♪5.失った温もり
「──楓桜!」
そう呼ぶ彼の声に私は振り向く。彼の姿を目にした瞬間、私は満面の笑みを浮かべた。彼も笑顔で駆け寄ってくる。
「悠真」
その名を口にするだけで、彼への愛しさが溢れた。
その時は確か学校帰り。私達はいつも一緒に帰っていた。
「なぁ。今日の夜ってさ、空いてる?」
彼が私にそう問いかける。その日はクリスマス。私の返事は決まっていた。
「もちろん。だって今日はクリスマスだもん」
「だよなっ」
どちらからともなく手を繋ぐ。自然と笑みが浮かんだ。──すごく幸せだと、心から思えた。そしてそれが、これから先もずっと続くものだと思っていた。
でも、この日が私達にとって、最後のクリスマスとなる。
──最後の、二人で過ごす幸せな時間となってしまった……。
「悠真……?」
私は傍で横たわる彼をそっと抱き寄せる。その時手に感じた生温かいそれを、目に映った道路上に広がる赤いそれを、私は信じたくなくて。彼のものだと信じたくなくて。これは夢だと、そう思いたくて。目を閉じて、私は必死に彼の名前を呼びながら、彼を失わないように、その優しい温もりを失わないように抱きしめた。
「……ふう、か……」
彼が私を呼ぶ。私は彼の虚ろな目を真っ直ぐに見つめた。彼の姿が涙でぼやけてしまう。すると彼がそっと手を伸ばし、私の頬に伝う涙を優しく拭った。
「楓桜、泣くな。笑え。……俺、楓桜の笑顔が好きなんだ」
涙が拭われ、はっきりと見えた彼の顔は、優しい微笑みを浮かべている。
「でも、私のせいで……悠真が……」
「お前のせいじゃない。自分を責めるな」
そう言うと、彼は涙を流し続ける私を引き寄せて──
──そっと額にキスをした。
「笑え、楓桜」
そう言って微笑んだ彼。下ろされた彼の手を握るが、もうその手は握り返してはくれない。やがて愛しい彼の瞳から光が失われていく――……。
「悠真……? 悠真、起きて……。悠真……悠真ぁぁぁあああ!!!!!」
「──い──おい、九条──九条!!」
目を開けるとそこには……。
「……悠真?」
そう呼ぶと、彼は顔を悲しそうに歪めて言った。
「違う。俺は、悠聖だ。鑑 悠聖」
その言葉に、自分が鑑くんに彼の面影を重ねてしまったことに気づく。
「あ……ごめんなさい。今のは、忘れて」
そう言って時計を見ると、針はもうすぐで五時を指そうとしていた。今日は授業が終わり次第、すぐ帰るように先生から言われている。早く図書室を出ようと席を立つと、鑑くんが言った。
「……大丈夫かよ」
「大丈夫って、何が?」
「お前、うなされてたぞ」
「……気にしないで。何でもないから」
すると彼の手が伸びてきて、俯く私の顔を上向かせる。
「……こんな、泣いてるのに?」
「──っ!!」
私は彼の手を振り払い、涙を拭った。そして、今の私にできる最大限の笑顔を浮かべて「大丈夫だから」と言うと、すぐに背を向ける。
「図書室閉めるから出てくれる?」
出口に向かいながら彼にそう言って、ポケットから鍵を取り出した。
瞬間、私の腕が鑑くんによって掴まれ、突然引き寄せられる。取り落とした鍵がカシャンと虚しい音を響かせながら床に落ちた。気づくと私は、彼の腕の中にいる。
「無理に、笑わなくていいから」
彼はそう言って、優しく頭を撫でた。何が起こったのかわからない私はただ呆然として、されるがままの状態になっている。
「泣きたい時に泣けばいい。心まで殺さなくていいんだから」
また涙が溢れてくるのがわかった。
「優しくしちゃダメだよ……。私は、そんな価値なんてない……」
そう言うと、彼は私を抱く腕の力を強める。
涙が私の頬を伝ってこぼれ落ちた。すると次々に涙が溢れ出て、彼の服を濡らしていく。声を押し殺して、私はただ泣いた。感情をこんなにも剥き出しにしたのは久しぶりだった。それも、誰かの前でこんなに泣くなんて。
我を忘れたかのように泣き続ける私を、彼は何も言わず、ただそっと頭を撫でて、優しく抱きしめていてくれた。……何も言わず、ただずっと。
……久しぶりに感じた人の温もりは、とても優しく私を包み込んでくれた──。