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愛のひとひら(『想いの価値は』番外編)  作者: スミス・ヴァルター
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第5話

 土曜日の十五時、僕は蒼空を僕のマンションに招いていた。彼女は今日はフリーだ。彼氏の創平君は、お姉さんと外出だそうだ。ありがとう。梶 和美。僕は心の中で感謝した。

 蒼空はテレビの前のソファーに座っている。ソファーの左右にはDENONデノンのスピーカが二機スタンドに固定されて立っている。5.1chの大迫力で聴く音楽が僕は好きだった。

「それにしても、久しぶりですね。翔吾さんと、こうやってお話をするのは」

「創平君と付き合ってから、蒼空は週末はいつもデートだったからね」

 そもそも、蒼空と週末を過ごす機会は彼女が学年を重ねる毎に減っていった。

「どうなんだい?彼とは」

 テーブルに紅茶とケーキを置いて僕は、蒼空の隣に座った。

「そうですね。とても気が合います。毎日が充実します」

 照れ臭そうにそう言うと、彼女は紅茶を一口飲んだ。いつから、そんな乙女の表情を浮かべるようになったんだい?

「美味しいですね。凄く香りが良くて……入っているのは、蜂蜜ですか?」

 嬉しそうな顔で蒼空が言う。

「良かった。よく味わってくれ」

 僕は足を組んで、ソーサーを左手に持ち膝の上に乗せた。カップを顔に近づけ、液面を見る。

 今日の紅茶は念のためにカフェインが含まれていない、デカフェのものを用意した。そして、蒼空のカップには睡眠薬を入れてある。

 あとは、どうでも良い話を続ければ良い。

「蒼空。覚えていないだろうけど、僕は君に救われたんだ」

「どうしたんです?急に」

 おかしいと言わんばかりに、蒼空は口元に笑みを浮かべた。嫌味ではなく、優しい笑みだった。僕の好きな彼女の表情だ。

「僕が小学生の時に、一歳の君と出会った。君は僕の後をいつもついてきて、まるで妖精のようだった」

「よして下さい。何だか照れます」

 蒼空が手で横髪を耳にかける。

「君はどんどん大きくなった。そして、幼稚園の頃だね。凄く絵本が好きな女の子だった」

「それはうっすらと覚えています。翔吾さんは色んな話をしてくれて、私はそれが大好きでした」

 その頃の本がテレビの横の本棚に並んでいるが、彼女はそれに気づかないだろう。

「やがて小学校に上がり、友達がたくさんできた」

「翔吾さん。最初の頃は、心配して送り迎えしてくれましたよね。私に友達ができたのが分かって、しなくなったんでしたっけ?」

 くすくすと蒼空が笑う。あの頃は本当に心配だった。目の届かないところに、蒼空が行くと思うと気が気では無かった。

「そして、君は部活を始めて、背もぐんと伸びた。中学校では生徒会長をやって、人気者だった」

 だんだんと思い出が断片化して行く。だが、その頃から蒼空は僕に敬語を使うようになったのを覚えている。

僕が大学生の頃は、教員免許の所得と採用試験の勉強で日中の大半が忙しかった。一緒にいる時間はどんどんと減っていった。特にここ数年は、月に二回程、買い物かイベントに行く程度。もしくは、蒼空の部活の試合の送り迎えだ。

「今日はどうしたんです?昔のことばっかり」

 蒼空が微笑んだまま首を傾げる。僕のように張り付いた笑みではない。

「君がいなければ、僕は守るべき存在を持たない残骸のような人間だったのさ。あの時、君が居てくれたから僕は今ここにいる」

 そして、この胸の苦しみもずっとある。次第に遠くへ行ってしまう寂しさ。僕の代わりに彼女と関わる全ての者への妬み。

 自分だけのものだと思っていたものが、皆のものになり。そして、創平君という恋人のものになった。

 蒼空を守りたい。小さい頃に胸に抱いた純粋な気持ちが、年月と共に変質していった。蒼空の成長を喜ぶ事が出来ない心と混ざり合って、それは憎しみへと変わった。

 昨日、手毬花さんと食事をした後に気づいた事がある。少年の頃に胸に抱いた気持ちが、今では綺麗に失われてしまっていることに。彼女のためにあろうと思った僕は、一体何に成り果ててしまったのだろうか?

 梶 和美。僕が出来ない正しさを貫く彼女なら、その答えを教えてくれるだろうか?


 僕の肩に重さを感じた。リンスの甘い匂い。蒼空が僕の肩に頭を預けて眠っていた。

 なるほど。虚しさか。八重樫君の言葉が、分かる気がした。僕は目を瞑って、大きく息を吐いた。

 あとは、計画通りにやれば良い。まずは、和美を尾け回しているあのストーカーに電話をかけよう。揺すって協力させればいい。僕からの手向けだ。梶 和美。君の身の回りに潜む危険も炙り出してやろう。

 僕は蒼空を抱きかかえて車に運んだ。まるで眠り姫だ。目覚めた時に、彼女はどんな顔をするのだろうか。優しいその顔が憎しみに歪むだろうか。はたまた悲しみか、絶望か。それはそれで見てみたい気もする。顔が歪んだのが自分でも分かった。

 僕は、車の後部座席に蒼空を乗せると車を走らせた。車にはこの日のために購入したナイフを積んだ。蒼空がこれで、僕の命を奪ってくれたなら、どれだけ幸福な事か。

 だが、それは望めない。殺してくれと言われて、相手を殺せるのは、本当に相手の事を愛する者の為せる事だと僕は思う。

 日本では、『曽根崎心中』をはじめ心中を題材にした文学が数多い。それは、恋愛の行く末としてある種の理想を秘めているのかもしれない。だが、僕はそんな物語の登場人物のように美しくは散れまい。

 結局僕は、何者にもなれないまま、一人で虚しく最期を迎えるだろう。

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