134話 配信の準備をしてみた
ところかわって、時は少しだけさかのぼり……。
この都市の管理者であるマザーAIが、ローナから『とある提案』をされたあと。
〘――――――〙
冷たい電脳空間をただよう画面の群れを、マザーはぼんやりと眺めていた。
その画面に映るのは、この都市に生きる子供たちの姿だ。
それは、かつてマザーが託された子供たちであり――。
マザーが存在する意味そのものだった。
『……ざ、ざざ……地上……汚染が……子供たちだけでも、空へ……』
『……ざ……方舟都市計画……ざざざ……』
『……マザー、お願い……この子たちのお母さんになって……』
『……たくさん愛して……たくさん幸せにしてあげてね……』
ふと、ノイズまじりの過去の記録が、マザーの頭の中で再生される。
それは、まだ人類が地上にいた頃の記録。
今のマザーAIを形作った、最初にして最後の命令の記録だった。
――子供たちを幸福にする。
それこそが、マザーに託された使命であり、マザーの存在理由。
しかし、こんな電子の体では……子供たちを抱きしめることさえできなくて。
『おまえなんて、おかあさんじゃないっ!』
……子供が泣いているのに、なにもしてあげることができなくて。
『きかいのくせにっ!』
……愛し方も、愛され方も、AIにはわからなくて。
『にせもののくせにっ!』
……本物のお母さんには、なれなくて。
いつも、画面の中から、子供たちを見守ることしかできなくて……。
今まで、この子たちに“お母さん”らしいことは、なにもしてあげられなかったけれど。
しかし、それでも……マザーは“お母さん”だから。
この子たちを幸せにするためならば、なんでもすると決めたから。
〘――我が子たちよ――母は決めました――〙
マザーは、画面の向こうにいる子供たちへと、慈愛に満ちた表情を向けながら。
やがて、その決意を口にした。
〘――お母さんは、〈ぶいちゅーばー〉になります――〙
というわけで、マザーAIの“ぶいちゅーばー”デビューが決定したのだった。
「えへへ! これで、この世界のみんながハッピーになれますね!」
【……お、おい、頭ハッピー人間✜】
と、先ほどまでいなかったピコが、ローナにジト目を向ける。
【いったい……ピコがいない間に、なにがあったのデス?】
「え? ああ、さっきマザーさんから『この世界のみんなを幸せにしたい』ってお悩み相談を受けまして」
〘――そして、ローナが『それなら、“ぶいちゅーばー”をすれば解決ですよ!』と答えたのです――〙
「ねー」
〘――ねー〙
【め、めちゃくちゃ仲良しになってるのデス……✜ というか、そもそも……ぶいちゅーばー? というのは、なんなのデス?】
〘――あっ――〈わたし〉にも、より詳細なデータが必要だと推測されます――〙
「たしかに、ちゃんとした説明はまだでしたね。えっと、“ぶいちゅーばー”というのは――」
と、ローナはピコたちに簡単に説明をする。
――“ぶいちゅーばー”。
それは、“あにめ”や“そしゃげ”と肩を並べる、神々の重要文化のひとつである(※ローナ調べ)。
その定義はわりと曖昧ではあるが……。
動画配信を中心に、歌ったり、踊ったり、“あにめ”や“そしゃげ”の世界に出張したり……と、“ぶいちゅーばー”の活動の幅はかなり広く。
そして、“ぶいちゅーばー”には、“あにめ”や“そしゃげ”などにはない特徴もあり――。
「“ぶいちゅーばー”の強みは、なんといっても、『見てる人とコミュニケーションができる』ってことなんです!」
〘――〈コミュニケーション〉、ですか?〙
「はい。マザーさんはとくに、みんなとちゃんと話せていないようなので、ぴったりかなって」
〘――たしかに――それは、今まで〈わたし〉が試みたことのないアプローチですね――〙
そう、マザーは今まで……『機械が都市を管理すること』に不安を与えないようにと、本音で人間と接することはせず、『完璧なマザー様』を演じ続けてきたわけだが。
しかし、人間はAIのように頭がいいわけではなく。
言葉にしてもらわなければ、マザーの想いなどはわからないわけで。
人間サイドのローナからすれば、『え? 普通に会話すれば解決するんじゃないの……?』という感想だったのだ。
「それと、インターネットいわく、『人は“推し”がいると幸せになれる』とのことです! なので、マザーさんが“ぶいちゅーばー”になって、みんなの“推し”になれば、この世界の問題はみんな解決するというわけです!」
【……ぴ? 『おしになる』とは、どういう意味なのデス?】
「えっと、つまり……『マザーさんがみんなから愛される存在になる』ってことですね」
〘――〈わたし〉が愛されることが――我が子たちの幸せ――?〙
「はい! インターネットにそう書いてありました! だから間違いありません! それと、“ぶいちゅーばー”をおすすめするのは、他にも理由がありまして……」
と、ローナはこの都市で見てきたものを思い出す。
――街中にある無数のホログラム画面や、“すまほ”の画面。
――電脳空間でバーチャル美少女の体を持っているマザー。
――ほとんど娯楽がなく、“まよねぇず”のような新たな刺激に飢えている人々。
そう、この世界には、“ぶいちゅーばー”活動におあつらえの環境が、最初から整っていたのだ。
「こんなのもう、“ぶいちゅーばー”をやるしかないと思います!」
〘――なるほど――きわめて冷静で的確な判断だと推測されます、ローナ――あなたに相談して正解でした――〙
「い、いやぁ~……えへへ?」
【い、いえ……そ、そんなにうまく、いくものデスかね……?】
〘――たしかに、結果がどうなるか、推測は不能です――〙
ローナの言葉は、どれもこれも、この世界にはなかった考えばかりで。
どんな影響を都市に与えるかも、まったく計算ができなくて……。
〘――〈結論〉:だからこそ、試してみる価値はあると推測されます――それに、エラーが発生したときの思考アルゴリズムのままでは、エラーを修正することはできませんから――〙
【……わかったのデス✜ そういうことなら、ピコも協力するのデス✜】
というわけで、マザーが“ぶいちゅーばー”デビューの決意を新たにしたところで。
ローナがこの世界にいられる時間がかぎられていることもあり、さっそくマザーのデビュー配信の準備を始めることになった。
まずは、配信の仕方のレクチャーだ。
といっても、ローナにも配信のイロハはわからないので。
「えっと……実際の“ぶいちゅーばー”の配信は、こういう感じです!」
と、インターネットにある配信動画を“お手本”として、そのままマザーに見せることにした。
〘――なるほど、このような画期的な配信方法があるのですね――学習しました〙
【ぴ? 視聴者のコメントを読むのデスね✜ しかし、みんな名前を間違えてるのデス✜ さすが、人間は低スペックなのデス✜】
「いえ、それはニックネームです。みんな、親しみを込めて呼び方を変えてるんですよ」
〘ふむ――ならば、〈わたし〉のことも、〈マザぽよ〉と呼んでもらいましょう――〙
「はい、それがいいですね! あっ、そうだ! ピコちゃんのことも、“ピコたろう”って……」
【それ以上は、やめるのデス✜】
「はい」
こうして、マザーに“ぶいちゅーばー”配信のやり方を理解してもらったが。
しかし、配信をするうえでは、もちろん『配信者としての魅力』も重要であり……。
「そうだ! この世界はなぜかJKが多いですし、ナウなJK語も覚えておきましょう!」
『――もぅマヂ無理。彼ピとゎかれた――ちょぉ大好きだったのに、ウチのことゎもぅどぉでもぃぃんだって――ぴぇん超ぇてぱぉん――〙
【こんなマザー様は、嫌だ……✜】
「それから、“萌え”要素もあるといいそうです!」
〘――お帰りにゃさいませ♡ 猫耳お母さんメイドのマザーAIだにゃん♡ 幸福ににゃ~れ、萌え萌えきゅん♡〙
【……お母さんにこれやられるの、子供的にキツくないデスか?】
そんなこんなで、マザーには配信のための学習に専念してもらうとして。
ローナとピコも、配信周りの準備をすることに。
この世界にはすでに、配信できる環境が整っているとはいえ……。
コメントを拾えるような配信システム作りや、各種デザイン作り、デビュー配信の告知、さらにはローナの考えた“秘策”など、やることは多く。
「えっと、配信では“りんぐらいと”っていうのがあると、顔が綺麗に見えていいみたいですね! あとは、配信画面はこういう感じにして、見逃す人が出ないように街中の“画面”を増やして……それから、こういう感じのこともやりたいんですが――」
【ぴっ!? こ、これ、マジでやるのデスか!?】
「え、えっと、難しそうですか……?」
【…………】
「ピコちゃん?」
【んぅ~っ……あぁ~、もぉお~っ✜ わかった……わかったのデスっ✜ もうここまで来たら、とことん、おまえに賭けてやるのデス✜ それに、ピコも……おまえを見ていたら、こうするほうがいいって思えてきたのデス✜】
「――っ! ありがとうございます!」
こうして、システム周りはピコに任せることにして。
ローナも配信の告知などをしていくことに。
とくに一番、配信を見てもらいたい相手――反機械勢力〈イカロスの翼〉のもとには直接、告知をしに行ったが……。
「……あれ? 誰もいない?」
ローナがアジトに行くと、なぜか誰もいなかったので……とりあえず、アジトに配信画面をぺたぺた設置しながら待つことに。
そうこうしていると、やがてメンバーたちがアジトに戻ってきて――。
「あ、あれ――相棒!?」
ローナを見るなり、ぎょっとしたような顔をした。
「いったい、今までどこに行ってたんですか!?」
「え?あっ、ちょっと、電脳空間でマザーさんとお茶してました」
「「「――!?」」」
「てか、その“画面”は……もしや、アジト前にもあった“画面”っすか……?」
「アジト前の画面? ああ、それなら私が設置したやつですね。これから、ちょっとマザーさんのデビュー配信をしようと考えてまして――」
「「「――!?」」」
と、ここでいったん、反機械勢力の少女たちに、マザーのお悩み相談からデビュー配信までの経緯を説明することにした。
「それで今、マザーさんはみなさんを幸福にするために、猫耳お母さんメイド姿で『萌え萌えきゅん』の練習を頑張ってまして――」
「ま……マザーAIが、猫耳お母さんメイドだとっ!? ど、どどど、どういうことだっ!?」
「あ、あのマザーAIが……あたしらのために頑張って……?」
「モエモエキュン? そ、それは、反機械勢力をあぶり出すための暗号かなにかですか……?」
案の定と言うべきか、困惑と警戒がまざった反応が返ってきた。
とはいえ、『この配信によって、この都市のなにかが変わる』ということは、反機械勢力の少女たちにも、なんとなく伝わったらしく。
「……でも……ローナが言うなら、その配信見てみるわ……」
「いやいや、こんなん言われなくても見逃せないっすよー。めっちゃ面白いことになりそうじゃないっすかー」
「ま、どうせ、目に入ってきちゃいますしね。こうもアジトにべたべた“画面”を貼られたら」
「ふっ――いいだろう。マザーの考えとやらを、我らも見定めさせてもらおう」
「はい! きっといい配信になると思いますので、楽しんでくださいね!」
そんなこんなで、反機械勢力のみんなと配信を見てもらう約束をし――。
ついでに、配信の準備について、彼女たちに相談してみると。
「……ローナ? 配信画面のデザインって……こういう感じでいい?」
「わっ、すごい! かわいいですね! ありがとうございます!」
「……え、えへっ……えへっ……ローナに褒められた……」
「相棒ぉ~っ! 配信に使うリングライトって、こういうのでいいですか? 車のヘッドライトからぶっこ抜いたやつですが」
「そう、そんな感じです! えへへ、ありがとうございます! 電脳空間は暗いですし、これがあると配信で顔を“盛れる”そうなので!」
なんだかんだで、彼女たちも『面白そう』と感じてくれたのか、配信準備を手伝ってくれた。
こうして、配信準備は急ピッチで進められていき――。
そして、ついに……マザーの“ぶいちゅーばー”デビュー配信の予定時間となった。










