出逢い。
あれから何年たったろう。小学生だった僕は、七年の時を経て大学生になった。
これから新しい生活が始まる。
A大学の入学式は先ほど終了した。
高校のではみんなが同じ制服を着ていたけれど、大学のそれはいろんな制服の人がごった返していて、その風景はこれから大学生活が始まるのだという自覚を僕に運んできた。
家と大学ではかなり離れているが、学生寮で下宿するから問題ない、とはいえ寮が隣接しているわけではないので、僕は今、徒歩を強いられている。
帰宅途中だ。
山に沿った道を歩いていると、どこか懐かしく感じる。この土地は僕が小学5、6年の時に引っ越した土地に他ならない。
この道は馴染みの道ではないけど、夏祭りや、秋祭りに行く時にはよく通ったな。
思いを馳せながら歩いていると、今時見かけることも少なくなったセーラー服を着た女の子が、周りをキョロキョロと見回しているところに遭遇した。
背中のあたりで結われている綺麗な黒髪は淑やかさを主張しているものの、まだまだ子どもっぽい印象を受ける。そして彼女のぱっちりと開かれた、────金色の目には明るい性格を想起させられた。
道に迷っているのか?
最初はそう思ったが、いや、でもと考え直す。
背丈から見てもう中学生だろうし、まさか迷子なんてありえないよな。
僕とその子がすれ違った、後。
「あ、あの!道を教えてください!」
〇〇〇
どうやら彼女は本当に迷子だったらしい。
彼女は頑としてそのことを認めようとはしなかったが、曰く、私は道に迷ったのであって決して迷子ではないと言っているあたり、迷子という響きが嫌なようだった。
『迷子』は『道に迷う』のとおんなじだと思うのだが。
「私、豆腐屋に行きたいんですけど……知ってますか?」
「ああ、豆腐屋ね。それならここに来るまでに見たよ」
豆腐屋なら、A大学から帰る途中に見たと思う。
「A大学って知ってるかな?僕はそこから歩いて来たんだけど……」
「え、えーだいがく……?」
僕は道案内することにした。
彼女は申し訳なさそうに遠慮するばかりだったが、1人で行ける?って聞いたら黙ってしまったので、連行決定。
その後も申し訳なさそうにしていたので、僕がフォローを入れると簡単に開き直った。
こういう質なのかもしれない。
それから彼女は右隣りをてくてくと歩いていた。無言の行進に若干の気まずさを僕は感じているのだが、彼女にそのそぶりはない。何でもない道をキョロキョロと見回しているところは出会ったときと同じだが、今は少し楽しそうに見える。
僕はこの様子が気になった。
「……楽しい?」
「楽しいですよ!いえ、楽しいというよりは面白いと言うべきでしょうか!!」
彼女はズイッと顔を寄せてきた。それに伴って一歩引きさがる僕。
急に寄せられた顔にドキッとする。
それからこの道がどれくらい面白いものかということを語り始めた。
「歩けば下にはコツコツと硬い地面の感触!お金と引き換えに飲み物が出てくる箱!どれも私が住む付近とは全然違います!」
「お、おう……」
彼女は目を輝かせて、コンクリートの地面を踏み鳴らしたり、自動販売機を指で差し示したりしてしっかりと説明してくれた。
……お金と引き換えに飲み物が出てくる箱て。
いったいどんな所に住んでいたのだろうか。
でもって、最近引っ越してきたのだろうか。
変わった子だと思った。
「それで、私はもっと外の世界を見てみたいなぁ~って思ってるんですよね!」
「それじゃあ親元を離れて寮生活なんかに憧れたりするの?」
「いいですね~寮生活!」
会話は道のおもしろさから親元を離れての生活といった話題に及んでいった。
そんなことを話している間に僕らは目的の豆腐屋さんに到着した。
『望村豆腐店』と書かれた店内へ、スライド式ドアを開けて入る。木棚や机が壁際に、スーパーなどでよくおいてある上が開けた冷蔵ケースが真ん中に置いてある。店内のには豆腐はもちろんのこと、その加工品もたくさんあった。
「ああー!油揚げだ!」
彼女はそれを見つけるや否や歓喜の声をあげた。
油揚げが目的だったのか。
彼女が天に油揚げを掲げている。
この喜びよう、迷子の末にようやく手に出来るからこそだろう。
「ああ〜いらっしゃい!ちゃんと店番できなくてごめんなさいね〜」
彼女の声を聞きつけたのか、奥から人の良さそうなおばさんが出てきた。
「あの、それじゃあこれください!」
彼女は迷いなく油揚げの入った袋四つと小銭をカウンターに置いた。
だがしかし、……全部合わせても87円ほどしかない。
袋詰め油揚げの値段は一つ120円。
四つどころか、一つ買うこともままならない。
カウンターに立つおばさんの顔は戸惑いにまみれていた。
まさか金銭計算ができないだなんて思ってもみなかっただろう。
だが、そんな驚きもつゆ知らず、満足気な表情で待っているのが彼女だ。
……別に、かっこつけたかったわけじゃあないけれど。
僕はどうしてか、あまり多くはない小遣いの一部をカウンターに出していた。
「これで、お願いします」
「えっ?」
彼女は驚きの声をあげた。
おばさんも驚いているようだったけど、気を取り直して油揚げをビニール袋に入れ、手渡してくれた。
〇〇〇
「あ、あの、ありがとうございます。お金、足りなかったんですよね……?」
店を出ると彼女は顔を赤らめて言った。
自分でもよくわからないうちにお金を出していたので少し戸惑ったが、感謝されることに嬉しさを感じながら、僕は彼女の金色の瞳をみつめていた。
何がキッカケだったかわからない。
唐突にも僕の脳裏で彼女の瞳は、あの日誘拐されてしまった、あの子の瞳と、重なっていたのだ。
たくさんの過去が頭の中を駆け巡った。
出会った日のことが、かごめの輪に迎え入れたときのことが、楽しそうに笑ってくれたことが、もう一緒にいられないと告げられた日のことが、公園で和解できたことが、その後彼女が攫われてしまったことが────そして自分が、何も出来ずに無力に溺れたことが。
頭の底から思い出された。
意識はその瞳に、完全に奪われ、知らず知らずのうちに僕はずっと彼女をみつめ続けていた。
「……………………」
「あ、あのー」
「………………………………」
「なんでしょうか……?」
「……え?あ、ああ、なんでもないよ」
声をかけられてはっとする。今目の前にいる彼女は、あの子と別人なのは間違いないのだ。
彼女の髪色は黒だが、一方であの子の髪色は────頭巾で隠していたから全貌を見たことがないけども────金髪だったのだから。
「帰りは大丈夫?」
気を取り直して僕が問いかけると、もう大丈夫と彼女は言った。
帰り際、彼女は僕の名前を聞いてきた。僕が自分の名前を名乗ると、満足げな顔をした彼女も名乗った。
月宮月音。
彼女の名前だ。
僕の目はなぜか、油揚げの入った袋を大事そうに持ち帰る彼女の背中を見送っていた。