ルックアットミー
「いい演劇になりそうだよ。みんな、ありがとう」
最後のリハーサルのあと、部長であり演出担当のユウスケが言った。借りた講堂の舞台の上には役者も裏方も関係なく立っていて、総勢四十人近いメンバーが彼を見ていた。
「俺たち四年生にとっては最後の演技になるし、今のうちに後輩たちに一言ずつ挨拶でもしようか」
さも今思いついたように言いながら、ユウスケはメンバーの円から一歩離れる。前々から打ち合わせずみの私たち四年生は、彼の横にずらずらと並ぶ。
今年大学を卒業するのは、私を含めて全部で七人。後輩たちが私たちを見る。
私の顔は不自然じゃないだろうか。
何人かの後輩からの視線を感じる。
だけど、やっぱり一番目立っているのは、今回の劇でもヒロイン役を勝ち取ったカオリだった。
***
幼稚園生の時、自分の容姿は特別優れていると信じて疑わなかった。一人っ子だった私は、近所の人にも親戚にも、会うたびに「ヒトミちゃんはかわいいね」と言われてきた。幼かった私はその言葉を額面通りに受け取って笑っていた。愚か。だけど真に愚かなのは、私に向けられるかわいいを中学校に入るまで信じていたことだ。
「ヒトミ……。素敵な名前だね」
中学校に入って最初に声をかけてきたのがカオリだった。席が後ろ前だった縁で、私とカオリはすぐに仲良くなった。いや、正確には違う。私はクラスの中を見て、カオリが二番目に可愛いと思った。
雑誌に載るカップルが美男美女であるように。サッカークラブに入ってるスポーツが好きなカッコいい男子が一つのグループになっているように。テレビに映るアイドルチームもかわいい人同士が仲良くしているように。優れた人同士は近くにいる。
直感的に、私は彼女といるべきだと感じたのだ。
だから、クラスで寸劇をするとなった時、私とカオリは当たり前のように役者側に推薦され続けた。
私が自分の特別性に一瞬だけ疑問を抱いたのは、中学校最後の文化祭の演劇。シンデレラを現代風にアレンジした物語で、カオリはシンデレラに当たる役を演じ、私は彼女を助ける魔法使いの立場を演じた時だった。
高校生になって、私は必死に化粧の勉強をした。周囲から必要ないよと言われても、私には関係ない。
「カオリはどの部活に入るか決めてる?」
高校では違うクラスになったけど、私たちの関係は続いた。私はカオリのいないところで爪の手入れを学び、髪型のセットを覚えた。
「たぶんヒトミが考えてるのと同じ」
中学校にはなかった部活。だけど中学校時代に何度も舞台の上で脚光を浴びてきた私の気持ちは決まっていた。
演劇部に入ったことを、後悔はしてない。
息をするのも忘れるくらい心をつかむ演技をする人。人間の優しさや醜さ、人の行動が作る儚くて美しい関係を脚本で魅せる人。ただの板だったもので木を作り家を作り城を作り出してしまう人。他にも場面の管理が完璧な人や集客がうまい人やみんなをまとめるのがうまい人。
色んな才能を持った人に触れて、私は自分が特別じゃないと感じたけど、追いつきたいと思う気持ちが湧いた。
すごい先輩たちにはまだ届いてないけど、私も成長すれば……。
そう思って、二年が過ぎた。その間に、カオリは他校の先輩に告白されて付き合った。私は同じクラスの男子となんとなく付き合った。少しずつ、私の中で何かが壊れるのを感じた。
高校生活最後の公演は双子の女の子が主人公の演目だった。主演は私とカオリ。後輩たちが気を遣った選択だと感じた。
やれるだけのことをやって、高校最後の舞台が終わった。大勢の拍手を受けて、観客からの熱い視線を感じる。
『違う』
壇上で笑いながら、私は誰にも聞かれないように小さく呟く。この熱気は、私だけのものじゃない。
どこか、おかしくなっていたんだと思う。誰にも負けたくないって想いとか、稽古による疲れだとか。そういった色んな気持ちの揺れで、ただ感情のままに叫びたくなった。
とにかく私は、特別で一番が欲しい。誰に気を遣われるでもなく、親友を落としてでも。だけど同時に、このままだとカオリには勝てないと、薄々分かっていた。
だから私は、大学の演劇サークルに入ってからのことを考えながら残りの高校生活を消費した。カオリも同じ大学を受けると言ったときも、ちゃんと笑顔を張り付けられた。
***
長かった。
舞台の合間の暗闇の中で、私はゆっくりため息をつく。大学に入ってからの四年間、私は高校生時代に考えた通りに演劇に接してきた。ついに、大学生活最後の舞台、その終盤まで来た。
ほんの数分の幕間のはずなのに、随分色んなことを思い返した。つい昨日やったリハーサルのことや幼稚園の頃のこと、カオリと出会ってからの学生生活のこと。
舞台の袖で、後輩が緑色に光るサイリウムを振っている。もう幕を開けるという合図だ。
最後にチラッと、先月の舞台が終わったあとのカーテンコールが頭をよぎった。やっぱり盛大な拍手で、立ち上がってる人さえいた。舞台の中心にいたのは、カオリだった。
でもあの拍手は、視線は、カオリだけのものじゃない。高校生のときと同じ。舞台を作ったメンバー全員に向けられたもの。
もう疲れた。競い続けるのも、上を目指し続けるのも。
スルスルと幕が上がる。私は足元を確認する。もうすっかり慣れて、目を瞑ってたって立ち位置は把握できる。
いよいよだ。私は最後に大きく息を吸う。今にも幕が上がり切り、スポットライトで照らされるだろう。
みんな、私を見て。
かなり下にカオリが見える。痛いかな。まあ一瞬だしいいか。
私は全身に観客の視線が向けられるのを想像しながら、四年間裏方として作業し続けた舞台の上のキャットウォークから舞台に向かって飛び降りた。