誰が為の花
〜あらすじ〜
大学一年生の麗と愛美はとある劇のサークルに所属している。運動神経が良く、背が高く、すらっとした体系の麗。小柄で小動物のような愛美。文化祭も終わり、冬になり、風が肌を刺す季節になったころのこと。何気なく流していた日常が、先輩の一言で大きく変わった。
世間的に少し特殊と言われる恋愛模様やヒューマンドラマを書いていく予定です。
好みが分かれるかと思いますが、始めたばかりということで軽めの雰囲気にしたつもりです。
「麗と愛美ってつきあってんの?」
サークル中の先輩からの何気ない一言だった。言われてから愛美の方を見てみる。そこにはキョトンとした愛美の顔があった。見つめ合うこと数秒の沈黙が妙に恥ずかしくて、目をそらして否定した。愛美もおどおどしながら否定していた。その後、私は劇の台詞確認にもどり、愛美は衣装づくりに戻った。しかし、何気ないこの一言は、なかなかに莫大な威力を持っていた。サークルが終わり愛美と二人で帰っているときも、なんだか妙な空気になっていた。歩きながらも会話がないからか、私は先輩の言葉について考えていた。
もともと私と愛美は単なるサークル仲間で仲がいいだけだ、と私は思っている。帰り道の方向が一緒だから話す機会が多いだけ。愛美の小柄でおどおどしながら、ちょこまか動き回っている姿はかわいらし、女の子らしいと思う。そんな愛美に私の方から絡みにいったっていうのも仲良くなった要因だとは思う。愛美は私のことを嫌っている訳じゃなさそうだ。だからといってつきあっているかと言われると、違う気がする。でもなんだかそれもしっくりこない。何にしっくりきていないのかと考えるも、頭の中は五寸先も見えない靄で満たされている。
「……い……麗?」
愛美の震えるような声で我にかえった。考え込みすぎていて気づかなかったが、愛美は私の顔をのぞき込んでいたみたいだ。
「ごめんごめん。えっと、どうしたの?」
「その、麗の表情がなんか……ちょっと険しかったから……」
愛美はよくこうやって人のことを心配してくれる。歩みを進めながら愛美の問いに答える。
「いやさぁ、先輩の言ってたこと。実際どうなのかなって考えてたんだ。でも私には難しい話だね。頭がショート寸前だよ。愛美はどう思う?」
愛美はどんなことを考えているか気になるし、せっかくだから率直に言ってみた。反応を見ようと横を歩いているはずの愛美を見る。しかし、そこに愛美の姿はなかった。夕日の照らす背後を振り返りみる。数歩後ろには、歩みをとめてうつむいた姿の愛美が立っていた。手はスカートをぎゅっと掴んでいる。表情は逆光でよく見えない。たまに見せる愛美のこの仕草。何を考えているのかさっぱりわからない。そしてどんな問いかけにもほとんど反応がなくなるのだ。疑問、不快、困惑、恐怖……どれともわからない。ただプラスの感情でないことは確かだろう。冬の淡い光は世界を曖昧にしている。
「私はよくわからない……かな」
肌を突き刺す風とともに言葉は通り去っていった。数歩のはずの距離がとても遠くに感じる。その光景は、どこか異国の流浪の旅人が次の国へ旅立ってしまうようだった。いつものスミレのような笑顔と小動物のようなかわいらしさを微塵も感じさせない。この話題はだめだったみたいだ。以前、恋人がいたことがあるのかという話題のときもこうなってしまった。
「そっか、ならいっか。そうだ、SNSでみっけた話題のドーナツ食べにいこうよ。駅前らしいよ」
少し強引かもしれないけれど、そう言って愛美の手を取って歩き始める。どんなドーナツがあるとか、今話題のタレントがリポートしていたとか、他愛ない話を一方的にする。こうやって無理矢理気分転換をさせることぐらいしか出来ない。そんな強引なやり方でも、うつむいていた愛美は次第に顔を上げるようになり、ドーナツ屋につく頃には笑顔を取り戻している。いつもこうしてやり過ごしてきた。ただいつも、取り戻した愛美の笑顔はどこが寂しそうだ。
店に入ると暖房が利いていて暖かい。注文を終えて席に着くと、愛美は早速フレンチクルーラーを食べ始めている。まぶしてある粉砂糖が、勢いよく食べる愛美の鼻頭についた。挟んであるクリームなんかもはみ出て、口の端に付いている。愛美の小さな口だと食べづらいのだろう。それでも一生懸命に、そしておいしそうにドーナツを食べている愛美を眺めるのは楽しい。そんな光景を眺めていると、ふと愛美はこっちを見てきた。
「さっきからこっちばかり見てどうしたの? 一口、食べる?」
食い意地が張っているような顔にでも見えたのかな。砂糖やクリームを付けたままそんなことを聞いてくるのだから、愛美の方がよっぽど食い意地が張っている。
「べっつに。ただ白色の化粧を眺めているだけだよ」
ちょっと意地悪く返答をしてみた。愛美は一瞬キョトンとしてから、手鏡を取り出してそのお化粧の正体を確かめる。
「早くおしえてよ」
なんて言いながらあわててハンカチで顔を拭いている。そんな愛美を見て私はくすりと笑い、コーヒーカップに手をかける。やっぱりなんだかんだ愛美と一緒にいるのは楽しい。見ていても楽しいし、一緒にいるときの雰囲気はぽかぽかしていて安心する。自然とかまいたくなる。だが、ときよりみせるあの姿、何があそこまでさせるだろう。そんなことが頭を過った。顔を拭き終わった愛美は、むくれながらもまたおいしそうに食べ始める。私はコーヒーをのどに流した。
サークルや帰り道のことなど無かったように、愛美との会話はわちゃわちゃと弾んでいた。気づけば外は街灯や車のライトで満ちている。道行く人たちは寒さから逃げるように帰路を急いでいる。私たちも話が一段落したところで店を出た。駅まで歩いて、改札を抜け、それぞれの使うホームに向かって解散。いつも、私の「じゃあね」と愛美の「またね」を合図に、お互いに背を向けて歩き出す。今日もそう言って別れた。いつも通り、鞄から音楽プレイヤーを取り出しイヤホンを耳に付ける。ただ、今日は愛美のことが少し気になって、後ろを振り返って姿を探す。帰宅ラッシュの人混みの中を、避けるようにして歩く愛美の背中。蛍光灯に照らされる背の高い群衆の影に埋もれ歩く姿は、おびえる子鹿のようだ。ふらふらとした足取りだが、不思議と誰にぶつかることなく、するりと避けていく。やがて人波に消えていった。
愛美と別れてから小一時間。スーパーで夕飯の材料を買い、ようやっと家に帰ってこられたところだ。湯船を洗って、お湯を張っている間に料理を進める。今日のお夕飯は肉じゃがとおひたし。今日も両親は遅くまで仕事で、食事は外で別々に食べてくると連絡があった。早くに連絡をくれていたら、自分で作ることなんかしないで愛美と外で食べればよかったかな。そんなことを思いながらできた料理を食卓に並べ、TVをつける。特にお目当ての番組もないから、一通り番組を巡る。結局気になる番組はいつも通りない。愛美と話していた最近よく見るタレントが、今度はクイズ番組に出ていた。そんな話の種になるような情報だけ集めて、いつも通りニュースに切り換える。食事が終わればそのニュースもすぐに消す。明日も一限から授業だし、さっさとお風呂に入って寝なくてはならないので、早々に食器を洗ってしまう。お風呂に向かうが廊下も脱衣所も冷え切っている。もったいないけれど、浴室のシャワーは出しといて空気を暖めておく。長い髪を縛っているゴムをはずし、服を脱ぐ。するとお世辞にも大きいとは言えない胸があらわになる。胸の大きさとは反比例するかのように高い背。成長のほとんどが身長に持ってかれている。百七十センチを越えたあたりからだったか、このことは気にしないようにしてはいた。だがあまりにもひどい。これはひどい。成長の仕方に女性らしさがない。それでもしなやかな体と、ほどよい筋肉、引き締まった体つきのおかげで、運動には困ってない。そんな女がいてもいいよね。ため息をつきながら浴室の扉を開ける。湯気がモクモクと出てきて暖かい。いつも通り、髪を蒸らし、体を洗い、頭を洗う。タオルで髪を巻いて浴槽につかる。
「女の子らしいかぁ」
つぶやいてみてもわからない。私にはとことん縁のない話だ。愛美なんかはいわゆる女の子の象徴なのだろうな。ふわふわの髪にクリッとした目、小柄な背丈だけど主張する体のライン。物静かだけど笑うときはスミレのようで、所作は丁寧だけど少し抜けている。私とは大違いだな。愛美と一緒にいたら、私は相対的にもっと女らしく見られないね。逆に私といる愛美は、相対的にもっと女の子らしく見られたりしているのかな。でもなんだろう。愛美は女の子らしいとかそういうものとも違う。なんていうのだろう。なんというのか。頭の中で数少ない知識の語群が渦潮のごとく暴れ回る。それでも手がかりになるようなものなんてありはしない。そんな最中、先輩の言葉がよみがえる。『つきあってんの?』その言葉はすっと思考の渦を霧散させ響く。その言葉を声に出してみる。浴室特有のエコーがかかり、頭の奥まで響く。それはとても複雑に見えて簡単そうだ。それでもよくわからない。次々に疑問が浮かぶばかりだ。つきあうってどういうことなのだろう。恋人ってなんなのだろう。男女ってなんだろう。好きってなんだろう。天井は湯気を集め、滴を落とした。
ぼーっと明日の支度をしている。お風呂をあがってから、今までずっとそんな感じだ。まとまりかけているような、そうでないような。何とも言えない思考が渦巻き、遠い先から光が見えたような気もする。愛美に会えばしっかりとわかるのかもしれない。今はとりあえず支度の終わった鞄をしまい、ベッドに横になる。静かな家の孤独な明かりを消して、眠りについた。
翌日のお昼。晴れ渡るさわやかな空とは対照に、悶々としながら講義室移動をしていた。そんななか視界の隅に愛美の姿が映った。中庭の枯れ木のもとで下を向いているようだ。少し胸の鼓動が高まった気がした。声をかけようと思ったとき、愛美の様子が少しおかしいことに気が付く。下を向くその顔には、見開かれた目、堅く結ばれた口元。華奢な手はワンピースの裾をぎゅっと握っている。ときより見るいつものあのポーズだ。あの姿を見るとどうしようもなく胸が締め付けられる。どうしてそんな悲しげな姿をしているのかと思ったとき、愛美の前に一人の男が立っていることに気がついた。身なりの整った好青年といった雰囲気。イケメンというわけではなく、中の中。ただ性格はいいのではないかと思われる。今の愛美を前にして、どうしたらいいのかとおどおどしている。その表情から優しさが読みとれる。愛美をいじめているわけではなさそうだ。おそらく勇気を出して告白してみたけれど、愛美のあの反応に困っている、と言ったところだろう。ひとまずどうにかしなくてはと、私は急いで駆け寄る。
「やっほー、愛美じゃん」
なるべく明るく、あっけらかんと呼びかける。そして、今気づいたかのように好青年の方を見てつぶやいてみる。
「あっ、取り込み中……だったかな?」
好青年はビクッとこっちを見てから、
「あ、いえ、その……ま、愛美さん、ごっごめんね」
と言い後ずさりをする。しかし、まだこの場から立ち去っていいものかと、決めあぐねているようだ。私は好青年に視線を合わせ、うなずいてみせた。ここは任せな、という意図が通じたのか、好青年はコクコクうなずいてから走り去っていった。
愛美の方を見ると、未だにうつむいている。なんて声をかければいいのかわからない。沈黙が数秒ほど居座ったそのとき、するりと私たちの間を風が駆け抜けていった。ひどく冷たく、心臓を凍らせ奪い去っていってしまうような風。葉のない枝の影が怪しげに愛美の上で揺らめいた。
「安心して」
そう私は無意識につぶやいていた。気づくと私は愛美を抱き寄せていた。昨日の駅で感じたように、愛美がどこかに消えていってしまうのではないかと思ったのだろう。愛美は先ほどまでと同じポーズのまま、私の胸の中で嗚咽を漏らしている。なにが愛美をここまで追いつめているのかは、やはりわからない。ただ、私は何がしたいのかはわかった。昨日の思考に決着が付いた気がする。背中をさするうちに愛美の呼吸が少しずつ整ってきた。
「落ち着いた?」
愛美は私の胸の中で微かにうなずいた。
「どこか座って話でもしようか」
そういって私は愛美の肩を抱くようにしてベンチへ向かった。同じ中庭にあるベンチに腰を下ろす。隣に座った愛美はちょこんと座り、下を向いている。これから私が言うことはとても愛美を傷つけることになるかもしれない。でも今気づいたこの気持ちを、等身大の思いを伝えたい。時間とともに薄れ去る、孤独な光にさせないために、私は口を開く。
「愛美はあの男子とつきあうの?」
愛美の方を見ず、ぽつりと聞いてみた。面を食らったのか、少しビクッと体を震わせた後、首を横に動かした。
「そっかぁ。良い人そうに見えたけどな。なにがあんなにいやだったの?」
この質問には答えてくれない。いつも通り沈黙を通すつもりらしい。いつものあのポージングのままだ。いつもなら明るく努めて無理矢理連れ回すところだが、今は違う。エゴでも何でも良い、そのまま話を続けたい。
「わたしさ、愛美のこと好きだよ。好きってのがどんなものかはっきり分かる訳じゃないけどさ。ただ愛美と一緒にいると楽しいし、これからも一緒にいたい」
卑怯とも言える唐突な告白に、愛美はまた体を震わせた。
「今までみたいなのも良いけど、愛美が誰かと付き合ってるってのは見たくない。でもそれより、愛美が落ち込んでいる姿は見たくない。出来ればその悩みぐらい聞いてあげたい。私の勝手なわがままだけど、もう愛美とは今までみたいな関係より、もっと親密になりたいって思ったんだ」
中庭の向こうの枯れ木を見る視線の端で、愛美は小刻みに体を震わせている。不意に嗚咽が耳についた。隣を見ると愛美が泣いている。ワンピースを小さな手でぎゅっとつかんでいる。私はその小さな手に重ねるようにして自分の手をおいた。
「ごめん、私のせいだよね。嫌ならこの手を振り払ってもかまわない。弱っている愛美に対して一方的にまくし立てて。でも伝えたかったんだ」
すると、愛美は先ほどまでより大きな滴をこぼした。それは私の手の甲ではじける。その響きすら聞こえそうな静けさの中、かすれるような声がした。
「……ない……嫌じゃ……ない」
「えっ?」
予想していなかった答えに思わず声がでる。いや、予想とかではなく、全く叶うことがないだろうと展望していたことだ。愛美の口から、制御されていない声が漏れる。
「誰かとずっと一緒にいたいって思ってた。麗ちゃんとそうだったらどんなにいいだろうって、そう思ってた」
嗚咽混じりにぽつりぽつりと必死に言葉を紡いでいる。
「でも……」
そう言いよどむ愛美の膝の上では、握られた拳が強く強く力を込められ空しく震えている。私はもう一度、愛美ことを抱きしめた。私はここにいる、愛美の隣にいるのだと伝えるようにして抱きしめた。振り払わないのならば、と私は今まで踏みとどまってきた線を越えるように抱きしめた。私を頼ってもいいのだと伝えるようにして抱きしめた。すると、愛美の腕が私の背中の方にも回された。はじめは回されるだけだった腕に、力が込められていく。そのとき気づいてしまった。一緒にいたいと思ったのは愛美を思うだけじゃないのだと知った。誰かと一緒にいたい、認められたいと思っていたのは私だった。遠い昔に感じたことのある暖かさが、今、愛美が回す腕から全身に込み上げてくる。私は愛美の隣にいるのだと、居てもいいのだと思えた。一緒にいたいと思っていたのは愛美のためとかじゃない、エゴともいえる私自身のためだった。救おうとしていたが、救われたのは私のほうだった。先ほどまでの冷たい風は、愛美の嗚咽も、私の頬の滴もさらっていくような柔らかな風になっていた。
あれから数日がたった。今日もサークル活動をする。私は舞台の動きを確認していた。複雑な動きが多く、冬だというのに汗が垂れる。一通り確認が終わり、振り返るとそこには愛美がいた。タオルと飲み物を持っている。
「お疲れさま」
そういいタオルを渡してくる。
「裁縫は進んだ?」
この前から続けている衣装づくりの進捗を聞いた。
「さっき終わったところなの」
そう言っている愛美の髪には、よく見ると裁縫糸が付いている。その糸を取っていると、先輩の声が聞こえた。
「やっぱつきあってみえんね」
私は少しキョトンとしてから、愛美に笑顔を向けた。そこには季節を先取りするかのように、スミレの花が咲いていた。
最後まで目を通していただきありがとうございます。
予定では続きを一本考えています。
それでは失礼します。
※追記
続編『蝉の声に追いついた』を出しました。
http://ncode.syosetu.com/n4211ef/
これでひとまず完結です。
よろしければどうぞ。