気になるあの人の行方5
〜あらすじ〜
服装を万引きしたと誤解された灯と月音はなんとか、追っ手の女性店員から逃げ切ることに成功していた。
「いやあ、僕も焦ってたから。内心この方法でうまくいくかわからなくてどきどきしたよ」
僕たちは冤罪を被せられずに済んでいた。
〇〇〇 回想開始 〇〇〇
間一髪で、女性店員からエレベーターへと逃げ込んだ僕と月音さん。時を遡って説明するなら、それくらいがちょうどいいだろう。
「「ふぅ……」」
僕と月音さんは二人一緒に胸を撫でおろしていた。
エレベーターに乗ったことで、ようやく店員さんから逃げ切れたと、思っていたからだ。
けれど、二階から三階へ上昇して、ちょうど中間あたりーーー二.五階付近に到達したあたりで、衝撃の事実を僕は彼女に突きつけられる。
「と、灯、さん…………」
途切れ途切れに僕を呼ぶ彼女の顔色は悪かった。逃げ切れたであろうに、どうしてそんな顔をしているのか、わからなかった。
「どうしたの? 気分悪くなっちゃった?」
だから、店員さんに疑われたのと、走り回ったのが影響して、体調を崩したのだと思った僕はそう問いかける。
なかなか答えない月音さんの体調はかなりひどいものじゃないのか。ますます心配になってきたところで、彼女は恐るべき事実を伝えた。
「い、今、『もう走りたくないよ〜』って、聞こえませんでした?」
そう、微かに聞こえたと。
彼女は顔面蒼白で主張した。
今の月音さんの姿は人型ではある。しかし、彼女は狐だ。
記憶は定かではないけど、小さい頃、人より聴覚が優れている犬より、狐は耳が良い、と図鑑で見た覚えがある。
僕にはまるっきり聞こえなかったその声が、月音さんに聞こえていても、なんらおかしくない。
そして、注目すべきはその内容だ。
『もう』、だって? まるで走り回った人が言うような台詞じゃないか!
「そんな……。まだ追ってきてるってこと?」
「そうみたいです……。足音が、階段の方から聞こえてきてます」
上昇する個室が与えてくる浮遊感は、僕を不安にした。
でも、希望が潰えたかのような表情をする月音さんを見て、僕が打ちひしがれている場合ではないとも思った。
(このままじゃいけない! なんとか二人で乗り切るんだ!)
「月音さん! 変化だ! 変化を使おう!」
「で、でも、私が変化しても灯さんが……!」
「大丈夫! 月音さんが変装服になって、僕が変装すれば良いんだ!」
変化と変装の組み合わせで、この場を乗り切ろうと提案する。
この時はまだ、月音さんが人にしか変化しているのを見たことがなかったから、服や眼鏡などの物に変化できるのかは分からなかった。
けれど、そんなこと言ってられない。エレベーターは極めて正常に運転している。いずれ四階で停止し、その出入り口を開くのだ。
僕は月音さんに迫った。
「そ、それじゃあその、失礼しますね?」
今だからわかることだけど、彼女は物質も体の一部として変化させられる。生き物は無理みたいだけど……。変化させるためには、物体に多くの面で触れていなければならないらしいのだ。
「えっ、ど、どどど、どうしたのっ!? こんなことしてる場合じゃあ!」
そのことを知らなかった僕は、ピタリと抱きついてきた月音さんにたじろぐしかなかった。
「いきます」
耳を胸に密着させている彼女の表情は角度の問題で見れない。
けれど、真剣な響きから窺い知れたのは、これが冗談ではないということだった。
「うわっ!?」
月音さんの足元から白煙が爆発的に発生し、僕は一瞬で包まれた。即座に煙が霧散する。のち、エレベーター内の鏡に写った自分の姿に目を向ければ。
僕の服装はーーー
まるっきり女性のものになっていた。
お願いしておいてなんだけど、実際に服装も、髪の毛も一瞬で変わっているのを目にすると、目を見開かざるを得ない。
変わったところを頭から順に述べていくと、髪の毛は黒のショートヘアに、首の周りには新しくマフラーが、上着は白のセーターに黒のカーディガンを重ね着した感じに。ズボンは黒のロングスカートになっていた。
自分の姿に呆気にとられていると、エレベーターがピンポンと鳴る。
大急ぎで、普段通りを自分に呼びかけ、出入り口の方を向いた。
そして、扉は開かれる。
『僕たち』を見た女性店員は呆然と固まった。
どうやら信じられない光景に思考が停止してしまったらしい。いるはずの人が消えたことに、彼女は驚きが隠せていない。この様子だと気づかれていないようだ。
けれども、うかうかとはしていられない。僕たちを捕まえようとしている人は変わらず目の前にいるのだ。
呆気にとられている店員さんも、時間が経てば変装前の僕と、変装状態の僕との共通点に気づくかもしれない。だから、ここからは早々(はやばや)と立ち去ったほうがいい。
『僕と月音さん』は、一緒にエレベーターを出る。
緊迫した空気の中、何食わぬ顔で女性っぽく歩いた。
(僕は女、僕は女だーーー)
自己暗示を重ねて、女らしさに磨きをかける。
一歩二歩と足を前に出し、店員さんとの距離をどんどんつけた。
しかし、後ろから声はかけられる。
「すみません! ちょっと! そこの方!」
「……っ!」
(やばい……! バレたのか……!?)
背中へかけられた声に、ぎこちなく首を回した。焦りに笑顔を無理やり貼り付けて、駆け寄ってきた彼女に微笑みかける。
「なんでしょうか……?」
男性が、無理やり女性の真似をしたみたいな声が出た。
仕方ないことだ。だって僕はもう声変わりなんてとっくの前に迎えているんだから。
(まずい……! 無言で振り返ればよかった!)
ともすれば、確証を与えてしまいかねない声音が、後悔を引き寄せる。が、どれだけ思い詰めてももう遅かった。
彼女の真顔が怖い。
(かみさまぁ! お願いです。助けてください……!)
胸中で、気づかれていないことを願う。
店員さんは神妙な顔つきで口火を切った。
「あの、エレベーターの中に誰も他にはいませんでしたか?」
「ふぅ……」
張り詰めた肺から空気が抜けた。どうやら、バレていないらしい。
よかった……!
「あの……?」
「あ、ああ! 誰もいませんでしたわよ?」
安堵するのはまだ早かった。店員さんの真面目な顔が訝しげなものに変わったのを見て、慌てて答えを返す。と、
「そう、ですか……」
彼女は、それこそ狐につままれたように、眉根にしわを寄せた。
そのまま、おざなりに感謝を伝えると、彼女は独り言を呟きながら、エレベーターを使って下に降りていった。
(な、なんとか助かった……)
〇〇〇 回想終了 〇〇〇
と、まあ、こんな感じで僕と月音さんは助かったのだ。
『「ふぅ……」』
今度こそ冤罪から免れたのだと、僕は胸をなで下ろす。同時に、自分のものではない吐息が聞こえたことに疑問を覚えた。
「あれ? 月音さんこの状態でも話せるの?」
『一応ですけど、こんな感じで、声は届けられますよ?』
彼女の声ははっきりと耳に届いてくる。僕が感嘆すると、月音さんは少し自慢げにふふんと鼻を鳴らした。
『変化できるのはごく一部の狐だけなんです。特に自由自在に変化できるのは、そのなかからさらに絞られます! 私は、そうした中の一匹なんですよ』
得意げに語る彼女の声音は誇らしげだ。きっと、いつもの姿だったなら、腰に手を当て、胸を張っていることだろう。頭の中でぼんやりと光景が浮かんだ。
「ほんとうにすごいよね。変化って……」
『そう思いますか? えへへ……』
状況が状況で、変化の凄さを感じる余裕がなかったけれど、改めて考えてみると、とんでもないことだ。
どういう原理なのかは気になるところだけど、聞くのは野暮だろう。
たぶん、そういうものなのだ。変化している時も重さとか体積とか、色々無視してるし。
ともあれ、助かった喜びを分かち合いたいと思った僕は、月音さんに感謝を告げた。すると、それが場違いだったのか、彼女は『えっ?』と疑問符を返す。
月音さんがいなかったら、助からなかっただろうから、と訳を説明する。そしたら、彼女は穏やかな響きで、
『でも、こうしていられるのは灯さんのおかげです。灯さんがこんな方法を思いつかなかったら、私たちは今頃捕まってますから』
と言ってくれる。
思いもよらない感謝を向けられて、心が温かくなった。
話をしながら、僕たちは、変化を解くために場所を移動した。
〇〇〇亜紀視点〇〇〇
疲労が足から滲んでいる。ここまで、必死に足を動かしたせいで、もう歩くのも辛い。
(みんな、足速すぎだよ)
自然と、胸にそんな思いが湧き上がった。
寒いと思って首に巻いていたマフラーが暑苦しく感じられる。幸運なのは手袋をまだ買っていなかったってことぐらい。
私はようやく、佐江さんのところまで追いついたのだった。
「あの、灯たちは助かりましたか?」
状況がわからず、事態の推移をずっと見守っていたと思われる佐江さんに、そう聞いてみる。
「月音様もあの男も無事です。私の手助けがなければ少し危なかったでしょうが……」
「よかった……!」
佐江さんがどうやって灯たちに手助けしたのかはわからないけれど、助かったと聞いた私はホッとする。
喜びで声が大きくなっていたらしく、佐江さんに注意された。曰く、今は灯たちとの距離が近いらしい。
(チャンスだ……!)
これまでの追跡では、灯と月音ちゃんの仕草の機微が見れなかった。それくらい離れていたからだ。
佐江さんに接近するのを禁止され続けていた分、ここでしっかりと、灯が月音ちゃんのことをどう思っているのか読み解いてやろう。
仕草から機微を知るために、息を潜めた私は彼らの姿を見るために壁から顔をだす。
そして。
私は見てしまった。ショートヘアの女性を。
(えっ……? 誰? なんで私たちはこの女の人を尾行してるの? 灯は? あの中学生の子は?)
同時に疑問が次々に溢れ出す。
網膜に映る女性は、灯にも月音ちゃんにも特徴が一致しない。あえて言うなら、身長が灯と同じくらいといったところだろうか。けれど、その他すべてが違うのだ。
髪型、服装、共に女性のものだ。灯に女装趣味はない。歩き方もどこか変だし、あんなのが灯のわけない。
断定するも、それじゃあどうして私たちは気取った歩き方をする女性の後をつけているのか、という問題が出てくる。
私がほうけた顔をしていたのか、ため息を吐いた佐江さんが意味ありげなことを言い出した。
「どうやら知らないようですね。わからないのであれば、そのままにしておきたいところなんですが……」
なんなんだろう。佐江さんはなにを知っていて、私はなにを知らないんだろう。おのずと好奇心が込み上げてくる。
一呼吸置いた佐江さんは、真剣な顔つきになって私を見据える。唇が空気を震わせ、意味のある言葉を紡ぎ出そうとする。
語られる、信じられないような真実を私は聞くことになるんだーーー
「あなたとは同盟を結んだ者同士ですから、教えてさしあげましょうか」
そう言うと、佐江さんは灯たちがデパートの外に出ていくのを見て、尾行を再開した。
灯の、あるいはあの女子中学生の秘密が明かされると思っていた私は、面食らう。
「えっ? 佐江さん!? 何を言おうとしてたんですか!?」
「静かに! まあ、ついてくればわかりますよ」
(そのまま言うのかと思った!)
お預けを食らった私は佐江さんの行く方向に足を進めた。