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ベニテングダケのステーキ、トリカブトソースがけ 

作者: 御山 良歩

た ん ぺ ん

「英雄には英霊となって帝国の礎となってもらおう」

 薄暗い部屋の中、蝋燭の明かりで照らされたワインが怪しき影を落とす。

 頭を白く染め、口元に髭を蓄えた初老の男―――セバスはうろんな目で、肥満気味の男―――ヴィクト伯爵を見ていた。

「はあ……左様ですか」

「今、帝国は繁栄の絶頂期にある。遥か昔から人類の敵として君臨し、自我を持った災厄と同意義であった【魔王】は討伐され、今や帝国の歩みを阻むものはない。そしてそれを成し遂げた英雄は今や時の人物だ」

「そうですな。街を歩けばうら若き娘に囲まれ、剣をとれば兵士に囲まれ、本をとれば知恵者達に囲まれる。旦那様と真逆ですなあ」

「そうそう、実にうらやま、ゴホンッ!……実にけしからん。皇帝陛下からも莫大な量の金貨を与えられ、平民でありながら異例の侯爵の爵位まで与えられ、皇女と関係まであると言われている」

「金は金でも借金の相談ばかり寄せられて、嫌がらせに伯爵まで下げられた旦那様とは大違いですな」

「本当にそうだ。今回の褒章だってどこからねんしゅ、ゴホンゴホンッ!……つまり今英雄は財力、権力、暴力、そのすべてを手中に収めているといっていい。だが、皇帝陛下は自身の娘を英雄に与えることをせず、現状維持をしたままだ。帝室に平民の血を入れることを嫌がったのだろうが、それはあまりにも愚かな考えだ」

「あ、今の録音してありますからね」

「うそっ!?ちょ、まじ?!」

「嘘です」

「オホンッ!」

 伯爵がわざとらしく大きな咳をすると、セバスは深々と頭を下げる。が口元の笑みは隠しきれていない。

 思わずぶん殴ってやろうかと思ったが、伯爵は歯を食いしばってそれに耐えた。ここでそれをやったら、後で絶対復讐される。

「……民衆の人気は英雄が独占。それに比べ昨今の帝室は効果的な政策を出せておらず支持も低迷している。このままでは英雄を神輿にして帝国を乗っ取ろうとする、いや英雄自体が帝国を乗っ取るかもしれん。英雄に政治力があるならまだしも、奴は聖剣を扱えるだけの戦士だ。剣と盾では、玉座は務まらん」

「まだ借金の返済もしてもらってませんからねえ」

「ま、まあそれもあるが帝室には恩がある。そのためにも英雄には今ここで死んでもらう。乱世においては望まれようとも、平穏たる今、英雄の存在はいらない」

「その恩も返済しきってる気がしますがねえ……それで、どうするのですか?暗殺者でも送り込みますか?」

「いや単に暗殺者を送るだけではただの悪手だ。人外の身体能力を持ち、影に潜る特殊技能を持つ魔王直轄の最強暗殺者集団【常闇】とて奴の前では赤子同然にあしらわれたらしい。この世界に奴ら以上の腕をもつ暗殺者はいない。というか、魔術も使えないのに聖剣一本だけで【魔王】倒した英雄に勝てる奴などおらんだろう」

「それではどうするので?」

「決まっているだろう?」

 にやにやと笑いながら、伯爵は懐から一つの瓶を取り出す。

 手のひらに収まる程度の真っ黒な瓶には、大きく白で髑髏が描かれていた。

「わざわざ正面から戦うなど愚か者のすること。毒に決まっておろう。それもこいつはただの毒ではない。龍ですら死に絶える猛毒『邪龍の息吹』だ。こいつを奴に盛ればいくら英雄であろうと生きてはおれまい」

「はあ……それでどうやって盛るのですか?」

「ふん、奴は今や帝都の貴族が催すパーティーに引っ張りだこだ。その時に飲み物にでも盛ってやれ」

「それで、誰にやらせるので?」

「帝都に暗殺者ギルドがあったはずだ。報酬は金貨200枚、前金100で成功報酬100で交渉して来い。それでは、私はそろそろマリーを可愛がってやる時間だ。後は任せたぞ」

 伯爵は邪悪な笑みを浮かべながら豊かな腹を揺らし、部屋から去っていった。

 日は既に沈んで夜中であるのに随分と元気なお方だと呆れながら、セバスは机の上に置かれた毒瓶を懐にしまう。

「ところで英雄も一応真正面から毒龍を何体か討伐してるらしいのですけど、毒なんて効くのですかねえ?」

 セバスの言葉は、伯爵に届くことはなかった。


 翌々日。


「ハフハフ…それで、どうなった?英雄の訃報はまだ届いておらんぞ?」

「どうも失敗したみたいですね。成功報酬を取りに来る気配もありませんし、英雄もピンピンしているようです」

「ちっ!」

 まな板のような大きなステーキを噛みちぎりながら、伯爵は舌打ちをする。

 決して安くはない金を渡してやったのだから、せめて何らかの成果ぐらいは残せよと思ったが英雄相手にそこまで求めるのは酷かと諦めることにした。

 年代物のワインを一気に飲み干し、どうやって英雄を殺そうかと考えていると騒々しい音をたて扉が勢いよく開いた。

「旦那様っ!」

「何事だ!私は今食事中だぞ!」

「し、失礼しました。しかし、緊急のご報告が……!」

「なんだ。言っておくが、私は食事と睡眠とマリーで遊ぶ時間を邪魔されるのが最も嫌いだ。くだらん用事であったら貴様の首を―――」

「―――マリー様が大変なことに……!」

 その瞬間、伯爵はその見た目から考えられないほどの機敏さで走り出した。

 扉を蹴り飛ばし、使用人の目を気にすることなく全力で走る。

「マリー…!マリー…!マリィィィイイイイイイイイイイイ!」

 目的の部屋にたどり着き扉を開けると、そこにいたのは変わり果てたマリーの姿であった。

 毛という毛が抜けきり、普段なら隠されているはずの肌色が無残にも曝け出されていた。

 そばで容体を見る医者を弾き飛ばす……ことはせずに冷静にその脇にしゃがむ。流石にやってはいけないことの判断ができないほど伯爵は理性を失ってはいなかった。

「おい!マリーはどうした!病気か!」

「病気ではありません。我々がその予兆を見過ごすはずが……」

 真っ青な顔で言い訳を繰り返す医者を無視し、伯爵はマリーの首筋に手を当てる。脈に変わりはなく、呼吸も正常。他の変化は爪に斑点ができていることだけ。一体何の病気かと焦ると、ふと下水道のような臭いが鼻についた。

 一瞬なんの匂いかわからなかったが、伯爵は直ぐに思い出す。嫌がるマリーを抑えてハンカチを喉元まで突っ込み、取り出したそれの匂いを嗅ぐ。嗅げば嗅ぐほど吐き気がしてくるあまりにも強烈な臭い。

 毛が抜けて、爪に斑点ができて特徴的な悪臭。それらのピースは直ぐに頭の中で結びついた。

「これは……『禿烏の毒涎』!」

 『禿烏の毒涎』。それは禿烏と呼ばれる鳥が獲物の捕食時に分泌する非常に臭く、強力な毒性を持った猛毒だ。生物を殺すような毒性はないが、その特徴から一時期は最終兵器として恐れられた最悪の毒である。その特徴とはすなわち……全身の毛が抜ける、というものだ。

 これのせいで、ある王国では玉座の間がとても輝かしくなったらしい。この話を聞いた時は皇帝すら震えあがり、今ではあらゆる国家において第一種禁制品となっている。

 思い出したその毒の特徴は、マリーの症状と完全に一致していた。

 つまりこれは病気ではなく毒、自然によるものでなく他者の犯行!

 誰がこの毒を盛ったのかと伯爵は辺りを見渡したところ、ふと背後から視線を感じた。

 振り返ると視線の先にいたのはフードをかぶった男。フードをかぶっているため顔の詳細はわからないが、フードの端からは特徴的な輝く黄金の髪の毛がはみ出ていた。

 フードの男は自身を見ていることに気が付いたのかにやりと笑い、大きく跳躍して塀を飛び越え、姿を消した。

 誰か?そう問う必要はなかった。

 王国に住む誰よりも輝く黄金の髪に、一般の者では手が出せぬ猛毒、極めつけは人間とは思えぬ身体能力。そうフードの男の正体とは―――英雄。

 伯爵の頭の中で、再びピースが合わさっていく。

 つまりこれは警告なのだろう。自分が英雄に毒を盛ろうとしたから、逆に毒を盛り返してきたという。今度また同じ事をすれば、次はお前の番だという。

 英雄の方が一枚上手だった。その事に伯爵の野望の炎はどんどん消えかけていく。

 今回のことは、相手が悪かったとしか言いようがない。いや、自身が英雄のスペックを見誤ったというのが正しいだろう。

 英雄を殺すのは諦め―――

「―――るわけなかろうがあああああああああ!」

「ひぃ!」

 マリーをこのような無残な姿にされて、諦められるわけがない。この見た目から他の貴族からは影から豚と馬鹿にされ続け結婚もできず、親も既に死に親戚は関わろうとすらしない。そんな天涯孤独な自分を支えてくれたのが、唯一マリーだけであった。どんなに苦しい時も悲しい時も、自分を慰めてくれたのはマリーだけであった。そう、いわば自身の片身に等しい存在。それを傷つけられ許せるか?いや許せるわけがない!

「覚えておけよ英雄……!貴様は意地でも私が毒殺してやる!宮廷の毒豚と言われた私を舐めるなよ……マリーと同じ、いや何倍もの苦しみを味わうがいい……!!!」

 決意に拳を固め、殺気をまき散らす伯爵。

 セバスは横目でそれを見ながら、ため息をついた。

「大事にしていた猫にいたずらされたぐらいで、何を御大層なことを言っているのやら……」

 ため息と共に呟かれた言葉は、空しく空へと消えていった。



 復讐の決意を固めた伯爵は直ぐに行動にでた。

 作戦の漏洩を危惧して使用人に暇を与えて屋敷にいる人間を最小限にし、自身は地下室で毒の調合をする。もちろん毒そのものを外で買い付けるような真似はしない。そんなことをすれば英雄に「次はこの毒を使いますよ」と知らせるようなものだ。

 そんなわけで地下室に貯蔵してある毒を使うしかないのだが、やはり長年放置していたせいで大半が変性してしまっていた。

「ちっ、こいつもダメか。おい、そこに置いてあるのは全部廃棄だ」

「庭にでも撒いておけばいいですかね?」

「アホか!駄目に決まっとるだろう?!庭を毒沼にでもする気か!」

「でも毒性は消えているのでしょう?」

「違うわ!弱毒化しているだけで仮にもそいつは猛毒だ!そっちの奴は適当にツボか何かに入れて太陽の光を当てて蒸発、こっちの奴は塩を入れて放置!そうすれば無毒化されるから!」

「……かしこまりました」

 不満そうな顔をしながら去っていくセバスに不安を感じながらも、伯爵は作業を続けていく。

 腐ったり変性してしまったものは廃棄に回し、混ぜれば効果が戻りそうなものは調合して片付けていく。十数年ぶりとなる調合であるが伯爵の腕に鈍りはない。目にもとまらぬスピードで次々と毒は生産されていく。

「あっ、こいつは『マンティコアの蠍毒』。こっちの干からびたのは『ケルベロスの肝』だ。しまったな、うまく調合すれば金貨100枚はかたくなかったのに。あー!これ『毒龍の悪毒皮』じゃないか!こんなところにしまってあったのか。お、こっちは大昔に調合した『麻痺茸』と『千本足の溶解液』の猛毒じゃないか。懐かしいな」

 伯爵は過去の作品を懐古しながらも、順調に準備を進めていった。

「旦那様」

「あ?なんだ」

「私も一つ調合してみました。どうでしょう?」

「勝手なことを……って、おい!こんなところで揮発性の猛毒なんて作るな!アホか!」

「ちなみに完成品がこちらです」

「おい待て、絶対開けるなよ!絶対に開けるんじゃないぞ!さあ、今すぐ可能な限り早く、それでいて細心の注意をもってそれをこっちに……」

「ぶえくしょん」(ガシャン)

「ばかもんがあああああああああああああああ!!!」

 ……あくまでも、順調に進んでいるはずだ。



 第一作戦「待ち針の取り忘れにご注意を」

「くっくっく、今日が奴の最後の日だ。死の舞踏を楽しむがいい」

「旦那様、もう少し顔を隠された方が……周囲がドン引きしております」

 ワインを口に含みながら、伯爵は邪悪な笑みを浮かべる。もちろん、伯爵のまわりだけぽっかりと空間が開いているのは気のせいではない。


 今回の作戦は、いわゆる仕込み針というものだ。

 英雄が着ると思われる服に片っ端から針を仕込んでやったのだ。もちろんただの針であるわけがない。体に取り込むと全身に激痛がはしり、下手すればショック死しかねないほどの猛毒『奴隷の苦痛』がたっぷり塗ってある猛毒針だ。ただ、触っただけでは刺さらないよう工夫したり、服自体が膨大な量があったので仕込むのに少し苦労はしたが作業は完璧に完了した。

 いつ英雄が入ってくるかと伯爵は笑みを隠すことなく待っていたが、肝心の英雄が姿を見せる気配がない。伯爵は次第に苛立っていく。

「おい、いつになったら奴は来るんだ」

「針が誤作動したということはありませんか?」

「そんなことあるわけなかろう。私の仕事は完璧だ」

「いえいえ、旦那様は結構うっかりさんではありませんか。つい先日など猛毒を地下室でぶちまけるなど……」

「あれは貴様がやったのだろうが……!」

 表情は笑顔で雰囲気は穏やかに、但し小声でドスをきかせて罵るという器用なこと伯爵が始めたとき、入口が騒がしくなり始める。

 何があったかと目を細めれば、そこにいたのは待ち焦がれた人物、英雄であった。

 後ろへと固められた輝く黄金の髪と目の覚めるような蒼の装飾がなされた服の相性はばっちりで、まるでそこだけが輝いているかのように見える。

 だが伯爵は笑う。英雄が身に着けたあの服こそ、一番念入りに毒針を仕込んでおいた服なのだから。

「くっくっく、ぐふふふふふふ!」

「旦那様、もうちょっと笑いを抑えてください。幼子が泣くことも忘れてドン引きしてます」

 セバスの言葉も何のその、右から左へと流した伯爵はただ英雄の一挙一動を見守り続ける。

 一体いつになったら作動し、どんな悲鳴を上げるのか。それだけが伯爵の考える全てであった。

 しかし、これまた一向に英雄が倒れる気配がない。煌びやかな衣装を纏った少女たちにダンスをせがまれ、それを受けて五回以上は踊っているはずなのにだ。あんなに動いて針が作動しないはずがない

「全く倒れる気配がありませんね。気づかれて外されましたか?」

「いやそれはない。胸のところについているブローチがあるだろう?あれは私がつけた針の一つで、あれが取られていないということはまだ針は残っているはずだ」

「ならばなぜでしょうか?」

「……わからん。ひとまずこの舞踏会が終わるのを待とう」

 舞踏会が終わっても、英雄は平然とした顔のままであった。

 はてなマークが頭に浮かぶ伯爵達であったが、後日、英雄の衣装を調達したことでその原因は判明した。

「一本残らず針先が潰れてますね。こりゃ刺さりませんわ」

「どんな体をしとるんだ奴は……この針なんか鉄製の鎧すら貫く『宝石蜂の希針』だぞ!」

「そういえば英雄の伝説にありましたな。魔獣の牙を受けても傷一つつかなかったと」

「それを先に言わんか!」

 第一作戦「待ち針の取り忘れにご注意を」―――失敗。



 第二作戦「不吉な風は死を運ぶ」

「くっくっく、今日こそ奴の最後だ。徐々に鈍る手足に怯えながら、死に絶えるがいい……!(くちゃくちゃ)」

「旦那様、もう少し声を抑えてください(くちゃくちゃ)」

 宮殿の中庭にて、伯爵達は木の葉を纏い隠れていた。

 今回の作戦は、揮発性の毒である『深淵の悪夢』による毒殺だ。

 英雄が通る場所を予め調べておき、その場所に気付かれないレベルで風を起こして毒を漂わせておくのだ。

 鉄すら貫く針でも傷一つつかぬ体であっても、内側は違う。内部からの服毒なら、英雄とて耐えられるはずがない。そう伯爵は考えた。

「それでいてこの防毒はどうにかならないのですか?(くちゃくちゃ)」

「しょうがあるまい。これが一番効果的なのだ(くちゃくちゃ)」

 伯爵とセバスは庭木に紛れ込みながら、一心不乱に何かを噛みしめていた。

 これは『深淵の悪夢』を抽出する時に出来る真っ黒なガムのような物質。これが非常に『深淵の悪夢』の吸着性がよく、これをなるべく空気に触れさせるように噛みしめて呼吸をすると肺に入る空気の毒が抜けるのだ。他にも方法はあるが、これが一番効果的である。強いて言えば見た目が悪いくらいしか欠点がない。

「お、来たぞ!(くちゃくちゃ)」

「なんかこの音気が抜けるのですがねえ(くちゃくちゃ)」

 隣からの不満を無視して、伯爵は集中する。

 相手は異形の主たる【魔王】を討伐した英雄、魔術そのものは扱えなくても察知はできるはずだ。そのため今回の企みに気付かれないよう、発動していた風を限界まで絞り消失させていく。自身の魔力痕跡を残すわけにはいかない。

 わずかな魔力の動きを読み取ったのか英雄は一度立ち止まるが、気のせいかと思ったのかそのまま廊下を歩きだ―――さずに立ち止まった。

「どうしたんだ。毒が効くには早すぎるはずだが」

「……どうにも嫌な気がしますな。旦那様、多分もう少し下がった方がよろしいかと」

「いやもしかしたら―――ってあいつまさか!」

 伯爵が英雄の意図に気が付いた時は遅かった。

 英雄は聖剣を抜き放ち―――廊下ごと吹き飛ばした。

 衝撃波が廊下を綺麗になぞって削り取り、その先にあった壁もぶち抜く。そこまで破壊しつくして、ようやく斬撃は消えた。

 破壊をまき散らした英雄本人は首をかしげながら、瓦礫道と化した廊下を歩きそのまま去っていった。

「馬鹿か!馬鹿なのかあいつは!」

 吹き飛ばされた土に埋もれながら、伯爵は叫ぶ。英雄にばれかねないとはいえ、叫ばずにはいられなかった。

「戦士というのは直感が働きますからね。多分風の動きに不審さを感じて、廊下に何かがあると思ったのでしょうが……」

「何故壊す?!不審に思ったなら、別の廊下に行けばよかろう?!これの修繕にどれだけ金がかかると思っとるんだ!」

「そこで真っ先に金の事を考える旦那様は帝国貴族の鑑……いえ、守銭奴の鑑ですな!」

「やかましい!わざわざ言い直すでないわ!というか、本当に奴は魔術を使えないのだろうな?明らかに魔術並みの威力だぞ?」

「まあ、魔王殺しの英雄は伊達ではないということですな。強い人間というより、龍か何かを人型に圧縮したと考えた方がよさそうですな」

「普通の毒盛ってもダメな気がしてきたぞ……」

「では諦めますか?ぶっちゃけると今なら英雄も気づいてないっぽいですから、知らんぷりでもいけそうですけど」

「……いや、私は諦めん!次行くぞ次!仇はとってやるからなマリー!」

「いえ、マリー様は別に死んではいないのですが。というか、どうやって逃げ出したものか……」

 破壊音を聞きつけた守護兵達の足音を全身で感じながら、セバスはため息をつくのであった。

 結果から言うと逃げ切ることは出来た。ただし、泥にまみれすぎて二着の服がボロ雑巾と化し、二人は地面に這う蛇の気持ちを知ることとなったが。

 第二作戦「不吉な風は死を運ぶ」―――失敗。



 第三作戦「毒剣触れることあたわず」

「こうなったらこれだ!あいつの聖剣に直接これを塗ってやるわ!」

 伯爵が懐から取り出したのは、大量の髑髏で彩られた褐色の瓶であった。

「それは?」

「こいつは『死神の予約印』と呼ばれる極めて強力な毒だ。直接飲んだり気化したものを吸うのはもちろん、ただ触れただけでも一瞬で毒に侵される。分厚い甲殻をもった蟲型の魔獣でも、こいつをかけてやれば翌日には死んだらしい」

「ほほう、そいつは素晴らしいですな」

「そうだ、毒としては最高峰の毒なのだが……一つ欠点があるのだ」

「それは?」

「解毒が恐ろしく簡単なのだ。元々近くに住む毒性の低い『洞窟茸』が突然変異したもので、それがベースになってるせいか市販の毒消しで直ぐに解毒できてしまう。更にこの毒に侵されると髑髏の痣ができるから盛っても直ぐにばれる」

「それはまた……」

 ものすごく言いづらそうに口をもごもごとさせるセバス。確かに毒性は素晴らしいかもしれないが、それを使っても英雄の毒殺は無理だと言いたいのだろう。

 だが、伯爵はどや顔でもう一つの瓶を取り出した。その瓶は先ほどと違い透明で、中に入っているやや濁った白が特徴的であった。

「そこでこいつの出番だ。こいつは痣の元となる色素を減少させる薬品でな。こいつを混ぜることで髑髏の痣は見えなくなるということはないが、大分薄れさせることができるはずだ。まあ欠点は『死神の予約印』が透明なのにこいつを混ぜたせいで若干色がついてしまうことだが、白ならそう問題はないだろう」

「それは素晴らしいですね。でもどうやって聖剣に塗るので?一応国宝となっておりますよ?」

「ふん!抜かりはない。奴は今呑気に遊覧中で、英雄の権威だけを欲した教会どもがその間聖剣を預かっておる。馬鹿な教会どもの事だ、術に物を言わせてまともに監視などしておらん。さっさと忍び込むぞ」

「はあ……かしこまりました」

 二人は黒装束を身に纏い、教会へと向かった。


「ここまで順調に進むとは驚きですな」

「私も正直罠かなにかではないかと不安だ」

 まさかここまでずさんな管理であったとは。二人の意見は完全に一致していた。

 それもそのはず、国宝であるはずの聖剣は教会の奥深くでなく普通に入口からまっすぐいった場所の台座に突き刺してあるだけであった。

 もちろん監視する者も居らず、強いて言えば扉に鍵がかかっていたぐらいしかない。

「旦那様も割と豚ですが、教会は輪にかけて無能な豚ですな。焼いたらおいしそうです」

「おい、さらっと私を豚扱いするでない。それによくみたら、この台座えげつないほど罠がかけてあるぞ」

「まあ、一応国宝ですからな。盗難防止用に術を仕込むなら台座しかないでしょうが……ほほう、こいつはこいつは、解除に時間がかかりそうですな」

「ふん!いくら警報やら呪いやら爆発をしかけようが、私の目的には関係ない。それでは、さっさと聖剣に毒を塗るぞ」

 伯爵は口元に薬草を挟んだ布をあて、はけを使って丁寧に毒を塗っていく。

 そして時計の長針が一周したころ、ようやく作業は終了した。

「ふう、これで終わりだ。ふふふ、英雄の葬儀が楽しみだ」

「旦那様、旦那様」

「なんだ、今私は英雄の葬儀で何を着ていくかを考えて……」

「なんか、聖剣光ってませんか?」

「はっ?」

 セバスの言う通り、よくよく見れば聖剣は仄かに光を帯びていた。

「なんで光っとるのだ」

「そういえばですが、英雄が酒場で語ったもので確か……『聖剣の一番素晴らしい機能は、手入れをしなくても自分で綺麗にしてくれることだ』という迷言がありましたな。ところで聖剣に塗られた白い毒は汚れに入るのですかね?」

「あっ、ちょっと待て!」

 伯爵の静止の声も空しく、聖剣は一度だけ強く輝きその光を消していった。

 もちろんであるが毒など残っているわけがない。綺麗さっぱり、汚れも残さず聖剣は消してしまった。

「私の苦労が……!」

「透明ならわからなかったですが、色がついてしまったことで汚れと認識されてしまったみたいですね。もう毒もありませんけど、どういたしますか?」

「ちっ……主従共にしぶとい奴らめ。撤収だ、くそっ!」

 怒り心頭の伯爵は八つ当たり気味に残っていた毒を聖剣へとぶちまける。聖剣にかかったものはもう一度輝いて消し飛んでしまったが、絨毯などにかかったものは静かに染み込んでいく。

「よいので?」

「いいも悪いも、こいつは保存がきかん。いや、こうしておけばもしかして英雄が聖剣を取りに来たとき吸うかもしれんな」

「英雄が帰ってくるのは五日後なのですが、それまで効果がもつので?」

「ちっ!運のいい奴め!」

 言外にそこまでは持たないと告げる伯爵であった。

 第三作戦「毒剣ふれることあたわず」―――失敗



 最終作戦「悪食も食べあぐねるフルコース」

「くそっ、ここまで悉く失敗に終わるとは……」

「というか、ぶっちゃけますと相手にもされてませんな。多分ですが英雄気づいたのって最初のだけじゃありませんか?」

「まさか、そんなわけ……そんな、わけ……が……」

 よくよく考えてみたら仕掛け針は潰れていたし、毒の廊下も自分のせいとは気づかれていないし、そもそも両方毒が仕掛けられたとも気付かれてない。最後の聖剣なんかそれ以前の問題だ。

「もしかして、我々は物凄く滑稽な事してたのではないか?」

「いえ、正しくは『我』で『してるのでは』ですね。主語と時制は正しくお使いください」

「馬鹿にしてるのか……貴様は」

「いえいえ、そんなはずが……このセバスの曇りなき瞳を見てもそんなことがいえますか」

「ならこっちを見ろ。おい、明後日の方向を向くでない」

 しばらく言い争いを続ける二人であったが、馬鹿らしくなった伯爵は息をついてソファーにもたれかかった。

 残る毒はもう少なく、まともに使えそうなのは指の数ほどもない。買い足すことができない以上これが限界だ。

 下手に量を絞って生き延びられては本末転倒だと、思い切って使ったのがいけなかったか。

「……しょうがない。これだけはやりたくなかったのだが……最後の手段だ。奴を我が屋敷へと呼び寄せ、そこで決着をつける」

「直接盛るのですか?流石にそれはごまかしがききませんよ?」

「ふん、覚悟の上だ。マリーの仇は必ずとる。この身を犠牲にしようともな」

 セバスはとても表現しにくい微妙な顔をするが、伯爵の覚悟を感じとり頭を下げて部屋をでた。

 それを見届けた伯爵は一息つき、机の上に毒瓶を並べていく。

「やはり使うべきはこいつか?いやしかし、途中で感づかれては魔術で解毒されかねん。魔術耐性がある毒は臭いが特徴的であるしな……上手く混ぜればなんとかできるか?」

 頭の中でシミュレーションを重ね、計画を練っていく。

 数時間ほどああではないこうではないと試行錯誤を重ね、やっとのこと完成した作戦ではあったが、一つだけ重大な欠点があった。

「後はどうやって奴に盛るかだな」

 毒針?毒剣?無理に決まっている。そもそも刃物自体が通用しない相手では、いかなる達人であろうとあっという間に殺されて終わりだろう。魔王殺しは伊達ではない。

 空気に混ぜるというのも得策でない。やるにしても今残っている毒では即効性がなく、かなりの量を吸わせなければ効果がない。

 となったら残るのは料理か何かに混ぜて飲ませるしかないのだが、どんな馬鹿でも自分を毒殺しようとしている人物の料理など食わないだろう。

「一体どうやって奴に料理を食わせようか……」

「―――いい手がございますよ」

 伯爵の独り言に、ガラガラとしゃがれた声が返答した。

 それに対して伯爵は慌てふためるわけでもなくおびえるわけでもなく、ただ悠然とソファーに腰かけたままであった。

「そうか、提案ならまず姿を現せ。それが礼儀だ」

「これは失礼いたしました」

 どこから現れたのか、空間から溶け出すように真っ黒な影が伯爵の前に出現する。

「茶も出せなくてすまんな。だが、生憎我が屋敷には名乗りもせず訪問の予定も知らせず来る不作法者に出す茶はなくてな」

「それはそれは、失敬いたしました。私は、まあ見ての通り暗殺者です。とりあえず、ここの国の者ではありませんが」

「それで?何の用だ?今私は非常にいそが……」

「―――英雄を殺したいのでしょう?」

 伯爵が言葉を止め固まる。それを見た暗殺者は、にやりと口を歪めた。

「いい手がございます。ヴィクト伯爵閣下におかれましては、ただ私めが用意した手荷物を英雄に渡すだけでよろしいのです。そうすれば英雄は喜んで閣下がご用意なされた晩餐を召し上がることでしょう」

「……ふん!気に入らんな。何故貴様がそう私に手を貸す」

「単純な事であります。英雄が死ぬことで閣下が喜ぶように、私たちにとっても良い出来事となるのです。どうです、乗りますか?」

 暗殺者の誘惑に対し、伯爵は顎に手をあて考え込む。

 多分この暗殺者は隣国からのものだろう。あそこは今、物資の動きの不自然さから要注意対象となっている。その点から考えると、英雄を殺して得になるという言葉に嘘はないだろう。つまり、自分に嘘の提案をしようとしているという線もない。

 ここで英雄が死ねば帝国は混乱に陥り、周辺各国は大喜びでその混乱に付け入るだろう。

 帝国の貴族として正しい選択は、ここで暗殺者の手を払いのけ毒殺をやめることだ。しかし―――

「―――知ったことか、そんなこと」

「?今なんと?」

「乗ってやる、と言ったのだ。わかったならさっさといけ」

 暗殺者の口元が先ほどよりも大きく弧を描き、静かに頭を下げて立ち去った。扉も窓も動きがないのに、暗殺者は一瞬のうちに姿を消した。

「さて、ここからが正念場だな」

 暗殺者の言う通りになるならば、これが英雄の最後の晩餐となるだろう。ならばせめて、英雄の最後の食事に相応しい料理にしてやろう。

 伯爵は寂しげな笑顔を浮かべ、自身の書斎へと向かい、筆を取った。宛先は英雄へ、その内容は屋敷への招待状と少しの余談。

「鬼が出るか蛇が出るか、見ものだな」

 小さく、ほんの少しだけ伯爵の口が歪んだ。


 翌々日。

 帝都でも最高級ともいえる料理が並べられた中、英雄はのこのこと現れた。

 断られるかと思っていくつかの案も用意してあったが、英雄は予想よりも呆気なく首を縦に振った。

 英雄としてもこれまで全くアクションがなかったから(実際はガンガンアクションしまくってたが)ようやく来たかという感じなんだろう。

 伯爵はそう解釈した。

「魔王の討伐おめでとう。此の偉業は帝国千年の歴史に深く刻まれ、汝の名は世界中の誰もが知ることとなるだろう」

「恐縮だ」

「そこで感謝のあかしとして、私が用意できる最高の料理を手配した。帝国一の美食家たる私が認めた料理だ、是非味わってほしい」

「……」

 伯爵はそう勧めたが、英雄は食器にすら手を付けようとしない。

 警戒されている。しかし伯爵としても英雄が素直に料理を口にしようとしないことは予想済みであった。

「そうだ!忘れていたよ、食事の前に英雄殿にプレゼントをしようとしたものがあった。最近知り合った者から譲ってもらった珍しい物だ。是非とも受け取ってほしい」

 懐に入れてあった、手のひらほどの大きさの小包を英雄へと投げ渡す。

 英雄はそれを受け取り、無表情で洒落た包装を解いていく。丁寧に包装が解かれていき、中から出てきたのは桐の箱であった。

 実は伯爵自身も中に何が入っているかは知らない。正直他国の暗殺者の言葉など噂話なみに信用できないし、もしかしたら危険物が入っており開けた瞬間それが発動するといったタイプであったらいけないので受け取ってからは一切触れていなかったのだ。

 だが、遠目から見るにはただの箱のようで、魔力の類も感じない。本当に何の変哲もない箱のようだ。

 いぶかしげな顔をする英雄であるが、箱を開けた瞬間、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ動揺した。中に入っていたのは、質素な女物の指輪。それを見た瞬間、一瞬とはいえ英雄は反応した。

「(親族か……それとも恋人か。あの暗殺者が人質にとったということか)」

 気持ちはわからないでもない。自分だってマリーを人(?)質にとられれば、動揺は隠せない。

 だが同情する気はない。既に自分は大事なもの(愛猫の尊厳的な何か)を失っているのだ。自分か人質か、どちらかを天秤にかけてもらわなければならない。

「これは……」

「それではどうぞ、『よく噛んで』ご賞味ください。我がシェフ自慢の料理です」

 伯爵は英雄の声を遮り、料理へ差し向ける。さあ、お前に残されている道は目の前にある料理を食うことだけだ……!

 しばしの間英雄は考え込んだ後、静かに指輪をテーブルの上へと置き―――料理に手を付けた!

 その場でガッツポーズをするような無様な真似はしない。伯爵はその光景を、笑顔で見守り続ける。

 一度料理に口をつけた英雄は、そのまま流し込むように料理を腹に収めていく。

 そして最後に出されたデザートであるパイ菓子を食べ終えた時、英雄はゆっくりと前のめり倒れていった。

 ……終わった。

 伯爵はふうと一息ついて、そして大きく息を吸った。

 今更ながら、自分のしてきたことを思えば英雄は実に寛大であったと実感する。理不尽に毒殺されかけ、それでも命を奪うような真似はせずあの程度の報復で終わらせたこと。そして危険がありながらも、この茶番に付き合ってくれたこと。

 どれも自分なら無理であっただろう。いや違うか、それができるから英雄なのかと伯爵は深く感じていた。

「―――おめでとうございます、閣下」

 伯爵が余韻に浸っていると、丁度伯爵の横手の方からしゃがれた声が聞こえてきた。

「……」

「これで英雄は終わり。調合は影ながら拝見させてもらいましたが、龍と悪獣、それに世界樹の灰汁も混ぜた混合毒。名づけるとするなら『混沌たる死』とでもいうべきものを飲んで無事なものはこの世界にはおりません」

「……」

「さて、一仕事終えたばかりで申し訳ございませんが、二つほど閣下に提案がございます」

 暗殺者は、腰につり下げられたナイフを手慣れた様子で抜き放ち、伯爵へと突きつけた。

「今すぐに目の前にある料理へと手を付けるか。このナイフの錆びになるか、どちらかお選びください」

「……」

「私の正体は機密でして、どんな小さな欠片であっても見逃すわけにはいかないのです。―――なあに、どうせ英雄殺しだ。何をしようが死罪は免れられねえ。せめて楽に殺してやるってんだから感謝してくれよ」

 先ほどまでのしゃがれた声とは別に、若々しくも粗野な声がホールに響く。おそらくこれが地声で、この態度こそが暗殺者の素なのだろう。

 だが、ナイフを突きつけられようと伯爵は一切動じることはなかった。目を閉じ、ただ湧き出る一つの感情を堪え続ける。それだけだ。

 スプーンを手に取る気がないと察したのか、暗殺者は一つ舌打ちしてナイフを振りかぶった。

「他人には飲ませておいて、自分は嫌だってか?はん!笑わせてくれるな。いいぜ、お望みの通りナイフの錆びにしてやるよ。あんたみたいな豚を切ると、油がべっとりと付きそうだけどな!」

 暗殺者はナイフを振りかぶったまま伯爵へと突進する。

 何らかの液体に濡れた黒塗りのナイフは風を切り伯爵に迫り―――

「ふんっ!」

「はあっ?!」

 高速で放たれた斬撃が、ナイフを根元から断ち切った。

 暗殺者は驚愕を隠せない。何故なら今自分のナイフを断ち切ったのは先ほど死んだはずの人間―――英雄なのだから。

「なんでお前、生きて!」

「貴様には関係ない話だ」

 振り下ろした体勢から、一息で三つの斬撃が暗殺者を襲う。いくら手練れとはいえあくまでそれは暗殺者達の中での話、なんとかガードするも弾き飛ばされ柱に背中からぶつかる。

「ごほっ!……なんで、英雄が生きてる……!貴様、まさか毒を!」

「正解だ。このヴィクト=D=セヴァンゲイル!大嫌いなことは、食事と睡眠とマリーと遊ぶ時間を邪魔されること」

 伯爵はそこでいったん言葉を切り、にやりと笑って叫んだ。

「―――そして他者から与えられた道筋に沿って行動すること!貴様と手を結ぶぐらいなら英雄と手を結ぶわ馬鹿者め!やってしまえ、英雄!」

「言われるまでもなく」

「くそっ!家畜もどきの分際で!」

 悪態をつくが、暗殺者は焦っていた。暗殺者の眼からも伯爵の本気は伺えたし、今回の毒殺もネタが割れるまで全く気付くことができなかった。

 一口に暗殺者と言っても種類があり、この者はどちらかといえば戦闘タイプの暗殺者であったがいくらなんでも英雄相手では分が悪すぎる。

 喉元に突き出された剣をしゃがんで回避し、ナイフを腕に向けて突き上げる。しかし英雄は肘をまげてナイフを挟み、そのまま絡めとって片手で暗殺者を薙ぎ払う。

 それをくらってはたまらないと暗殺者は針を投げて右に転がるも、そこに待ち受けていたのは小さなガラスの瓶。中身はもちろん―――

「おっとすまんな、手が滑ってしまった」

「豚如きがあああああ!」

 地面に転がるガラス瓶を潰さないように、無理やり腕を突き出して前転する。

 左腕を捻りすぎて腱が痛むが気にしている場合ではない。ガラス瓶をよけて窓へと突進する。

「そういえば言い忘れていたが、ここの窓はガラスの飛散防止用に色々つけてあるぞ」

「っ!」

 暗殺者が窓に飛び込む前に立ち止まれたのは幸運であった。窓枠には、鋭く研がれた鋼線が縦横無尽に張り付けられていた。

 ナイフで切っている時間はないと判断した暗殺者は窓からの逃走を諦め、扉へと向かう。

 しかし、僅かであろうとロスしてしまった時間。それはあまりにも致命的なものであった。

「ふんっ!」

 前から迫りくる三連撃。咄嗟にナイフを構えるも、片腕を痛めた状態で防ぐことは不可能であった。右足と左肩、そして腹に衝撃がはしる。

 暗殺者は再び窓際まで弾き飛ばされ、壁にたたきつけられた。

「ごふっ!」

 肺の空気が叩き出され意識がもうろうとする中気づく、まだ生きていると。

「峰打ちだ。死にはしない」

「いや英雄よ。その剣には峰はないぞ」

「では平打ちか」

「……まあいいか。おい暗殺者、というわけで貴様の目論見は失敗だということだ。大人しくしてもらおう」

 伯爵の言葉に反応して、英雄が縄をもって暗殺者に近づく。

 だが、暗殺者はまだ逃走を諦めてはいなかった。体はボロボロ、武器だってナイフが一本だけ。そんな状態であっても心は折れてはいない。何故ならまだ切り札が残っているのだから。

「動くなっ!」

 暗殺者は手のひらに収まるほどの人形を取り出して、ナイフを突きつける。

「この人形は『共倒れ人形』だ。こいつを壊せば人質は死ぬ!」

 伯爵はつまらなそうにそれを見て、英雄はその言葉に動きを止めた。やはり英雄といえど、恋人が殺されるのを承知するわけがないかと暗殺者はほくそ笑む。暗殺者としては、本当なら本国に持ち帰ってもっと有効に活用するはずであったが、流石に自分の命にはかけられなかった。

「こいつを渡す条件は一つだ。俺を見逃しな」

「ふむ、どうしようか……」

 伯爵は顎に手を当て考え込む。英雄もそれに文句を言うことなく、黙ったままだ。

 だが焦る暗殺者にとって、その時間はあまりにも長すぎた。

「おい!さっさとしろ!早くしねえとこの人形の手足を切り落とすぞ!」

「……しょうがないか、そちらの要件を飲もう」

 伯爵が承諾すると、安心したような不満があるような微妙な表情で英雄が縄を床に捨てた。

 暗殺者はそれに安堵し、ナイフを突きつけながらなるべく英雄に近づかないように壁沿いに歩いていく。

 そして扉の前にたどり着いた時、暗殺者はふと邪悪な笑みを浮かべた。

「おい、やっぱり条件追加だ。英雄、そこの豚を斬れ」

 やられてばかりでは暗殺者の名が廃る。目には目を、歯には歯を、仇にはそれ以上の復讐を。それが暗殺者の流儀であった。

 それを聞いた伯爵は目を細め、英雄は変わらず無表情のままであった。どちらにも目立った反応がないことが、余計に暗殺者を苛立たせる。

「早くしろ!俺は気が長い方じゃないぞ!」

 暗殺者が人形へとナイフを近づけると、伯爵は大きく溜め息をついた。

「しょうがあるまい。まだ英雄は帝国で活躍してもらわなければならん。やれ」

 英雄は小さく首肯して、聖剣を振り上げる。

 暗殺者もそれに合わせて足を少しだけ曲げる。聖剣が振り下ろされた瞬間、それこそが最大の逃走チャンスと。

 そして聖剣が振り下ろされた瞬間、伯爵が手を上げてそれを止めた。

 出鼻をくじかれた形となった暗殺者の頭は、一気に沸騰した。

「今更になって命乞いか!豚があ!」

「いやはや、少々気になってな。暗殺者よ、肝心な人形を落としてどうするのだ?」

「えっ?」

 暗殺者が足元に視線を向けると、そこには手の中に納まっていたはずの人形が転がっていた。急いで拾い上げようと前かがみになると、何故かごろんと前へ体が転がってしまった。慌てて立ち上がろうとするも腕に力が入らず、足も急に痙攣しだす。自分の身に何が起きているのか、暗殺者にはさっぱりわからなかった。

「やっと効いてきたか。本当に、暗殺者というのは耐性を持ち合わせてるから面倒くさい」

「貴様……一体何を……!」

「ばーか!教えるわけなかろうが!……といってやりたいところであるが、心優しき私は無知で浅慮なお前のために教えてやろう。貴様が倒れている理由は毒だ。この部屋に揮発性の毒を仕掛けておいたのだよ。それだけ派手に動き回ればさぞ毒が回ったことだろうな」

「馬鹿な……!俺にはあらゆる毒に耐性が……!」

「ふん!自分の言ったことすら忘れたかアホめ!『混沌たる死』を摂取して無事なものはいないと言ったではないか!」

「なら……なら何故貴様と英雄は立っていられる!『混沌たる死』なら貴様らだって……!」

「簡単なことだ。吸ったら駄目なのだから、吸わなければいい!解毒方法はなくても、防毒方法ならある!正体はこれだがな!」

 べえっと、伯爵と英雄は暗殺者に見せつけるように舌を出す。

 その上には同じ黒黒としたガム状の物体、すなわち『深淵の悪夢』の抽出時に生成される防毒物質がのっかっていた。

「それは……!いや違う!そいつは『深淵の悪夢』にしか効かぬもので……!」

「質問が多いなあ!だがそれもよきかな!無知たる貴様のために説明してやろう。私が直々に開発した『混沌たる死』のベースは『深淵の悪夢』!『深淵の悪夢』に魔術的な毒性を更に付与したもの、それこそが『混沌たる死』の正体!貴様の監視に警戒して無駄に材料を揃えて、無駄な作業工程を増やしまくってやったが、まんまとミスリード引っかかりおったな馬鹿め!」

「しかし英雄にそれを渡す暇など……!」

「私の言葉をよく思い出すことだな。言ったろ?『よく噛んで』味わえと」

「くそっ……料理か……」

 悔しそうに顔を歪ませる暗殺者であるが、徐々に毒が回ってきたのか動きが鈍くなっていく。

 それを愉悦の表情で見守る伯爵は、暗殺者にゆっくりと近づき髪を掴んで頭を上げる。

「うぐ……」

「まだ意識があるとは驚きだ。しかし、最後に貴様に教授してやりたいことがあってな。舌を噛んで意識を鮮明にしてでも聞くといい」

 伯爵は、今までで一番の笑顔を浮かべて言った。


「臭いのきつい毒を使う時は、もっとよく手を洗うことだ。特に―――『禿烏の毒涎』のような毒を使う時はなあ!」


 伯爵の渾身のキックが暗殺者の腹にめり込む。

 百キロ近い体重が乗ったキックを受けた暗殺者はボールのように空を飛び、扉を破って向かい側の壁にぶつかった。

 英雄が剣を構えるが、もう必要はない。暗殺者はすっかりのびて、白目をむいて気を失っていた。

「ふん!これで帝都の奇怪な事件は止まるだろうよ」

「協力感謝する。俺への疑惑もこれで晴れるだろう」

 実はであるが、ここ最近帝都で貴族への変事件が多発しており、その犯人の筆頭として、表では口にはされないが英雄ではないかと疑われていたのだ。

 それもそのはず、犯行現場には必ずと言っていいほどローブを被った黄金の髪の毛の男が確認されており、その証拠の揃い具合から皇帝にすら疑われていた。

 しかし伯爵がマリーに毒を盛ったのが英雄ではないのではないかと思ったのはそれがきっかけであり、そして暗殺者に出会ったときそれは確信に変わった。

 暗殺者の手から発せられていたのはあまりにも特徴的な臭い。薬草で洗ったりしたのか、色々な臭いが混じり限りなく薄れてはいたが、伯爵の鼻を騙すことは出来なかった。

「そうか、それはよかったな。ならさっさとそのゴミをもって皇帝陛下に報告して来い。いつまでもあっては目障りだ」

 本音を言うならば、これ以上暗殺者を見ていると怒りで何をしでかすかわからない。冷静に見えて伯爵の腹の中ではマグマのような憤怒が煮えたぎっていた。

 言葉にせずとも何かを感じ取ったのか、英雄も頭を下げ、暗殺者を縛り上げて去っていった。

「ようやく終わったか……」

「ご苦労様でした旦那様」

「やっと出てきたか……主の危機をほっぽり出して何をしていた」

「いやはや、今回の事件の裏取りをしてましてな。まあご存じでしょうが、だいたいあの暗殺者のせいだったようですね」

「ふん!わかりきったことを言うな!」

 鼻を鳴らして怒る伯爵に、セバスは首をかしげる。

「ですがよかったのですか?見逃してしまって」

「英雄がおる中で私刑するわけにもいかん。ここは手柄を譲って……」

「いえ、そっちではなく英雄をですよ」

「……どういう意味だ?」

 伯爵の顔が引きつる中、セバスは淡々と手帳を捲って報告する。

「どういう意味も何も、マリー様に毒が盛られた時あの暗殺者は全く別の場所で事件を起こしてます。ですから、多分マリー様に毒を盛ったのは暗殺者でなく……」

「―――英雄かよ!」

「まあそうなりますな」

「くそっ、あいつさも自分は関係ないみたいな顔をしおって……覚えておけよ!貴様は必ず私が毒殺してやるからな!」

 吠える伯爵と、ため息をつく執事。

 伯爵と英雄の戦いは、まだ始まったばかりであった。


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