08
遅まきながらあけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。
「リアルの話、訊いていい?」
フリムがそういった時、クヴァシールは助かった、と心の中で独り言ちた。向かいに座った彼女と交わす話題を、クヴァシールはリアル以外に見いだせなかった。それは、フリムも同じなのかもしれないが。
「……答えられる限りならね」
「そんなに大それたことは訊かないよ」
私とクヴァシールくんはそんなに仲が良いわけでもないしね。フリムはそう続けた。
「それほど話せることがあるとも思えないけどね」
「ううん、私今年転入したからまだまたみんなのこと知らないからね。クヴァシールくんのことももっと知りたいし、いつももっと話してみたいと思ってるんだよ?誰かさんがいつも寝てるからできないけど」
どこの誰のことだろうね、フリムが言った時には、クヴァシールの視線は明後日の方角を向いていた。
「…………さあ、誰なんだろうね」
「だれだろうね。まあそれは措いておいて。クヴァシールくんってなんでいつも寝てるの?」
「眠いから」
即答だった。間髪入れない一言。クヴァシールにとって、学校で寝るという行為にまったく抵抗はなかったし、就寝する理由も眠いから、それ以上でもそれ以下でもない。
「ええ……、夜は寝てないの?」
「まあ、そうだね」
「何してるの?まさか、ゲーム?」
「その、まさか、にどんな意味があるのかわかんないけど、ゲームではないかな」
一応ね、クヴァシールは内心でそう付け足した。広義にはゲームといっても過言ではないのかもしれないが。クヴァシールの中では、《スヴァルトヘイム》とそのほかは明確に区別されていた。
「そういうフリムこそ休みとか何してるの?」
クヴァシールはフリムの質問に押し切られる前に反撃に転じることにする。フリムはその質問に少しの間考える素振りをむせ、
「んー、弟と遊んでることが多いかな」
「弟君?フリム弟いるんだ」
「うん……なかなか遊んであげたりできないからね」
「僕らも学校とかあるからね」
「…………うん、そうだね」
いまのわずかな間は何だったのだろうか。クヴァシールは気になったものの、そこまであからさまなものでもなかったので何も言わなかった。
「クヴァシールくんは兄弟とかいないの?」
「僕はいないよ。今も一人暮らしだしね」
その言葉に、フリムは目を見開いた。《ヴァルナオンライン》の感情表現プログラムは優秀だと今なお言われているが、フリムの表情の変化はそれをよく表していた。
「一人暮らしなの?親御さんとかは?」
「ん?ああ、もういないんだ」
フリムは先ほどと同じように目を見開いたが、そこに込められた意味は先ほどとは全く違った。それと同時に、すでに親がいないと言ったクヴァシールの声が、何でもないことのように平坦だったことにフリムの表情は陰っていく。
「…………あ、ごめん」
フリムの表情に、久しくこういった話題を人としていなかったクヴァシールは、フリムの表情のワケを察するに少々の時間を要した。
「気にしないで。僕も少し配慮がなかったね」
咄嗟に出た言葉は、クヴァシールにもよく意味の分からないものだった。
「ほかの人に話したことないからね。多分、クラスのみんなも知らないんじゃないかな」
「普段の生活とかって、どうしてるのか訊いても良い?」
「普段の生活?」
クヴァシールに、全く気負った様子がないことからなんとか持ち直したフリムは、それでも気になったことを訊かざるを得なかった。なぜなら、現状の会話の糸口がそれしかないからだ。
「ほら、家事とか、お金とか」
「ああ、そういうこと」
クヴァシールは得心がいったとばかりにうなずいた。彼にとっては一人での生活が当たり前の日常であり、ほかのいわゆる一般家庭との違いについて考えることはとうの昔にやめていた。何の生産性ももたらさない思考だからだ。
「家事とかは自分でやるよ。やってもらったらお金かかるしね」
「すごいね……」
「そうでもないよ」
そうでもない。やらなかったらやらなかったで、困るのはクヴァシール自身であるし、逆に言えば、家事なんか習慣化してしまえば苦にならない。もちろん、一回でもさぼればすぐに独身男性の一人暮らしの典型例が出来上がるのだが。
「一応、バイトっぽいこともしてるし、学校は奨学金があるしね」
私立の学校ではあるものの、身寄りのないことを証明することができれば、授業料やそのほかの学校でかかる費用というのは実際かなり安くなる。奨学金も、返済の義務のない給付型を受けることができるし、クヴァシールは金銭面で苦労した経験はそれほどなかった。特に、今のエンタイア・エンターテインメントで働き始めてからは、全くと言っていいほど困っていなかった。
「バイトしてるの?でも、成績良いんだよね?」
「え?そんなこと喋ったっけ?」
「ううん、みんなが言ってるのを聞いたことがあるっていうだけだけど」
「ああ……」
おそらくはあまり良い話ではないのかもしれないとクヴァシールは思った。フリムの表情もどこか苦し気な感じにクヴァシールは見えた。
「どうせあれでしょ、いつも寝てるくせに点数だけは良い、みたいな」
「……うん、まあそうなんだけど」
「そんなに成績もよくはないよ」
せいぜいが定期テストで学年の一桁順位をとれるくらいだ。そもそも、中学高校の勉強というのはいかに効率よく覚えるか、というところでしかないのだから特段、塾に行ったりなんてことをする必要性もない。
「クヴァシールくんは進学とかするの?」
なんとなく、フリムは訊いた。私立櫛花学園高校は、都会の私立高校らしくそれなりの規模を誇る。生徒数も多いし、当然多様な生徒が在籍している。スポーツ特待生はもちろん、学業成績で特待生となっている生徒もいる。そう考えると、学年で一桁順位をコンスタントにたたき出すクヴァシールは進学するものだとフリムの考えが帰着していくのも、当然と言えるのかもしれない。だが、クヴァシールは笑って首を横に振った。
「進学なんてしないよ、たぶん」
「え?だって、頭いいんでしょ?」
ノータイムリアクションで、脊髄反射的に言葉を返したフリムだったが、それでもその言葉の勢い以上に驚きを抱いた。
「いや、別に特別勉強しているわけじゃないし。そもそも、やりたいこともないしね」
「大学行ってから決めればいいんじゃないかな」
よく耳にするフレーズだ。やりたいことを見つけよう、みたいな。ただ、クヴァシールはそれでも大学進学とは言わなかった。
「フリムこそどうなの?」
「……私、ね」
フリムはためらうような、それでいて話しをしたいような、クヴァシールにはどちらともつかない表情を見せた。その表情にクヴァシールは臍を噛んだような気分になった。地雷だったかもしれない。
「進学、したいかなぁ」
なぜに願望表現?クヴァシールは訊けなかった。そこまで踏み込んでいいのか、フリムの表情からは読み取れなかったからだ。クヴァシールには、必要最低限度のコミュニケーション能力しか備わっていないのだ。
「あ、もう着くね」
クヴァシールがもどかしいような、煩悶としたような気分を抱えたまま、フリムの明るい声がその心のうわべを凪いだ。