誘拐
維心は、訓練場へ駆け込んだ。
義心が倒れており、手当てを受けている。訓練場の岩場は粉々になっていた。
維心は義心に走り寄った。
「義心!」
維心に気付いた義心は、必死に起き上がろうとした。
「王!申し訳ございませぬ!将維様が、何者かに宙より連れ去られました!」
維心は粉砕された岩場に目をやった。義心はそれを見て頭を振った。
「あれは違いまする。将維様が気を放ち、こうなりましたもの。我はそれを始末申していて、気が付けば何かの光が将維様を捕えており、我が追おうとし申したら、光で地上へ叩きつけられ、このように…。我の力不足でございまする。」
義心はうなだれた。違う軍神が膝を付いて続けた。
「我ら急を知り、急ぎ追い申しましたが、既になんの痕跡もなく…。この龍の宮深くに、これほどに易々と入り込むものがあろうとは…。」
維心は既に、将維の気を探して辺り一体に念を飛ばしていたが、全くなんの痕跡もなかった。我の結界に我に気取られずに入ることが出来るもの…。維心は気の放出を感じていたが、それが訓練場の方でのことであったので、気にも留めなかった。それを後悔した。
「維月様!お戻りを!」
侍女の声が聞こえる。維月はその手を振り払って訓練場へ駆け込んで来た。維心の姿をみとめると、こちらへ走って来た。
「維心様!将維は…」
維心は維月を受け止めて言った。
「…すまぬ、維月。何者かに連れ去られてしまった。気を探ったが、見つからぬ。」
維月は力が抜けたのか、その場に座り込んだ。
「維月?!しっかりせい!」
「維月様!」侍女が維月に駆け寄って支えた。「ご無理でございまする!陣痛が始まっておられるのに!」
維心は仰天した。
「子が生まれるのか!何をしておる、主は産所へ行かねばならぬであろう!」
しばらくうずくまった後、維月は立ち上がった。
「私は何人も子を生んでおりますので、わかります。まだ生まれ出はしませぬ。今は間隔も間遠でありますので。それよりも、将維の方が心配でございます!」
そうだった、維月にはこの気の強さがあるのだった。維心は思った。さらわれたショックでへたり込むようなことは、維月に限ってはあり得ない。それよりも、すぐに行動を起こすのだ。そうでなければ、人であった時に、闇から五人の子を守り切りは出来なかった。
「…維月よ、我が探す。主は子を生むことだけ考えよ。我達の子だ。必ず我が救い出す。」
「維心様…。」
維月は気遣わしげに維心を見た。維心はその頬に触れ、それから振り返り、軍神達に言った。
「兵を出せ!各地の神に知らせを!我はこれより、将維を探しに参る!」
「御意!」
全ての龍達が一斉に動き出し、飛び立った。維心も龍身を取り、飛び上がった。
《すぐに戻る。維月、主は産所へ行け!我を待っておれ。》
維月はそれを見上げて見送った。
また、陣痛が来る。子は、今、こんな時に生まれようとしている。横に居た蒼が維月を支えた。
「母さん、心配ないよ。維心様はきっと将維を探し出す。オレもここに居るから。」
「蒼…。」
蒼は、そう言いながらも不安だった。瑤姫と子供たちを、こちらに呼び寄せ、一緒に守ることにしよう。
将維が目覚めた時、自分が何かの膜ようなものに包まれているのを知った。
辺りを見回したが、何も居ない。洞窟のような場所で、とても薄暗かった。ふと、前の暗闇の中から、人の気配がする。将維は警戒してそちらを見て後ろへ下がった。
「おお」とその人影は言った。「目が覚めたのか。」
それは、どう見ても人であった。人の老人が、こちらをじっと見ている。髪は既になく、髭だけが白く長く伸び、顔には深い皺が刻まれていた。その老人は、将維をじろじろを見回した。将維は気味が悪くて仕方がなかったが、そのままじっと相手を睨んでいた。
その老人はフンと鼻を鳴らした。
「どこまでもあやつにそっくりなヤツよ。その瞳の色は忘れぬ。間違いなく、お前は維心の子だな。」
将維は相手を睨みつけたまま言った。
「だからなんだ。こんなことをしても、父上はすぐに我を探し出すぞ。」
老人はほっほっと笑った。
「主の気を探ってか?」と、将維を囲む膜を示した。「お前の気はあやつには読めぬわ。その膜がある限り、どんな気も外へは届かぬ。」
将維は回りを囲む膜を触った。膜はぐにゃりと形を変えたが、弾力があり、破れることはなかった。
「こんなもの…!」
将維は気を放った。膜は光り輝いたが、後には、何の痕跡も残らなかった。
「やはり小童よのう!なんの気も通らぬと申したではないか。」老人は笑った。「しかしその気はやはり血筋であるな。封じておいて正解であったわ。」
「どうするつもりだ。」
将維は歯を食いしばって言った。
「どうもせぬよ」老人は将維に背を向けた。「お前はここでこのまま死ぬのよ。」
将維はその背を追おうとした。しかし膜に押し返されて前へ出られない。
「あやつには借りがある。それを返してもらう。お前がここに居ることは、誰にも探れない。ワシはここにお前を置いておくだけでいいのよ。」と去ろうとして、言った。「そうそう、言い忘れておったが、その膜は命の気も通らぬぞ。お前は命の気を取ることは、その中に居る限り不可能じゃ。わかるか?人のように食さず済むのは、お前達が命の気を補充しておるからなのじゃ。無くなれば、枯渇して命を落とす。なんと簡単な原理ではないか。」
「おのれ…名を名乗れ!」
老人はちらりと振り返って言った。
「もはや死ぬとわかっておるものに名乗る必要などないわ。ヤツをじわじわと苦しめてやるのよ…本当ならお前の母をさらうつもりであったが、何回やっても失敗であったのでな。まあ、いつでもさらえるであろうて。」
その人の老人は、去って行った。
将維は絶望感に苛まれながら、ただそこに座っていた。
維心はその力の全てを込めて将維の気を探った。だが、全くその気配は感じ取れない。命を落としていないのは確かだった。なぜなら、将維が「道」を通った形跡も感じられないからだ。しかし、早く見付けなければ、その命が危険なのはまた確かだった。
龍身の自分が、我が子の気を見付けられないとは思わなかった。維心は狼狽し、次の手を考えた。
十六夜が最後に言い残した、彎の名…。維心はそれに、嫌な予感がした。ヤツは600年ほど前、人の世界を手中に入れる為、神の世界を牛耳ろうとした仙人だった。炎嘉と共に討ち果たそうと北へ向かった際、維心の力におののき、降伏したのだ。
消してしまおうと炎嘉は言ったが、命乞いをする姿に、自分はやつの力を封じることで許した。
もし、ヤツがまだ何か企んでいたとしたら…?
維心は軍を率いて北へ向かった。
しかし、北は何もなかった。神も居らぬこの辺りは、守りが手薄になることも、また事実だった。これではもう、気を探ることは出来ない。
「全軍、地上へ降り、地上からしらみ潰しに捜索せよ。それしか道はない。」
維心の命に、龍達は素早く従い、皆各地へ散って行った。
維心は、とにかく宮へ戻り、様子を伺うことにした。仕切り直さなければ、この敵には勝てない。
維心は急いで宮へと引き返し、維月の元へと走った。
維心が宮へ到着したのを知った侍女が、走って来る。何か緊迫した様子だ。
「子は生まれたのか?」
そう問いかける維心に、侍女は首を振った。
「難産であられます。維月様はこれまでとてもお心安くお生み頂きましたので、今回もと我ら、侮っておりました。とてもお苦しみであらせられて…。」
あれから、もう一日近く過ぎている。維心は慌てて産所へ入った。
「維月…気をしっかり持つのだぞ!」
維月は小さく乱れる息の中、目を開けた。
「維心様…将維は…。」
維心は維月の手を握って言った。
「まだ見つけられておらぬ。だが安堵せよ。命は落としておらぬゆえ。今我が軍が総出で地上へ降り、探索しておる。」
維月は頷いた。
「…ああ、心細くているでしょうね。私が代わってあげられたらよかったものを。」
維月は顔をゆがめた。また痛みが襲って来たのだろう。維心は手を握り返し、必死で気を補充して力を貸した。
「維月!がんばるのだぞ。将維は我が必ず助け出すゆえ。」
維月は頷いた。しかし、その体の力は衰えて来ているのは、維心には見えていた。どうしたらよいのだ。
その時、産所の外から声がした。
「王!お出ましくださいませ!」
維心は迷った。維月がこれほどまでに弱っているのに、傍を離れたくない。
察した維月がか細く言った。
「どうぞ…お出ましを。私は大丈夫でございますから。」
維心はしばらく手を握ったまま黙っていたが、思い切ったように立ち上がって外へ出た。外には、臣下が頭を下げていた。
「何事だ。」
「王…気の流れがますます乱れて、今外は恐ろしいことになっておりまする!只今、蒼様が見に出られておられます。」
維心は、蒼の居る場所へと急いだ。
蒼はその気の乱れを上空から見た。
こんな状態を見るのは初めてだった。気の流れの乱れに伴い、激しい風が、果たしてどこから吹いているのかわからない状態で吹き荒れている。蒼のスマートフォンで見た人の世のニュースでは、突風によって人が亡くなり、木々は倒れて作物は被害を受け、また鳥たちは変な方向へ飛んで集団でビルにぶつかって死んでしまったりしていた。下水道からはネズミが群れをなして走り出し、しかしどこへ走ればよいのかわからぬようで、海へ飛び込んだり、車に轢かれたりしていた。
そして電波は届き辛くなり、蒼のスマートフォンもそこでつながらなくなった。
維心が、蒼の隣に飛んで来た。
「…これはひどいの。これほどまでに乱れるのは我も初めて見た。」
維心は遠く果てまで見ているようだ。蒼も月の目を使った。確かに、これはひど過ぎる。
「…なんとか、抑えてみます。このままでは、人の世に多大な犠牲が出てしまう。今は潮位も上がっています。波が高くなって、浸水している所もあるようだ。」
維心は頷いた。
「例え一時でも止めねば、これは大変なことになる。我は今は維月に、ついておらねばならぬ。蒼よ、頼むぞ。宮の奥の間にある天井が開いておる部屋と使うと良い。そこは月がよく見えるゆえ。」
蒼はすぐに宮へと取って返した。
「はい!維心様も、母をよろしく頼みます。」
維心も蒼について宮へ入ろうとした時、軍神の一人が必死に帰って来るのが見えた。
「王!」
手に何か握りしめている。維心は目を凝らしてそれを見た。
「将維様の刀でございます!ここから少し北へ行った所で見つけたと、只今炎翔様から託されました!」
炎翔も探しに出てくれているのか。維心は感謝しながら、それを受け取った。そうか、将維は炎翔殿の末の妹の許嫁であった。そのためであるのか…。
「そこを中心に調べたのか。」
軍神は頷いた。
「はい。しかし、一向に将維様のお姿は見当たりませず…我はまた、捜索に戻りまする!」
「頼んだぞ。」
維心はそれを見送り、その刀を持って宮へ戻った。