第6話
仕事が忙しくならないうちに完結させようと思った次第です。次回エピローグになります。
僕が目を覚ました時、どうして自分がここにいるのか分からなかった。見た所、病室のようだ。
「目が覚めたか」
影山さんが立っていた。
「脳震盪だ。多分記憶が一部欠落してるだろう。だから教えてやる。日付が変わってすぐ、廃工場でお前は凄い姉ちゃんと格闘戦になって負けたんだ。総合格闘技を習ってたお前を一人で打ちのめしたっていうんだから、俺も最初は何かの冗談かと思ったぜ」
ーーー死に損なった。
瞬時にそう理解した。彼女に打ち負かされるのは想定内だった。だが、その後僕は一人で死ぬ予定だったのだ。まさか脳震盪で意識を失うとは。本当にーーー。
「運が悪い」
「いや、ついてるだろ。被害者……お前の従兄妹は示談で済ませると言っている以上、検察も起訴はしない。おまけに初犯で、取り上げるような大きい被害も無い。逮捕歴は残るが、前科にならない。やり直せるさ」
そうだろうか。心の中に虚無が広がっていく。
「まあ、今はとにかくゆっくり休め。少しの間、警察に身柄を拘束されるかもしれないが身構えることはない。確認程度だ」
そう言うと、影山さんは去っていった。
あれから警察に全ての事情を話し、蒼空とも会った。もう、全てがどうでも良かった。
久しぶりに自分のマンションに戻った。鍵を空けて中に入る。そのまま膝から崩れそうな、悲壮感が僕にまとわりついた。重い足取りで部屋の電気をつけると、違和感を感じた。
あの日のティーセットが片付けられている。
「やっと帰って来た。あれからずっと電話もLINEも、メールも返してくれないで、どこに行ってたの?」
聞き覚えのある声だった。
「手毬花……さん」
声がかすれた。寝室のドアに彼女の姿があった。髪が少し伸び、健康そうだった肌は少しかさつき、目の下には隈があった。
「仕事だって辞めちゃって。私に何も言わないで、私がどんな思いだったか分かる?」
ふらりふらりと、生気の失せた足取りで僕の方に近づいてくる。
「どうしてここに?」
「聞いてるのは私なんだから答えてよ!」
手毬花さんが怒鳴った。怒りが、深い悲しみの裏返しなのが分かった。
見ると彼女の右手にはアイスピックが握られていた。突き出すように構えて、僕の方を見ている。一メートルも無い距離だ。
なるほど、君が僕の死か。手毬花さんであれば、良いと思う。まさに僥倖と言ってもいい。
「良いよ。それで僕の胸を貫くと良い。むしろ、そうしてくれないか」
僕は両手を広げる。手毬花さんの目が開かれる。目には怒りが見えた。彼女は何かを言いかけたが、前のめりになり僕に向かってくる。
僕は微笑みを浮かべそれを迎えようとした瞬間。
ーーー言葉がよぎった。
ーーー約束。
虚無の心に光が射した。
そこからは反射的に体が動いた。膝を曲げ、腰を落とし重心を低くする。
手毬花さんの手首を左手で掴み、関節を決める。痛みで手毬花さんの手からアイスピックが落ちる。
あとは、夢中で手毬花さんを力一杯抱きしめた。
「ごめん。君が手を汚す必要は無い」
僕の腕の中で手毬花さんが肩で息をしている。
「そして、僕にもう一度チャンスをもらえないだろうか。僕に約束を果たさせてくれ」
久しぶりだ。鼻の奥がつんとする。手毬花さんは僕の胸に顔を押し付けたままだ。僕は続ける。
「今になってようやく分かった。多くを失った今だから言える。僕は君のことが好きだ」
手毬花さんの顔が僕を見る。
「嘘」
「嘘じゃない。本当だ。僕はもう、君の側を離れない」
間があってから、手毬花さんの手が僕の背中に回る。
「今度裏切ったら、その時は容赦無く先生を殺して、私も死ぬからね」
手毬花さんの手に力がこもる。目は潤んでいるが、しっかりと僕を見据えている。
「僕は君を悲しませない。僕の全てを君のために使おう」
「なら、言葉だけじゃなくちゃんと誓って」
そのまま、十秒ほど見つめあってから僕は手毬花さんにキスをした。
「ありがとう」
また僕の胸に顔を押し付けて、手毬花さんは呟くと。そのまま静かに泣いた。
僕は彼女が泣き止むまで、ずっと彼女の頭を撫でた。
僕は、彼女に救われた。