指さしたのは、ローナの持っている杖。
エルフたちの視線も、杖に集まる。
「あ、あれは、伝説の世界樹の杖……?」
「ということは、まさか神話に伝えられる救世主……?」
「それなら、あのマナの量も納得が……」
「そうです! 里の危機に、救世主様が駆けつけてくれたのです!」
「な、なんと……っ!」
「助かるのか、我らの里は……?」
「だとすると、我らはなんて無礼な態度を……!」
エルフたちが戸惑いと畏怖が入り混じったような目を、ローナに向け――。
「「「――も、申し訳ございません、救世主様!!」」」
ローナに対して、ばっと一斉にひざまずいた。
そんなエルフたちを見ながら、ローナは――。
(……早く帰りたい)
と、切実に思うのだった。










