エピローグ
駆け足で完結させました。肉付けが足りない部分は、今後足していくかもしれませんが、そうであったとしても話の大筋は変わりませんのでご了承下さい。
あれから時が過ぎ、七月になった。梅雨はまだ明けていないが、夏が少しずつ近づいていた。
僕は今、街中を栄華と一緒に歩いている。
「翔吾。どうしたの?凄い楽しそう」
「ん?婚約者とこれから家具を買いに行くのだから、楽しいに決まっているだろう?」
僕と手毬花さんこと、栄華は婚約した。彼女はまだ高校に在籍しているから公表はしていない。婚約の話は電撃的に話が進んだ。決まってしまうと、あとはトントン拍子で一緒に住むことになり、少し遠いところにアパートを借りた。僕は翻訳の仕事と塾講師のバイトを始めた。細々とだが生計を建てている。
それにしてもーーー。
「今思えば、栄華は僕が告白した日の夜には僕のことを呼び捨てにしてたけど、普通はもう少し遠慮というか、恥じらいがあるんじゃないのかな?」
「私を一度は裏切ったんだから、呼び捨てにされて当然でしょ?それに、両想いになったんだったら、尚更良いじゃん。そもそもあの時、先生辞めてたんだから、先生って呼ばなくても良いよね?」
栄華は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「それで両想いになってすぐに婚約者っていうのには、驚いたけどね」
「我が家では翔吾は、ヒーローみたいな存在だから前から言われてたんだよ?ああいう人を将来夫に迎えなさいって」
「それで、婚約者として本人を連れてきたわけだ」
手を繋いで他愛の無い話をしながら歩く。こんなささやかな会話の積み重ねが、今ではとても愛おしい。きっとこれが幸せなんだと、強くそう思った。彼女には辛い思いをさせた。彼女の想いに気付いていながら、気付いていない振りをし続けた。あまつさえ、彼女を裏切り傷つけてしまった。
だから、その分を償っていきたいと思う。そしていつか、悲しみ以上の幸せで彼女の胸を満たしたいと僕は考えるようになっていた。
ふと、視線を感じた。
「どうしたんだい?」
栄華の方を向く。
「また、自分だけ難しいこと考えてたんでしょう?」
懐かしい空気を感じた。図書準備室の扉が開く音が聞こえた気がした。
「いや、そんなことは」
「嘘、分かるもん。なぜなら私は、翔吾の一番大切な人だから」
屈託無く笑うと、栄華は真面目な顔になった。
「駄目だよ。一人で背負いこんだら。私にもちゃんと話してね。でないと、私って何のために……」
ぽんと、栄華の頭に手を乗せる。
「大丈夫。不安にはさせないさ。栄華を幸せにしたいって考えてたんだ」
「それなら、私は十分幸せだけどなぁ」
「いいや、まだまだ。これから築いて行こう」
「『本当に、胸がときめくばかりの素晴らしい変化がおこったのでした』」
栄華が呟く。ポール・ギャリコの一節だった。
僕は続ける。
「『今では丸くて、朝の光のように清らかで、透き通った小さな銀の鏡のように、まわりのものを映しかえすことができるのでした』」
お互いに見つめ合うと微笑む。こうやって、ずっと二人で歩いて行こうと思う。
ようやく、僕は一人の人間として人を愛する存在になることができた。
本作執筆にあたり、いくつかの書籍を引用しました。有料書籍ですので、製作者様の利益を鑑み、意図的に一部語句を言い換える等、内容を変えております。翻訳家さんの綺麗な訳は、機会がありましたら是非、実物をお手にとってご覧ください。驚嘆です。
以下参考にさせて頂いた書籍
パスカル 『パンセ』 由木 康訳 白水社1990年
マルセル・プルースト『失われた時を求めて 全一冊』 角田光代・芳川泰久 編訳 新潮社2015年
ポール・ギャリコ『雪のひとひら』矢川澄子訳 新潮社2008年
パスカルの『パンセ』は、難しい内容ですが訳者さまのゴッドハンドにより大変わかりやすくなっています。また、『失われた時を求めて』は、私は岩○新書のもので挫折したのですが、こちらでは読めました。角田光代さんの小説は学生時代に読んで、読みやすい印象でしたが、その文章力は健在です。
ポール・ギャリコの『雪のひとひら』は、学生時代に泣きました。矢川澄子さんの綺麗な日本語がとても美しく、感動します。日常でついた心の傷が癒されていくような本です。
私の改悪ではなく、表現が美しい実物書籍をこの機会に皆さま読まれてみてはいかがでしょうか。