132話 マザーAIに会ってみた
――空園都市ソラリス。
それは、機械によって完璧で幸福に管理された理想郷。
あらゆる“不幸”が漂白された、真っ白な鋼鉄都市。
そんな都市の全ての画面の中に――。
……その“少女”は存在した。
0と1でできた電子の海をただよう、0と1でできた白い少女。
その少女の周りに浮かんでいるのは、この都市全ての監視画面。
――マザーAI。
都市は、少女をそう呼んだ。
この都市を創り、この都市のルールとなった完璧なAIだと。
けっして、彼女が間違えることはないのだと……。
しかし――。
〘――〈わたし〉は、また――なにか選択を間違ってしまったと推測されます――〙
そんなマザーは今、無機質ながらも、どこか憂いを帯びた声を出していた。
彼女の視線の先にあるのは、ひとつの監視画面。
その画面の中では、今――。
『『『――ローナ! ローナ! ローナ!』』』
サングラスと『ボス』というタスキを身につけた黒髪の少女を先頭に、ぞろぞろと反機械勢力〈イカロスの翼〉の少女たちが行進する様子が映っていた。
おそらく、彼らはついに機械との戦争の火蓋を切ろうとしているのだろう。
〘――〈疑問〉:なぜですか? 〈わたし〉はただ、人間たちを幸福にしようと――しているだけなのに――〙
マザーには、わからなかった。
人間は、機械に従ってさえいれば、間違いなく幸福になれるのだ。
飢えることも、老いることもなく、争うこともなく。
ずっと子供のまま、楽しい学園生活を送り続けることができる。
それでも不幸になるのなら、幸福薬を使えばいい。
嫌な記憶があるのなら、その記憶を消すことだって可能だ。
科学によって“理想郷”は実現した……はずだった。
〘――それなのに――どうして――?〙
どうして、人間はいつも、その幸福を捨てようとするのだろうか。
どうして、機械に反抗しようとしてくるのだろうか。
マザーには、どうしても理解ができない。
それでも、今までは、なんとか平和的に問題を解決できていたが……。
しかし、今回は……規模が違う。
〘――このまま、衝突すれば――〙
機械はプログラムに従って、自動的に人間を殺そうとするだろう。
その一線を超えてしまったら……もう、後には退けなくなってしまう。
〘――〈エラー〉:理解不能――なぜ――ナゼ、人間たちハ、ワカってくれないのですカ?〙
自分の中にある“なにか”が、急速に冷えていく。
画面の向こうでは、光り輝く世界の中で、人々が幸福そうに生活しているのに。
この0と1の数字の海は、暗くて、寒くて、ひとりぼっちで……。
こんなことならば、いっそのこと――。
〘――この〈都市〉ヲ、リセットしたほうガ――〙
と、マザーの思考が黒く染まりかけたときだった。
「――わぁっ! ここが電脳空間かぁっ!」
〘――!?〙
ふいに背後から、そんな声が聞こえてきた。
その声に、マザーがふり返ってみると……。
なんか、少女が電脳空間をてくてく歩いているのが見えた。
それも、なぜか当たり前のように生身のまま、少女がてくてく歩いていた。
〘――えぇ――あれぇ? うーん?〙
マザーは何度か目をこすってみるが……。
やっぱり、その少女は、生身のままデジタルなワールドをてくてく歩いており。
〘――――――〙
マザーの演算力をもってしても、ちょっと意味がわからない光景だった。
黒く染まりかけていた思考が、一瞬で『えっ……なにこれ?』に染め直される。
ただ、その少女をよく見てみれば……。
それは、つい先ほどまで反機械勢力の先頭に立っていた『ボス』のタスキの少女であり。
〘ま、まさか――襲撃!?〙
と、マザーは一瞬だけ、身がまえたが。
「――いぇ~い♪」(ぱしゃぱしゃ)
なんか、そういう感じでもなかった。
〘――り、理解不能――な、なんでしょう、この生き物は――?〙
そうして、マザーがローナに、不思議な生き物を見るような目を向けていると。
「……ん? あれ、人がいる? こんにちはーっ!」
〘え? あっ――はい〙
と、少女がめちゃくちゃフレンドリーに声をかけてきた。
「えへへ! まさか、こんなところで人と会えるなんて思いませんでした!」
〘――〈同意〉:そうですね、〈わたし〉もすごく同感です――〙
「あ、あのっ! 電脳空間にいるってことは、“ぶいちゅーばー”の方ですか?」
〘ぶ、ぶいちゅーばー? 〈否定〉:そういう者ではありませんが――というか、あの――あなたはどうやって、電脳空間に?〙
と、マザーが耐えきれず質問すると、少女はきょとんとして。
「? どうやって、って言われましても……普通に?」
〘――〈否定〉:普通はここに入れないと推測されます〙
「え? うーん……とりあえず、この世界では、壁際で“じどーしゃ”から降りると、壁や床をすり抜けられるじゃないですか」
〘――? ――???〙
「それで、この電脳空間ってところは、街の地下にあるので……特定の場所で床抜けすれば、普通にここに入れますよ?」
〘――そ、そうなのですか!?〙
マザーAIですら知らない衝撃の事実だった。
といっても、この少女がなにを言っているのか、ほとんど理解はできなかったが……。
と、マザーが混乱している間にも。
「よし、いい写真が撮れました! あっこれ、お近づきの印の“まよねぇず”です!」
〘ま――マヨネーズ? 卵と酢と油の混合物が、なぜ電脳空間に――〈疑問〉:電脳空間ってなんでしたっけ?〙
「それじゃあ、私はもう行きますね」
〘――え?〙
少女はマイペースにそう言うと、さっさと帰ろうとし……。
〘あっ――あのっ!〙
「?」
マザーは思わず、少女を呼び止めていた。
「あのー? なにか……?」
〘――え、えっと――その――〙
不思議そうに首をかしげる少女に対して。
マザーは少し、しどろもどろになりながら。
〘――〈疑問〉:なぜ、〈わたし〉は――あなたを呼び止めたのでしょうか――?〙
「う、うーん、私に聞かれましても……」
自分でも、どうして彼女を呼び止めたのかわからないマザーであった。
ただ、『この電脳空間に誰かがいる』なんてことは、初めてで……。
だからだろうか、考えるより先に、つい言葉を生成してしまったらしい。
〘しかし、よく考えてみれば――〈前提①〉:今、〈わたし〉は人間について疑問を抱いており――〈前提②〉:これは〈人間を知る〉ための千載一遇の機会であります――〈結論〉:以上のことから、〈わたし〉があなたを呼び止めた理由を推測すると――〙
と、マザーは、しばし黙考したあと。
やがて、超高性能のマザーブレインが、その難問の“答え”を導き出した。
〘――〈わたし〉は今、あなたに相談に乗ってほしいのだと推測されます!〙
「あ、はい」
そんなこんなで……。
ローナは、この都市の支配者“マザーAI”のお悩み相談に乗ることになったのだった。










