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狐の嫁入り  作者: 月花
灯の過去
2/19

過去その2

 あの別れから、僕の学校生活は大きく変わった。

 心の中にひどいしこりができてしまったようで、何かをしようとしても全く集中できない。

 今でこそ、しこりが罪悪感によるものだったのだとわかっているけれど、あの頃は何なのかがわからなくて、とても気持ちが悪かった。



「────────!」



 校庭からみんなのはしゃぐ声が聞こえる。昼休みでも遊ぶ気にはなれなかったあの頃の僕は、校庭の片隅によく座っていた。

 僕の通っていた学校は田舎にあり、生徒数が少ない。もし、彼女がここに通っているなら、一度は顔を合わせたことがあるはずなのだが、会ったことがなかった。それは彼女がこの学校に通っていないことを端的に表しているのだが、そう理解していても、僕は校庭に彼女の姿を探してしまっていた。

 雲一つ無い青空の下で、サッカーをする、一緒によく遊ぶいつものメンバー。ブランコで駄弁るクラスメイト女子三人。けいどろ(警察と泥棒)をする男女混合の集団。どこにも彼女はいない。



「灯、みんなとサッカーしないの?」



 ふと、幼馴染みの亜紀が声をかけてきた。いつもは髪を両脇に束ねているのだか、この時は珍しく、下ろしていた。



「ちょっと遊ぶ気になれなくてさ」


「ふーん⋯⋯」



 亜紀は隣に座り、僕がしていたように校庭の方を見た。



「⋯⋯まだ、あの子のこと気にしてんの?」



 ぼそりと亜紀が言う。亜紀も公園で遊ぶ面子の一人だったから、彼女を知っている。



「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯そっか」



 僕はぼんやりして返事をすることができなかった。

 しばらく亜紀は僕の隣に座って居たが、別れ際に、あまり思い詰めることがないよう僕に言った。

 心配されていることがひしひしと伝わってきた。けど、そんなこと、できなかったのは言うまでもないだろう。

 毎日を呆然と、無為に過ごすのが僕の日常になっていたのだ。


 その日から、僕の校庭を眺める日課に彼女が加わった。






 ある日、家に帰った時、夜遅くまで仕事をしているはずの父の靴が玄関に並んでいた。

 案の定リビングに入ると父さんはもう帰ってきていて、家族で囲むテーブルの椅子に、母さんはその隣に座っていた。

 何かあったのだろうかと、そう思った。テストで悪い点を取った覚えはないし、何か悪いことやった記憶もなかった。



「灯、こっちに座りなさい」



 いつになく有無を言わせぬ父の声に、僕は従った。

 次の瞬間、耳を打ったのはここから遠い土地へと引っ越すという、母からの言葉。

 頭の中が真っ白になった。



「まあ、なんだ。今度、父さん仕事で転勤することが決まってしまってなあ。急な話で悪いが、あと一週間で荷物をまとめて、ここを出なくちゃならないんだ」


「黙っていてごめんなさいね。灯も学校のみんなと一緒に小学校を卒業したいと思っているって考えると、どうしても言い出せなくて…………」



 僕は愕然とした。

 これまで共に過ごした友達と離れ離れになってしまうのは本当に嫌だったけど、でも、あの時はそれ以上に、言いようのない不安感に僕は包み込まれた。

 今まで感じていた気持ち悪さに加えて、焦りと切なさが加わったような、そんな感覚だ。

 僕はリビングを後に、自室のベットへ仰向けに倒れ込んだ。頭は飽和状態だった。

 親たちは僕を気遣っているのか、来なかった。



 引っ越しすると明かされてからの日々もそれまでとさして変わることなく過ぎていった。

 変わったところと言えば、亜紀に連れられて、公園に通うようになったことぐらいだ。ただ、変わったのはそれだけだった。


 だけど、時は無情にも過ぎていく。荷造りをする僕には何かが積もりに積もった。

 明日の夕方には、家を出ることになっていた。





 沈んでいた太陽が山から顔を出す。

 朝ご飯の時間、父さんと母さんはいつものように家を先に出ていた。

 一人で囲む食卓。ふと、山のように積まれた段ボールが目に入り、箸が止まる。



 『今日の夕方には家を出るんだ⋯⋯引っ越してしまえばもう、誰にも会えない』



 『誰にも⋯⋯⋯』



 ─────



 僕は、家を飛び出していた。

 どうして気づかなかったのだろう!と思ったね。彼女に謝りたかったのだと、あんな心残りな別れ方をしたままだなんて絶対に嫌だってことに、僕はようやくそこで気づいたんだ。


 公園に行った。彼女はいなかった。近所の道を手当たり次第に走り回った。会えない。

 長い間走り続けたせいでシャツはびしょびしょに濡れてしまった。疲労に足は震え始めた。

 太陽はもう沈み始めていた。無謀だっただろうか。動機がする心臓を切なさで締め付けられながら、公園の側を通りかかった。


 そのとき────


 僕は見慣れた白い頭巾を被った女の子が、ベンチに座っているのを見た。

 言葉より先に、足は動いていた。

 足音に気づいたのか、こっちを向いた金色の瞳は大きく見開かれた。でも、それは一瞬のことで、次の瞬間にはもう、複雑な感情を宿した顔に戻っていた。

 だけど、僕は構わず謝った。



「この前は、本当にごめん!勝手に遊びに入れちゃったのに、馬鹿みたいなこと言って⋯⋯!」


「ううん⋯⋯!あの時のことはもういいよ!私だって本当は来ちゃいけなかったのに⋯⋯。私の方こそごめんね。いきなりあんなこと言ったりして⋯⋯」



 彼女は立ち上がり、僕のそばまで駆け寄った。また、こうして言葉を交わせることが僕にはとても尊いように感じられた。

 ブランコに座って最近のことを話し合う。なんでもない会話だったけど、不思議と心にできたしこりは癒えていったように思う。

 幸せな時間に永遠を望んだけれど、いつまでも何気ないことを話しているわけにはいかない。



「実は、僕、夕方には引っ越しすんだ」


「えっ⋯⋯?」


「今日は、その、⋯⋯お別れを言いたくて⋯⋯」



 彼女の顔に困惑の色が表れる。



「そう、なんだ⋯⋯」



 僕は彼女にいったい何を思わせてしまっているのだろう?

 僕は気まずい空気を換えようとした。



「ご、ごめん。久しぶりなのにこんなこと言って。でも、あのままさよならするなんて、絶対嫌だったからさ。きっとずっと後悔してしまうと思って⋯⋯」



 何を思ったのか、彼女が小さく微笑んだ。純粋で、混じりっけのない笑顔。僕が大好きな彼女の笑みだった。

 そんな笑顔に僕も小さく笑った。



「どうして笑うんだよ」


「だって、あなたらしいなって、思ったから」


「僕らしさ、か」



 空は真っ赤な夕焼けだ。遠くには鳥の群れが、どこかへ向かって小さくなっていく。



「そういえば、今更なんだけど、名前⋯⋯なんていうの?」


「私そんな重大なこと言い忘れてた!?私の名前はね⋯⋯」



 彼女が口にしようとした時だった。背後の草むらから三人の大人が現れたのは。頭の先から足の先まで、真っ黒な布で覆われていて、目元だけを顕にしていた。

 ぶっちゃけ、不審者にしか見えなかった。



「ようやく見つけましたぞ?姫君よ」



 男なのだろう、低い声は、感情を感じさせない、不気味な声だった。



「しりあい、なの?」



 見知ったような口を聞いてきたそれと、面識があるのかと思い、隣に質問を投げかけたが、彼女は無言でゆっくりと首を左右に振った。瞳には恐れが映っていた。


 ────逃げないと────


 僕は彼女の手を取って走り出した。刹那、彼らも走り出したに違いない。後ろから土を蹴る音が迫ってくる。

 必死になって出口に向かう。助けを読んだが住宅地は静寂を貫くばかりだった。出し切ったはずの水分が、背中を伝う冷や汗となって外へ出ていく。本能が危機と叫んでいる証拠だと、思った。


 あと数歩で、公園を出られるという時、

 自分の左手から指が離れていく感覚が、手の皮膚から脳へ伝わった。

 所詮自分は小学生だ。どれだけ必死に走ろうとも、大人から逃げ切れるはずがなかった。



「やめて!離して!」


「離せ!このっ⋯⋯⋯」



 僕は彼女を捕らえた黒服に食って掛かったけれど、それは空しくもほかの黒服に羽交い絞めにされ、彼女は連れていかれる。



「この⋯⋯!くらえっ!」


「っうぁ⋯⋯!」



 反動をつけて放った後ろ蹴りが膝にヒットし、大人が地面に崩れたそのすきに、彼女を助けに向かった。

 でも、それでも、僕は無力だった。

 相手は三人だ。



「っ!くそ⋯⋯!」



 僕は最後のもう一人に地面と対面させられる。


 前に視線を移すと、担がれた彼女が見えた。

 やっと会うことができたのに────

 彼女の名前すら知らないままにまた、離れ離れになってしまうのか────?



「君の、名前は────!?」


「私は………!」



 とっさのうちに口から出た言葉、その返答は僕の耳に届くことはなかった。

 突如、首筋へ来た鈍い痛みと同時に、視界は真っ暗に消されたからだ。





 ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯。






 気が付くと、目の前には母さんがいた。



「もう、どこに行ってたの!?心配したんだから⋯⋯!」



 僕は気絶していたのかもしれない。あたりを見回すと、彼女も黒服の姿もなかった。代わりに僕の周りには父さんと先生がいた。


 僕は父さんや母さんに言って、警察に彼女を探してもらおうとした。

 ⋯⋯それなのに、彼らは全く取り合ってくれなかった。

 当たり前といえば、当たり前だ。

 だって、僕は彼女のことを何にも知らないのだから。どこに住んでいるのかも、どんな風に育ったのかも、⋯⋯名前すら、知らないのだ。


 やっと会うことができたのに⋯⋯あのまま別れるのが嫌だったからこんなに頑張ったのに。それなのに、こんな、取り返しのつかないことになってしまった。

 彼女は生きているだろうか。


 大切だと思っていた人との非情な終わりを背中に背負って、僕は今日を生きている。

 治りかけたしこりも、まだ、ここにある。



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