生きる意味とは
目覚まし時計からジリリリリリリというけたたましい音が鳴る。寺島広行は布団から手を伸ばすとベッドの横に位置する机上の時計に手を乗せた。今日も朝がやってきた。
「ヒロユキ、起きる時間よ」
扉越しに母親の呼び声が聞こえた。しばらく布団の中でうずくまったが、寝坊対策のために設定した携帯のアラーム音が鳴ったため、観念して布団から足を出した。
変わり映えのしない日常。毎朝、けだるさの中、目を覚まし、布団を出たらリビングへ向かい、大体3つくらいのバリエーションの母親が用意する朝飯を食べて、学生服へと着替え、学校へと向かう。
退屈。別に恵まれてない訳ではない。顔も悪くない。親がいない訳ではない。いじめられている訳でもない。友達は多からずいる。何一つ、この日常に悪いことなど存在しない。だが・・・
「いってきます」
そう一言呟き玄関を出た。向こうから「お金足りてる?」という問いかけが聞こえてきたときには、既に扉は閉じていた。
「今日からこの学校に転校することになった、白鳥麗華だ。みんな、仲良くしてやってくれ」
転校生。高校1年の冬、そいつはやってきた。見た目は黒髪ロングのストレート。身長は目測165cm。病的に痩せている訳でもなく、過度に肥満化している訳でもなく、どちらかというと健康的な体つき。顔はやや強張っているように見えたが、血色の好い大人びた顔つきをしている。目線はしっかりと教室の天井を眺めている。控えめで堅実な清女。公立の高校生にしては珍しいタイプの女だった。
周囲はガヤガヤとし始めた。あの子可愛くね。頭よさそう。日常の中に落とされた一滴の雫に男女ともに夢中になる。まるで砂糖に群がる蟻。
「静かに。じゃあ、席は・・・こちらから観て一番右上のヒロユキの隣に座ってくれ」
タンタンタン。静かに、規則正しく、足音はこちらへと向かってくる。興味はない訳ではないが、特別ある訳でもない。世間的にいって中二病といわれる見方であることは分かっているが、所詮は人間。時間が経てもこの人間もつまらない学校生活の要素と化す。
「じゃあ、授業始めるぞ。ヒロユキは今日の授業に使う教科書を白鳥に見せてあげろ」
コクリ、と寺島は教師に返事をする。白鳥は席に座ると、遠慮しがちに、こちらに軽く会釈をしながら机を近づけてきた。こちらも軽く会釈すると、机を近づける。
「すいません。しばらくお願いします」
「ああ、大丈夫ですよ」
政治・倫理の教科書を二人の机の間に見開いて置く。開いたページが閉じないように、寺島は教科書の中心部をグッと左手のげんこつで押した。白鳥もページが閉じないように一応、ページの端っこをそっと綺麗な白い右手で抑えた。
「では、前回の授業に引き続き、お互い、隣の人と死生観について対話を続けてくれ。悪い、ヒロユキ、お前は前回まで話してた前の二人ではなく、新しく白鳥と始めてくれ。遅れて提出してもらっても構わない」
再度、教師に相槌を返す。前回の授業では、倫理の授業の終わりに自分の隣の人と死生観について対話した上で、その対話内容をプリントに記述する課題が生徒に課された。寺島は自分の左隣に対話相手がいなかったため、前の席にいる二人の生徒に混ぜてもらっていたが、白鳥が新たに隣に座ったことで、自動的に寺島は白鳥の対話相手になることとなった。
「すいません」
「いや、大丈夫」
相手は教科書を貸してもらっている上に、自分のせいで一から課題のやり直しを相手に強いることに罪悪感を抱いているようだった。
妙な高揚感。だが、調子を乗って饒舌に話すのは自分の性格ではないので、当たり障りなく事務的に話していけばいい。学校にはカーストがある。下手に転校生に調子を乗って話しかけたら目立つ。目立つものは避けられる。それは学校生活を送る上で面倒臭いことだ。
だが、相手は自分が転校生である立場、また、色々と相手に世話をかけてしまっている立場だ。現に、白鳥はプリントを眺めて、相手が話しを切りだすのを待っている。なら、こちらから話しを先導していくしかない。
「では、プリントに沿って、まず、お互いの死生観について確認しよう。」
「はい、よろしくお願いします」
軽い笑みと会釈を交わす。話しを切りだした立場として、まず、自分から自らの死生観を簡単に説明することにした。
「俺はこの世の中に生きる意味はないと考えている。理由は、生きる意味は日々変化するからだ。それ故に、産まれてから死ぬまで同じ生きる意味などないと考えるからだ」
「ふむふむ」
白鳥は右手を顎に当てて噛み締めるように傾聴してくれている。プリントの指示に従って、次に簡単な事例を挙げる。
「例えば、今、俺と君はこうして倫理の死生観について話し合っている。今朝は目玉焼きを食べて、この授業が終わってからの休み時間は、友達と最近流行りのゲームについて話し合うだろう。要するに、その時々に生きる意味は変わる、ということ」
寺島は、少し即興で現状を交えながら、鼻に着かない程度にプリントを棒読みした。
生きる意味。どうでもいい議題だ。そんなもの立場や気分によって変わる。キリスト教徒は神を生きる意味とするだろうし、肉親や大切な人間を失くした人間は自分も死にたいと考えるだろう。よって、生きる意味など立場や気分の問題にしか過ぎない。よって、確固たる生きる意味などないのだ。
だが、こういう自分の哲学を語る時、人は誰もが認める自分の価値観を相手に聞いてもらえると思い込む。それ故に、自分の気持ちを哲学を通して間接的に、かつ、文学的に語ることができる。簡単にいうと、自分に陶酔して自分の意見を押しつけるように主張してしまいがちだ。それは寺島からしたら周りから浮く、気持ちの悪い行為だった。だから、気持ちを出来るだけ抑制して、寺島は自分の意見を語った。
「白鳥は?」
「あ、はい」
白鳥は寺島の死生観について考えているのか、少し曖昧に返事した。
「私は生きる意味はあると思っています。その理由は、生きるもの、死ぬもの、誰もが生きることをよいものだと思うから生きているからです。例えば、生きている意味は、寺島さんが述べたように、そのときどきによって変わります。しかし、死ぬときですら、人は死ぬために生きる、という意味で、自殺する人生そのものに意味を感じている。だから、私は人生に意味があると思うのです」
お互いの意見が対立し合う。寺島は生きる意味はないと思う。一方、白鳥は生きる意味はあると思う。
「なるほど。どうやら、俺たちは同じことを別の見方で論じているだけのようだね」
「というと?」
「確かに俺は人生に生きる意味はないと思う。一方、君は人生に生きる意味はあると思う。しかし、その理由はどちらも同じだ。僕はそのときどきによって生きる意味は変わると答えた。一方、君は生きるということはどんなときも意味のあるものと答えた」
「そうですね」
「要するに、僕と君の結論は違えど、生きていることそのものに何かしらの意味があることは認めている訳だ」
「はい」
「では、なぜ、意見が対立したのか。それは、僕は普遍的な生きる意味はない、と答えている一方、君は個人的な生きる意味がある、と答えているからだ」
つまり、こういうことだ。寺島は生きる意味はないと答える。その理由は、産まれてから死ぬまで変わらない生きる意味などないからだ。これは、普遍的な生きる意味を否定して述べている。一方、白鳥は生きる意味はあると答える。その理由は、自殺ですら、死ぬ間は死ぬために生きる、という生きる意味があるからだ。こちらも、個人的な生きる意味を肯定して述べている。それ故、確かに両者は意見は対立しているように見えるが、その根底に、どんな時も人には人それぞれ生きる意味がある、という点で共通している。
「なるほど」
白鳥は納得した。頭がいいのだろう。それとも、普段から白鳥も自分と同じような問題意識を持って世の中を生きているからだろうか。
聞いてみたい気はするが、普段から生きる意味を考えているんですか?など、何か相手の人生の根幹に関わる様な暗い出来ごとに触れてしまう気がして聞きづらい。それ故、課題を終わらすべく、寺島は次の問いを発することにした。
「お互いの意見を批判しましょう、か」
「う~~~ん」
どちらもいい方を変えた同じ意見だ。生きる意味はその時々にある。だから、絶対的な生きる意味はない、または、刹那的な生きる意味はある、といい方を変えて結論を出したに過ぎない。
「生きる意味、下らないですよね」
「あぁ、下らない」
「生きる意味なんて、考えなくたって生きていける。むしろ、生きる意味を考えるからこそ生きる意味に悩んで上手く生きれなくなる」
「何か神なる絶対的な生きる意味があれば、この世の中、どんなときでも何をすればよいのか迷わなくて楽だ。しかし、生きる意味がないのであれば、生きる意味を探したところで時間の無駄だ。それは砂漠の中にオアシスがあると信じて放浪するようなものだ」
「ないのに、ね」
寺島と白鳥の思考は全く同じだった。絶対的な生きる意味なんてない。あるのは刹那的な生きる意味だけだ。ならば、生きる意味など考えても時間の無駄だ。
「じゃあ、お互いの意見の批判の項目には、生きる意味は考えるだけ無駄なのに、生きる意味を考えているので、無駄なことを無駄だと分かっていてもしているバカと、書いておこうか」
ハッと気づき、我に帰ると、寺島は自分が同じ意見を述べる白鳥に興奮し、つい、極端な物言いをしてしまったことに気がついた。
「フフフ・・・ゴリラ顔なのに倫理を教える教師に対する教育かしら」
シニカルな笑い。寺島と白鳥は互いに、度の過ぎた言葉のラリーに気づいた時には、互いにプリントで顔を隠すと、顔を少し赤らめた。
放課後。その日、白鳥は教室の女子に囲まれることはあったものの、時を経て、誰も群れなくなっていた。理由は単純、白鳥は愛想がないからだ。
「白鳥、ゴミ出し、行くぞ」
寺島は白鳥をゴミ出しに誘った。今日の教室当番は寺島と白鳥、及び、その前に席に座る二人の計4人。だが、寺島と白鳥以外の人間は部活動で早期退出してしまい、寺島と白鳥が教室を掃除することになった。
「教室の掃除はしなくていいの?」
「いいんだ。掃除の当番は日替わりで変わる。教室の掃除なんて真面目なタイプがたまにやるだけで十分だ。俺たちは最低限、教室内を掃除をした証拠としてゴミ捨てをするだけでいい」
「なるほど。楽だ」
楽、か。それは、前の学校ではきっちりとした掃除をしていた、ということだろうか。今日の授業、白鳥と授業を受けて寺島の思ったの感想は、白鳥は頭がいいアウトロータイプ。どの教科も無駄な板書はせずに、最低限必要な知識だけメモをする。世の中には教師のいった一言一言をメモる生真面目な奴もいる中で、自分で必要な情報を吟味できる珍しい人間だ。
「白鳥は真面目なタイプの人間だと思ったが、意外と適当だな」
「適当、そうね。二つの意味で正しいわ」
適当。程良いといい加減という2つの意味を持つ。何故か、寺島はその日、倫理の時間に話した生きる意味は見方を変えればあるともないともいえない、という結論を思い出した。
「生きる意味の話みたいだな」
「そうね」
教室のゴミ箱から二人でゴミ袋を取り出し、袋を結んで閉じると、お互い、片方の手でつかんで廊下を歩いた。
「なぁ、白鳥。人生を生きる意味がないのだと分かっているのに、なぜ、人は生きる意味を考えるのだと思う?」
「私の場合、確認、ね」
「確認、か」
確認。寺島は白鳥の述べる意味が分かる。同じことを繰り返す退屈な日常に果たして生きる意味はあるのか。考え始め、考え終わった時には、ない、という結論が出る。しかし、それはなぜか?確認、としかいいようがない。それは、ある意味では生きる意味を求めているからではあるが、ある意味では・・・
「安心したいのよ。生きる意味がない、という考えを元に生きる自分の生き方は正しいのか。言い聞かせているのね」
自己暗示。人間とは自己を認識するために、しばしば、自分にとって確実なことを唱えようとする。自分の名前、趣味、家族、恋人、夢、神、真理。それらは自分自身を写し出す鏡なのだ。
「君のいっていることは分かる。生きる意味のなさを自己確認することで、結局、この絶え間ない時間の流れの中で、僕たちは僕たちが僕たちであることを認識したいんだ」
「僕たち・・・絶え間ない時間・・・」
笑われた。先ほどまで、俺、という一人称単数形を使っていたのに、気づけば、僕、という一人称複数系を使ってしまい、何か中二的な単語を喋ったからだろう。途端に寺島は恥ずかしくなった。
「今のはキモかった。認める」
「そうね。絶え間ない時間の流れの中で、あなたの自己確認は正しいわ」
恥。普段あまり感じない感情を久しぶりに覚えた。寺島は普段から日本的空気の重要さに気付き、他者に嫌われないように自分を偽ってきたからだ。
その原因である哲学的自己。気づいたら世の中を冷めた視線で観察して、普遍的な見解をしてしまう。それは日本的感覚で行ったら言わぬが華の世界で空気の読めない戯言に聞こえる。だが、それを指摘する白鳥も、同じなのだろう。
「私たちは言葉を使い、それっぽいことを述べて、自己確認を繰り返す生き物。それが人間よ」
そう。人とは詰まるところそうだ。ゴミ袋に溜まる様々なゴミがあるように、人の意見は様々とある。だが、そのどれも自己確認の手段にしか過ぎない。そしてこと生きる意味においては・・・
「そして、生きる意味なんて自己確認、私たちの立場からしたらいらないのだから、そんなことを考えてもゴミにしか過ぎない」
ゴミ袋の収集所について、お互い、持っているゴミ袋をゴミ袋の山の上に放り投げる。
「単純に考えてみれば分かることよ。確かに、色んな選択の強いられる世の中で何か絶対的な生きる意味があれば、その都度、自分にとって何が生きる意味なのか考える必要なんかないから楽よ。しかし、何か絶対的な生きる意味がないなら、何か絶対的な生きる意味を探して考えるだけ時間の無駄なの。それは、楽をするために生きる意味を考えた結果、生きる意味がない現実に苦痛を感じること。バカのやることよ」
「そうだな」
校庭には野球部がグラウンドの周りを大きな掛け声と共に走っていた。生きる意味なんてない。それに、生きる意味なんて考えていたら、この世の中に特別な意味がないなんて達観し続けていたら、何も集中できなくなる。この野球部の人間のように、グラウンドを大声で上げて走ることなど、あまりの無意味さに出来ない。
「だが、それでも、人は生きる意味を考える」
「人は、というより、あなた、そして、私は、ね」
しばらく、二人で野球部員を眺めていた。
「けど、生きる意味のなさを痛感することは悪いことばかりではないよな」
「というと?」
「だって、現実に過度な期待をせずに済むんだ。例えば、甲子園に出るために野球の練習をしても、手足を骨折して、甲子園に出れなかったら今までの努力を悔いるかもしれない。そして、野球をできなくなった人生に意味を覚えなくなる」
「最悪、自殺して死ぬかもしれない。努力をした経験、野球を通して得た友情、そういった副産物で甲子園に出れなかった失望を補えるかもしれないけど、少なくとも、甲子園に出ることを目標としていた人間は人生に軽い絶望はするだろうね」
「だが、人生にそもそも意味などないと悟っていれば、人生に過度な期待もせずに済むから、甲子園に出れなくても絶望しない」
「だけど、だからこそ、物事を中途半端に作業してしまい、甲子園に出れなくさせる可能性もあるのではないかしら?」
「生きる意味があると勘違いで思いこむことにより実現する夢もある、ということだな」
「そうね」
しばしの沈黙。生きる意味などないと現実の中で再度確認することは、現実に過度な期待をせずに絶望しなくて済む。が、現実に過度に期待することによって生まれる力を奪うことでもある。
「でも、その程度のことで失う力など、大した意味のない力だったってことよ」
「そうかな。例えば、日本は戦争中、天皇のために生きていた。それによって神風特攻隊長となって、自分の命を掛けて相手の戦力を落とすことが出来た」
「確かにそうね。その例は大げさではあるけど、絶対的な生きる意味がないなら、人生を生きる力をどうやって得ればいいのかしら」
人生を生きる力。生きる意味を問うてしまう時点で、本当は欲しいのだ。何にも負けない力が。
すると、当然、白鳥は自らの顔に右手を被せると、小さく呟いた。
「力が・・・欲しいか?」
「は?」
「何にも負けない力が欲しいか?」
「あ・・・できれば」
妙な気まずさが流れる。何言ってんだコイツ。まさか、あらゆるものに負けない、絶対的な力を・・・
「・・・なんて、このタイミングなら、漫画やアニメで私がいいそうな台詞ね」
「そうだな」
突然の転校生。生きる意味のない世界。これが作り話なら、白鳥が異能力を俺に渡していても可笑しくない。
「だが、絶対的に人生を保証してくれる能力など現実にはない。そんな俺たちはどう生きればよいのやら」
「決まってるじゃない。この世界でもがき苦しみながら生きる。人は未来をどう選択すればよいのか考えられるから人なのだし、それが生きるためのコストよ。それが嫌なら死ぬしかない」
それに、と白鳥は付け足した。
「古来から、絶対的な能力を持っている主人公も失敗を繰り返してエンディングを迎えていたじゃない」
グランドでは野球部が陣形を取って練習試合をしていた。
「生きる意味などなく、常に生きる意味を考えるのは、安定した生活を求める人間の性。人生に生きる意味がないのは、変化のある世界を生きているから仕方のないこと。それが生きるためのコスト。それが嫌なら死ぬしかない、か」
寺島は一人、自室のベッドの上で今日一日白鳥と交えた会話を思い出し呟いた。
なら、結論は、やはり生きる意味など考えても時間の無駄だ。それよりも、その時々、何かしらの小さなことでも生きる糧として生きた方がまだ合理的じゃないか。例えば、朝食を食べる時の朝ご飯、友人との下らない会話、今日の白鳥との出会い・・・
「何気ないと思っていた日常が、実は大切なものだったんだな」
つい笑みが零れた。自分でも漫画やアニメで繰り返されるような何気ない台詞を考えついてしまった中二病加減に。
例えば、生きる意味がない世界そのものを肯定しようという動き。あらゆる物語について回るものだ。
特別な力による戦いにより日常から抜け出した。それにより日常から離れて再び日常に帰ると、こんなにも日常が素晴らしいものだとは思わなかった系の物語。つまり、人生の全肯定。
だが、親を失ったら、希望を失ったら、何かしらに付けても、そんな名言ですら否定される状況は考えつく。つまり、何気ない日常が大切系の名言は、条件付きでしかない。
「それでも」
そう、それでも、俺は生きたい。つまらない世界でも、この世界を生きたい。もうそれは理屈なんかじゃない。だけど、人は何か自分の生き方を肯定してくれる理屈が欲しい。だから、例え嘘になってしまっても・・・
何気ない日々を大切にして生きる、俺はそう、何度も唱え続けるよ
寺島は臭い台詞を頭に思い浮かべにやけた。
ベッドの横にある目ざまし時計のタイマーを設定して。