前半
白球がミットに吸い込まれるー
その瞬間がたまらなく好きだった。
その少年は…投手だった。
その少年は、物心ついたときにはボールを握っていた。
父は大学六大学でレギュラー、5つ離れた兄はその父に憧れ野球を始める。
そのおかげでボール遊びだけは生まれた頃からやっていた。
兄は、あまり野球の才能がなかった。
だが、足が速かったので中学からは陸上を始めた。
そんなこともあってか、少年は父から野球の英才教育を受けた。
少年はサウスポーでもあったことが唯一、父の不安材料だった。
父は右利きだったので左を育成したことはない。
そこだけが、不安だった。
少年が3年生になった時、彼は近所の少年野球チームに入った。
初めてみんなで野球をする、それは少年にとって不安だった。
父や兄以外の人間と野球をやる。
それは当時9歳の少年には不安でたまらなかった。
もっとも、それは最初だけだった。
考えてみれば当たり前だ。
周りもほとんどが初めて他人と野球をやるのだ。
それに同い年の子供たち、仲良くなるのに時間はかからなかった。
少年は、その少年野球チームでピッチャーをやることになった。
少年はサウスポーだったし、何よりチームで1番才能に溢れていた。
少年は1年後には、上級生に混じって野球をやり5年生にはチームのエース、6年生にはシニアリーグに誘いが来るほどの選手に成長していた。
これはーそんな少年の物語である。
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「早くおわんねーかなぁ…」
授業ってのは、退屈だ。
別に勉強ができないわけじゃない。
別に教師の話が面白くないわけじゃない。
ただ、意味がないのだ。
俺の人生には、勉強など必要はない。
なぜなら、俺は将来プロ野球選手になるからだ。
俺は中学1年でレギュラーになり、現在の中学2年には強豪シニアチームのエース投手だ。
3年生がまだいるので、背番号1ーエースナンバーはまだ貰えてないが大事な試合には必ず俺が投げている。
コーチには、有名な高校からスポーツ特待生のスカウトが来ていると、教えてもらった。
そんな俺には、こんな中学の授業は必要ない。
そんなことを考えながらいると、4時間目が終わり昼休みになった。
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「修ちゃんさあ、授業つまんなさそーだよな」
同じシニアチームの友人が弁当を食べながら話かけてくる。
そんな彼に俺は質問に答える。
「実際つまんねーし、俺に勉強なんて必要ねーよ」
「さっすが修ちゃんだな」
「まあお前は勉強しろよ、野球あんまうまくねーんだからさ」
「あーひっでえ!」
友人と弁当を食べながら、話をする。
「まあ修ちゃんはすげえよな、なんたって2年の今にあの栄南高校から特待生のスカウトきてんだもんな!」
「まあな」
関西栄南高校…昨年も甲子園で優勝した、全国区の名門校。
現在の野球少年の憧れだ。
そんなチームからスカウトが来る、俺の鼻は天狗だった。
「でも最近、監督修ちゃんに厳しいよな」
「あのタコ親父、俺の才能に嫉妬してんだよ」
そうだ、最近シニアチームの監督は俺に厳しい。
ともっと走り込みをしろだの、投げ込みの数を減らせだの、俺に指図をしてくる。
まあ、俺の才能に嫉妬しているんだろう、俺はそんな事は一切聞いていない。
「来週の大会、全国目指してがんばろーぜ修ちゃん!」
いつもながら、テンションの高いやつだこいつは。
聞き流しながら俺はそう思った。
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俺は今、家の庭で投げ込みをしている。
平日はシニアの練習がないからだ。
「修、そんなに投げて大丈夫なの?」
投げ込みをしていると、母が心配そうに話しかけてくる。
「へーきだよ、監督の指示なんだ」
俺は嘘をつく。
これくらいの嫌がらせは監督にしてやる。
「そう、ならいいけど…無理はしないようにね」
「うん、わかったよ」
もうちょい投げて終わりにするか、そう思って次の球を投げると…
ズキっと肩が痛んだ。
なぜか違和感があったので、もう一度投げると痛みは無くなっていた。
気のせいだろう、だが大事をとって今日はもう投げないことにした。
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「背番号11、修」
俺は無言で背番号をもらう。
またエースナンバーじゃない、俺はそう不満な顔をしていると…
「何か不満か、修」
監督に練習後、呼び止められた。
「いえ、別に」
俺は不満な顔を隠そうともせず、監督に返事をした。
「俺はな、お前に大人になって欲しいんだ」
「…」
何言ってやがる、大人気ないのはお前のほうだろ?
「いつも、背番号をもらうときは不満気な顔をして受け取る…
他のメンバーのことを考えたことがあるのか?」
「ありますよ、それぐらい」
そんなのは、実力が足りないやつが悪いのだ。
そう俺が思っていると、監督が言った。
「エースナンバー、背番号1ってのはチームの柱だ。
チームを引っ張る存在でなくてはならない、俺がお前を試合で使いながらも1番を与えないのは、お前が精神的に大人じゃないからだ」
などと言って監督はもう一言続ける。
「その心構えが出来てないうちは、俺はお前にエースナンバーは与えるつもりはない」
「そうですか」
最悪だ、なんてやつだ…最低な大人だ。
もういい、こんなやつと話しはできない…そう思って俺が帰ろうとすると…
「修、投げ込みは控えてるだろうな?」
投げ込みを控えろと言ってきた。
ウザくなった俺は、適当に返事を返して家に帰った。
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「あと1人だぜ、修ちゃん」
「騒ぐな、みっともねえ」
マウンドに上がってきた友人が話しかけてくる。
周りは盛り上がっている。
現在は全国大会の予選、3回戦。
そして、最終回2アウトランナー無しー3点差で勝っている。
なぜそんな時にマウンドに友人が駆け寄ってくるのかって?
それは、彼が完全試合…1人の走者も出していないからだ。
「とにかく最後のバッター、打たせてとってもいいからきっちり行こう!」
そう言って、守備位置に友人は戻っていく。
「打たせてとる?
冗談じゃねえ、後ろのやつらが信用できるかよ」
俺は心の声を漏らしつつ最後のバッターを見る。
最後のバッターのくせして、打てそうな顔してやがる…こんな3回戦レベルのチームのくせしやがって、自信ありげな顔しやがって。
「打てるもんなら…打ってみろよ!」
まずはカーブで打ち気をそらす…ストライク、外角ギリギリ。
次にスライダー、空振りしてバットは空を切る…ツーストライク。
さて、一球外そうと友人は言っているが…。
「いらねえだろ、こんなレベルに」
俺は首を振り、ストライクを要求する。
すると、友人は諦めたのかストライクのサイン。
それも、俺の1番好きな球。
「はい、終わりっと!」
真ん中高めのストレート、その高めの球を投げた時…また肘に痛みがしたー。
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「ありがとうございましたー」
挨拶が終わり、俺は帰り支度を始める。
すると、友人が話しかけてくる。
「すっげーよ、修ちゃん完全試合、パーフェクトだぜ!!」
「たいしたことねーよ、あんなチーム」
そう、あんなチームぐらい大したレベルではない。
もっと上のチームなら喜んでなどいられない。
「○○君だね?」
すると、帰りに話しかけられる。
誰だ、このおっさん?
「誰ですか?」
俺は疑問に思い、話を聞く。
すると、男性は名刺を出してこう言った。
「失礼、私はこう言うものだ」
その名刺の先には、関西栄南のスカウトマンと書かれてあった。
「素晴らしい才能だと思ったね、サウスポーで完全試合…おまけに最後のストレートは140キロ…中学2年生でだ」
そのスカウトは俺のことを褒め続ける。
何が言いたいんだ?
しばらく褒め続けると、彼は…真剣な顔でこう言った。
「単刀直入に言おう…我が関西栄南の特待生として野球部に来て欲しい」
もちろん俺は即答した。
「もちろんです、全国優勝投手のおまけ付きで入学しますよ」
大口を叩いて約束をした。
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俺は順調に勝ち上がった。
あと一勝で全国大会、と言うところまで危なげなく行った。
だが、投げれば投げるほど…俺の肘には痛みが走った。
原因はわからない、だが監督に言えば間違いなくメンバーから外される。
それだけはごめんだったので、黙っていた。
大会が終わったら病院に行こう、そう考えながら決勝戦のマウンドに上がった。
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「修ちゃん落ち着こう!」
「お前が落ち着け」
現在、6回裏ノーアウト2.3塁のピンチ。
味方の連続エラーで大ピンチだ。
スコアは0-0なのでここで得点されると大分厳しいことになる。
「俺は落ち着いてる…3人連続で行くぞ」
「うん、わかったよ…」
俺は友人にポジションに帰るように促す。
なんてことはない、全部三振で片付ければいいのだ。
まず1人、ストレートで見逃し三振。
次に1人、ストレートでスクイズを空振り三振、あわやゲッツーでツーアウト。
「ほら、たいしたことねえ…」
そう、こんなやつらはたいしたことはない。
なのに…前の回から肘の痛みが止まらないのだ。
投げるたびに痛みがする、ジンジンと焼けるように痛い。
あと少しだ、あと少しー最後のバッターも空振り三振に取り、7回の表に回る。
俺は自分の打席、ホームランを打った。
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最終回2アウト満塁ー打たれたヒットはゼロー。
2アウトからエラーで始まり、俺の連続フォアボール。
友人が心配そうな顔でマウンドに駆け寄ってくる。
「修ちゃん、大丈夫か?」
「平気だって、そんな顔すんなよ」
こいつはいつも心配そうな顔をする。
なので、こういう時に言ってきた言葉を久しぶりに使ってみる。
「俺は、将来プロ野球選手…いや、メジャーリーガーになる男だぞ?」
すると、友人は俺に満面の笑みでこう言った。
「俺、将来絶対に自慢するよ!
修ちゃんとバッテリー組んでたって!!」
ポジションに戻っていく友人。
「さて、料理すっか」
3球連続してスリーボール、ノーストライク。
最悪の展開だろう、だけど友人は信じてミットを構えている。
くそ、痛みがとまんねえ…お願いだ、あとストライク3つなんだよ…ちくしょう。
俺は意を決して、ど真ん中のストレートで勝負することにした。
「俺が打たれたら、どのみち終わりだ」
全球ど真ん中ストレート勝負。
そんなのはシニアに入ってからは初めてだ、だが…するしかない。
「おらよっ!」
白球がミットに吸い込まれる。
バットが空を切る。
ワンストライク、肘の痛みが和らぐ。
「もう一球だ!」
そのボールは一直線に友人のミットに収まる。
もはやバッターはボールが見えていない。
ツーストライク、もはや肘には痛みがない。
これなら勝てる…万全の状態だ。
「やっぱ野球の神様は俺を見放さなかったな」
ど真ん中で十分だ、最後のストレート。
その球を投げようとした時、激痛がした。
肘が途中で止まる。
球は力なく手から放たれる。
そのボールを…バッターは空振りした。
三振、ゲームセット。
同時に俺はマウンドにうずくまる。
その日、俺たちは全国大会への切符を手に入れた。